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Still Green  作者: 匡成 深夜
別れの足音
8/11

別れの足音 3

 私たちの街は夜が似合う。

 観光地だし街の灯りも多い。百万ドルかどうかは分からないけれど私はかなり気に入っている。ガンダムみたいなあの海沿いのランドマークタワービルには子供の頃から何度も家族で昇った。でもやっぱり好きな人と昇るのは格別だ。


 11月。開校記念日の午前中、中華街を冷かしてそれに飽きるとランドマークタワービルに移った。

 5階までモールになっているそのビルは、最上階の69階が展望フロアになっている。街を眼下に見る360度大パノラマ。ここに来るたび地上273メートルから見る夜景がいつでも希望を待ち焦がれて揺らめいているように見えて私はここが好きだ。

 

 秋。恋人たちは日中遊んだ後、こうして綺麗な夜景の見える所に来てお互いの体温を確かめ合っては未来の自分たちの家庭がこの景色の中に溶け込んでいるのを夢見ている。今、正午の右肩を頬の辺りに感じながら、私も同じように何度も見てきた恋人たちの景色に初めて溶け込めたことが嬉しくてたまらなかった。


「ここってさ、いつ来てもカップルでいっぱいだよな」


 あれはどっちだっただろうか、海が見える方向のはずだ。窓際で寄り添う間も正午はパノラマの景色を遠くに見つめながら言った。明るく話してくれてもいいのに真剣なその横顔を見上げる私に第六感がほのかに危うさを訴えた。そんな不安を笑顔で隠して「そんなわけないよ」と何度も自分に言い聞かせた。


「私、今年新しい手袋買おうかなぁ?」

 いつになく明るく振る舞いすぎただろうか、おねだりのような台詞も白々しかっただろうか。近所のお姉さんが「男なんて体で繋ぎ止めておきさえすれば別れたいなんて言わない」と言っていたのを思い出した。マセガキだった私はそんなはずないと思っていたのに、いざ自分が同じ場面に遭遇すると妙に可愛らしく振る舞ってしまう。そんな自分に唇を噛んだ。私たちは手以外ほとんど重なることはなかったけれど、離れていてもいつでもリンクしている。

そんな自信さえあったのに。


「手袋、良いんじゃない? もう少し可愛い方がミカには似合うと思うよ」

 今年はまだ付けていない。去年私が着けていたのを言っているのだろうか。どちらにせよ、その時、正午の柔らかな笑顔があった。

「だよねぇ…私さ。兄弟男3人だからさ。お母さん、何でもかんでも男子がして大丈夫そうなデザインばっかり買って来るんだよねぇ」

「あっ、それオレもちょっと分かるかな。オレの場合、赤とかピンクの女の子カラーだったな。お袋は女の子が良かったみたいでさ、可愛い可愛いって…」

 

 じゃあ、私たちは男の子も女の子も両方作っちゃおう。

 第六感が刺激してくれなければ言えたかもしれない。ここにいる恋人たちがそれぞれの瞳の奥に映す未来予想図みたいに、正午と私、優しい長男と少し甘えんぼの妹。もうそんな風に私は未来の自分を上手に描けなくなっていた。

「オレ、高知の大学に進学しようと思うんだ」。

 来た、という方が正しいのかもしれない。

「工科大学があるんだ。本当はこっちで進学するつもりだったんだけど、オレが勉強したいって思ってた先生がそっちへ異動になったんだ。それでオレもそっちへ行きたいと思ってる…」

 やっぱりミカには話しておかないと、と正午は頭を掻いた。


 そう話す彼の話を聞きながら、私は「やりたいことがあるから会社を辞めたい」と言い出した夫の話を聞く妻みたいだと思った。そして今度は単身赴任だと言う。妻子を置いて夢に邁進する。何たることかと愚痴を押し殺しながらも1度は永遠を誓い合った仲だ。きっとまた家族4人で暮らせることを願いながら、身の回りのことに世話を焼いているに違いない。


