第2話
お兄さんと共に暫く道を行くと、こじんまりとした一軒家が見えてきた。あれが森の魔女、ファレンデールちゃんの家だ。
ドアの前に立ち、いつものようにノックをする。
「ファレンデールちゃん、こんにちは」
すぐに扉があき、ファレンデールちゃんが顔を出した。途端、わたしの腕をむんずと掴み、自分の背にかばった。ファレンデールちゃんがもう片方の手を突き出すと、わたしが引き寄せられたのとは反対に、お兄さんが後方へと吹っ飛ばされる。
え、今のはなに、魔法?
もちろんファレンデールちゃんが魔女なのは知っているけれど、いつも薬草やまじないを中心に行っているので、治療のためにその力を使っているところしか見たことがなかった。驚きつつ、自分より幾分か低い位置にあるファレンデールちゃんを後ろから伺うと、とても険しい顔付きでお兄さんを睨んでいる。
その視線の先にいる、吹き飛ばされたお兄さんはというと、さすが騎士なだけあって、大したダメージもなさそうに立ち上がっていた。
「騎士めが何をしに来た」
「随分な歓迎ですね」
ファレンデールちゃんはいつもより格段に低い声で威嚇をしている。お兄さんは服についた汚れをはたき落とすと、ゆっくりとこちらに近づいてきて、わたしたちから少し離れたところで跪いた。
「ランジェ・メナードと申します。あなたさまは森の魔女、ファレンデール殿とお見受けいたします。その癒やしの力をお借りしたく、参りました」
「ふん……お前、第二の狗か」
「そう呼ばれることもありますね」
「ここをどのようにして探し当てたか知らぬが、即刻立ち去るが良い」
「それはできません。何に代えましても、治していただきたい方がございますので」
一発触発。ファレンデールちゃんと、お兄さんーーランジェさんというらしいーーが、視線をぶつからせる。こんなに険しい表情のファレンデールちゃんも初めてみたけど、ランジェさんも一歩も引かない様子で、時間だけが過ぎていった。
わ、わたしがいたたまれないわ、この空気。
てこでもこの場を動く気がなさそうなランジェさんに、先に折れたのはファレンデールちゃんの方だった。 一つ息を吐き、口を開く。
「どうしても、治療を願うというのか」
「はい」
「ならば今ここで誓え。決してわらわのこの地を暴かぬ、荒らさぬと」
「もちろんです」
「ここにおるエウリカ、この者自身にも、この者が住む村や村人にも、危害を加えぬと」
「この剣にかけて」
そう言い、ランジェさんが腰の剣を外して目の前に掲げた。ファレンデールちゃんはそれをじっと見下ろすと、剣に手をかざす。すると、剣の柄が一瞬淡く発光した。
「誓いをここに成立させた。……入るが良い」
やっとでお許しが出たランジェさん共々、わたし達は揃ってファレンデールちゃんの家へと入った。
*****
ファレンデールちゃんが薬を準備している間、わたしはランジェさんとお茶を頂いていた。ファレンデールちゃんの特製ハーブティーである。わたしは遊びに来るといつもこれを頂いているが、「お前はその辺の水でも飲んでおれば良いがそれではエウリカが気にするであろうしそんなエウリカを見ているとわらわの心が痛む故云々」とかなんとかファレンデールちゃんに言われながら、結局はランジェさんも同じハーブティーをいただいていた。
いつきても、魔女が住んでいるとは思えない可愛らしい内装の家。世間一般の人が思い描くような魔女の家とはかけ離れていて、怪しい壺も小瓶も無い代わりに、美味しいお茶とお菓子が出てくる。そんな家で、出会ったばかりの男性と向かい合ってお茶を飲んでいるとは、なんとも不思議だ。
ぼんやりとランジェさんを見ていると、わたしの視線に気づいたランジェさんが顔を上げ、きゅっと眉を寄せた。ああまた、わたしにはこの表情だ。
「なんです」
「いえ、さっきのファレンデールちゃんへの態度と、わたしへの態度は随分違うなぁと思いまして」
「当然でしょう。片や高名なる魔女、片やただの村娘。同じ扱いをする必要が?」
「ご、ごもっとも……」
その通りで何も言えない!
「それ以上エウリカに暴言をはくと、この薬、今ここでぶちまけてやろうぞ」
「ファレンデールちゃん」
なんとも物騒なことを言いながら、奥の小部屋からファレンデールちゃんが出てきた。その手にはいくつかの小瓶と、包帯が山盛り、薬草も山盛り。ランジェさんが治療したい人とは、どうやら相当重症らしい。
「アレックスの体格ならば、この量で半月から一月は保つであろう」
「よくあの方のことをご存知ですね」
「ふん、腐れ縁だ」
なんと、ファレンデールちゃんと、治療対象のアレックスさんは知り合いみたいだ。世間は狭い。
「とっとと帰るが良い」
ファレンデールちゃんは治療に必要な一式をランジェさんに押し付けると、早く帰れというように手を動かしている。あまり長居はさせたくないみたいだ。
連れて来たのはわたしだし、今更といえば今更だが、罪悪感が……。
「じゃあファレンデールちゃん、わたし、ランジェさんを送りがてら帰るね」
「なんと! エウリカ、もう帰ってしまうのか」
「うん。今日は元々、パイを持ってきただけだし」
件のパイはというと、ランジェさんの優しさに甘えてここまで持ってきてもらったおかげで、さっきランジェさんが吹き飛ばされた時に一緒に飛ばされ、ぐしゃぐしゃになったけれど。はっはっは。
「そうか……残念だが、母を長く1人にもしておけぬな」
ファレンデールちゃんがしゅんと項垂れる。とても可愛い。思わず、ふわふわの栗色の髪に手が伸びた。よしよし、というように撫でる。
「またくるね」
「うむ。まっておるぞ」
ハーブティーを飲み干し、立ち上がると、ランジェさんも腰を上げた。約束通り、扉の前に立てかけておいた剣を手にとり、腰に提げる。
お土産にファレンデールちゃん特製のクッキーをいただいて、ランジェさんとともに家を出た。
帰り道。往路と同じ道を辿りながら、2人並んで歩く。相変わらずランジェさんはしかめっ面だが、わたしはというと、ファレンデールちゃんからもらったクッキーを眺めて思わず頬が緩んでいた。これ美味しいんだよね、本当に。
ふと視線を感じ、横を見ると、ランジェさんがじっとこちらを見下ろしていた。
「どうかしましたか?」
「いえ……そのクッキー、少し頂けませんか」
なんと! 甘いものなんて食べません、と冷たく言い切られそうだから聞かなかったのに、お好きでしたか!
「どうぞどうぞ」
これは失礼しました、とクッキーを2つに分けて渡すと、ランジェさんはそのクッキーを懐にしまった。割れないのだろうか。
「甘いものお好きなんですか?」
「私が食べるのではありません。これが好きな者がいるのです」
そう言い、ランジェさんはにやりと笑った。悪役もかくや、というような、口の端を僅かに上げるだけの黒い笑みだ。笑み、と言っていいのかすら分からない。
このクッキーをもらう人に、心の中でそっと手を合わせておいた。
「あ、そうだ。ランジェさん、薬が切れたらまたいらっしゃるんですよね?」
「そのつもりですが」
「だったら、次は始めに村に寄ってください」
「何故村に寄る必要が?」
「見知らぬ人が森にいた、となると、大事になる可能性があるので」
これは、村の中の暗黙の了解のようなものである。
そう念を押すと、次は村に寄って誰かと一緒にファレンデールちゃんのもとへ行くことを、ランジェさんも了承してくれた。