 本当に妻だったら、もっといろんなことを考えなくちゃいけなかっただろう。だけど私たちはまだ恋人同士だ。夢を追いかける愛おしい人の背中を押してあげた方が良いんじゃないか。


「でも…」 

 夜景を潤む目に映しながら、「でも…私、別れたくないよ?」と言った。

 正午に聞こえたのか今でも分からない。私は繋いだ手を力いっぱい握り返した。正午もまた私の手を握り返してくれた。


「凜乃、週末会えないかな?」

 地元の駅で正午と別れた後、歩道の隅で保坂凜乃ほさか りのにメールをした。

 彼女は中学時代の親友で、別の学校に進学した今でも連絡を取り合っている大の仲良しだ。会いたい、この四文字に隠れた私の涙に気付かないような子じゃない。すぐに「分かった。南港台のバーズ1Fカフェでいい?」と返ってくる。

バーズは私たちの住む町に程近い場所にあるショッピングセンターだ。華やかな場所で話すことじゃないけど、例えば公園のブランコに並んで話すような寂しさを感じたくはなかった。何かを察してすぐに理由を訊いてこないのが彼女の良いところなのだ。

「うん、ユーシー珈琲が良いな。時間は10時くらいでOK?」。

「OKOK。じゃ、そのくらいに近くをウロチョロしてる」

 街ほど明かりのない地元の街並みに少し安堵している自分がいた。ケータイを閉じて見上げると、星が光っていた。


「ただいま」 

 家に帰れば、大小様々だけれど「おかえり」と家族が口々に言ってくれる。

門限は高校生になってから誰とどこに行っているかを話しておけば22時まで許されるようになった。芙美子とか友達はみんな、「誰々の家で宿題してから帰る」とか「図書館で調べ物があるから」と嘘をついては彼氏と会ってるようだった。私はまだ嘘はついたことがない。ドラマを見ていたり、新聞を読んでいたり、アイロンをかけていたりと、バラバラだけど楽しい家族に嘘などつけない。居間に入ってこの温かさに和んだ。


「寒かっただろ。20分くらいしたら部屋にミルクティー持ってってやるから、その間に着替えとけ。どうせ風呂は夜中なんだろ?」 

 研一がキッチンの中から声を掛けてきた。水のペットボトルを手に持っている。

 私は日付が替わる頃に入ることが多いのだ。特に理由はないけれど何故かその時間帯が一番落ち着くらしい。


 自分の部屋に戻って、研一が飲み物を持ってきてくれるのを待つ間、部屋着に着替えるのもバッグを置くことすら面倒でそのままベッドに腰掛ける。自分でも分かるほど今の私は表情が暗い。

 少し気を抜くと、おたふくみたいに頬がたるむ気がするのが嫌いだ。それに何か唇がゴワゴワする。あぁ渇いているんだと理解する。唇を舐めてみてもリップクリームを塗ってみてもどこか満たされない。研一、早く何か持ってくれないかなと心が泣きそうな声をあげた。


「ミカ、開けてくれ」

「はいはい…。って、アンタ自分の分も作って来たの? 何ここでくつろごうとしてるわけ? これでも一応女子の部屋だし…」

 ドアを開けると平らなお盆に2つ、受け皿付きのカップを乗せて研一が深刻そうな顔をしている。「やっぱり」とため息交じりに言いながら部屋に入り、テーブルにミルクティーを置くと研一はあぐらでドシンと座った。私は向かい側で割座になる。

「やっぱりって何が?」


「何かあったろ? お前」 


 弟は普段それほど低い声ではない。どちらかと言えば高く本人は女みたいだと気にしている。そんな彼の声は今日に限ってドスを利きかせている。きっと兄、多分次兄である恭一の声を真似ているのだろう。最近では滅多になくなったけれど、子供の頃兄たちはこうして嫌なことがあった私に問いただすことがあった。今の言葉はそのまま兄たちが使っていたものだ。

 少し懐かしい響きにこみ上げるものを感じながら、「何でもないよ」と言ってみる。

「嘘つくな」と、弟はまたも凄む。着替えてもないくせに、と痛い所を突かれた。隠しても隠し切れないのが私の性分らしい。弟を待っている間に何度も正午の言葉を反芻してしまい、ふと遠のいた未来への不安が頭を巡っていた。


「大丈夫だってば」

 姉の顔をしようにも、こういう時の私はもともと少ない姉の威厳をさらに減らしてしまうだけなのだ。すべてお見通しであるかのような研一の目に少し悲しくなりながら素直に認める。

「アイツ、高知に行きたいんだってさ」 

 高知ぃ?と素っ頓狂な、いつもの声に戻って私をまっすぐ睨んだ。そして本当は凜乃に話そうと思っていたことを、つまり正午が工科大学を希望していること、正午が尊敬する教授の先生が異動になって、そっちへ行きたいと言い出したことを話した。

「俺はなぁ…。やりたいと言えるほどのモンがないから何とも言えねぇんだけど…俺が言えるのはミカがどうなるかだ」。あごを手でこすりながらこちらを向いた。

「そいつの夢がどうなろうが知ったこっちゃねぇけど、夢を捨ててでもうちの姉貴を取れと言う訳にもいかんだろう? 悔しいがそこまでの権限は俺にはない。

 ただ、ただな。俺はお前に悲しんで欲しくない」

 

 知ったこっちゃないと言った時、研一の声は少し上ずり中指でテーブルを一度叩いた。すぐに冷静さを取り戻し、もう一度声にドスを利かせて続けた。

「俺なら、弟の立場からでもオトコの立場からでもミカを1番に考えるよ」

「それは、アンタが家族だからじゃないの?」と困り顔になる。

「俺にだって、好きな女の一人や二人いたことあるっつーの」と弟は声を尖らせた。

 KARAのショートヘアにしてた女の子みたいなコが、弟のタイプだ。片思いで終わったに違いない。そんな存在を散らつかせたこともないのにと、からかう元気もなく私が口角だけあげて力なく笑うと

「もしミカのことを1番に考えるヤツなら、たとえ別れることになっても俺はそいつを買うよ」と、姉思いの弟は言った。

 

 あいつらも気になってるみたいだから話しても良いかと、弟は親指を立ててドアの方に振った。長兄の勇一はいなかったけれど、居間に恭一がいたし両親もいた。彼らも気付いていないことはないだろう。聞き役を弟が務めただけなのかもしれない。「ありがとう」の言葉で話して良いという意思を告げた。

 

 土曜日はいつもと同じ時間に起きて、平日と変わらない朝食を摂った。家にはお母さんしか残っていなかったけど、朝、ケータイのメールチェックをした時にうちの男連中からひと言ふた言残してあった。正午に会ったのは水曜日のはずなのに今頃なのは、彼らなりによく考えての言葉だったのだろう。

 お父さんに至っては「男の子を決めるのは十年後でも遅くないよ」と書いてある始末だ。失恋しかけている娘の心に堂々と塩を塗りこんでくれる。優柔不断な私だ。まあそれでも遅くはないのかもしれない。そう考えて、あえて今日は歩いてバーズに向かうことにした。


 約束の時間より15分ほど早くバーズに入る。ここの一階にユーシー珈琲というカフェがある。高島屋なんかがあって高級というイメージがあるみたいだけれど、家族連れが多く小市民の私には落ち着ける所なのだ。ユーシーも何度か行ったことがあるし、何を話そうか決めてきたつもりだけど場の雰囲気に慣れておきたかった。

 可愛くて美味しいコーヒーを入れてくれることで有名なお店だけあって、開店当時は物珍しさに行列ができるほどの人気だった。今では落ち着いたけれど、場所によってはまだまだ人気が絶えない珈琲店だ。

 バーズに入ってすぐの所にあるユーシー珈琲に近づくと、もう凜乃が店の前にある広場のエスカレーター付近で待ち受けていた。目の前の広場には「手作りしよう! 木工」というのぼりが立っている。居場所がなかったのかもしれない。吹き抜けになったエスカレータの上の方に2階・3階の通路を楽しそうに歩く人たちが見えた。

 凜乃とお互いの存在を認め合うと、「今日も可愛いね、凜乃」と本音が出た。

 凜乃は地元でさえ服装に手を抜かないことを知っていたから、もう少し遅いだろうと思っていたのに今日は私からのSOSだったのを忘れていた。

 もし私が男子だったら凜乃みたいな子を好きになっていたと思う。ちょっとだけ流行を外して、だけど時代遅れというほどでもない。本当に自分の似合う物、自分が認めた物だけを選んだような洗練されたイメージが凜乃にはある。


「凜乃ですから」 

 彼女はおどけて見せた。

「うん、凜乃だもんね」と口元が緩んだ。


 自分に自信があるのは分かるけれど「マウンティング女子」というわけじゃない。母さんには悪いけど男所帯の中で暮らしていると、こういう柔らかい存在が必要なのだ。時々、凜乃は自分の役目みたいなものに気付いているんじゃないかと思う時がある。


 私はイチゴの、凜乃は豆乳のミルク珈琲をオーダーしてテーブル席の二つ目を確保する。

「何もないわけないよね?」 

 いつカバンを下したのだろう。席に着くなり凜乃がテーブルに肘をついて訊いてくる。さっきより少しだけ表情が硬い。嬉しい一方で正午のことを思い出して胸がキュッと締まった。気の休まる飲み物が欲しくてここに来たのに、自分の思いとは裏腹なチェアの柔らかさに違和感がある。


「彼と気まずいの?」 

 私は小さく首を横に振った。

「進学先がね、高知県なんだって。ケンカしたとかそういうんじゃない」。

 少し間を置く。あのランドマークタワーでの言葉が、正午の声が一気に溢れて声に詰まりそうだったのだ。

「決まってはないんだけどね。尊敬する先生がそっちに行くんだって」

「その先生の授業を受けたいから…それでミカのことはどうしたいって言ってるの?」

「まだ分かんない。向こうに行くのにいくら掛かるのかも分かんないし…」

 声を湿らせながら、どこからともなく漂ってくる様々なコーヒーの香りが複雑に重なって、今の私にぴったりだと思った。


「別れたくないんでしょ?」 

 今度は首を縦に振った。

「これはミカ自身が決めるべきだから、もちろん私は何も言えないし応援するしかないけど…」と、凜乃も少し間を置いた。まだコーヒーは届かない。凜乃は自分の指を絡めてもて遊んだ。


「私はミカが大好きだよ。私はミカのことを大切にしてくれる人と一緒にいて欲しい」

 凜乃はこういう言葉を用意しておける子じゃない。SOSを出してから数日は過ぎているけれど、そういうこともしない。何気ない言葉が格言めいてしまう。研一とは違って怒りを相手にぶつけたりしないのだ。研一のそれはそれで嬉しいけれど凜乃は私を前向きにしてくれる。

 

 今は正午以上の人なんて考えられないけど、凜乃と一緒にいて幸せだと思える。私のことをこんなに思ってくれる研一と凜乃がもし結婚して、研一は大変かもしれないけど、凜乃が義妹になってくれたら嬉しいなと思った。

「凜乃とかね」 

凜乃はそうそうと何回も頷いている。訊く側としての凜乃はもういない。

「研一も言ってた。良いヤツだったら別れることになってもそいつのこと買ってやるって」

「良い弟ね。彼がそういう人だと良いね」 

「ねえ凜乃。今度、弟紹介してあげるよ。二人が結婚したらいいなぁって今ちょっと思ったんだ」

「そういう冗談言えるんなら、もう大丈夫ね」

 いたずらに凜乃が笑う。「私がハッピーかなって…」

 年下はパス。凜乃の返事は早かった。研一ごめん、アンタ知らない所で美人に振られたよと弟に謝っておいた。


 凛乃は今、森姓になり和歌山県で暮らしている。この10年、結婚した今も凜乃はずっとケータイにいてくれた。


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