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Still Green  作者: 匡成 深夜
別れの足音
7/11

別れの足音 2

 

 卒業と同時に私たちの恋が終わるとしたら、今度のクリスマスは恋人として最後のクリスマスになる。プレゼントは用意していない。並んでいたはずの正午が、私が幸せに浮かされてワンテンポ遅れている間も歩き続けて、彼の背中を見つけてしまった焦燥感を拭え切れずにいた。


「ミカ、今年はまだクリスマス、彼氏と会うのか? 親父が休みだから家族で過ごしたいらしい。俺ももう家族でって歳じゃないんだけどな」

「彼女いないもんね」 

 茶化すと、ほっとけと研一は笑う。

「どうかなぁ…わかんない。別れると思うし。終わる恋のクリスマスなんてイメージ湧かないんだよねぇ」と頭を掻いた。形は違うけど正午の癖がいつからか私にも伝染ってしまった。

「向こうは何て言ってんだ?」

「連絡ない。アイツのことだから恋人期間中はちゃんとこういうことはしてくれると思うけど」

「やばそうな雰囲気なのに、本当は今でも別れたくない。ミカはそう思ってるんだ?」

 

 当たり前だ、だけど…。弟の言い切るような質問に窮していると、

「会って来いよ。ギクシャクしたまま別れると後々面倒だぞ? 親父にはミカは親父よりもオトコを選んだと言っておいてやるよ」と、あのフェルト製クマの頭をポンっと軽く叩いて言った。多分コイツもそう思ってるはずだという意味だろう。


「僕も男だよって言いそうだね。お父さん」。

 いい加減、子離れしろってんだと口角を上げた。

「私はアンタみたいな奴と結婚したいよ」

弟は冗談、と部屋を出ていく背中で手を振った。


「クリスマスどうする?」 


 研一の去った部屋で1人、ストレートにメールしてみた。会ってくれると信じているけれど「会いたい」というより断然自然な気がした。

「もちろん会うよ。来年は難しいだろうけど。どこが良い?」

 

 来年は難しいだろうけど、か。


 「じゃあ、観覧車」と返してみる。

 忘れ得ぬ思い出がある場所だからだ。


メモリアルパークと呼ばれる観光地の1つだ。

 交際1周年デートで乗った以来、誰とも乗っていない。

 大きな観覧車のイルミネーションは花火のように咲き誇り、大晦日のカウントダウンが表示されたりもする。クリスマスシーズンのこの街は、都会エリア全体がデートスポットになる。それを嫌ってこの期間は街から逃げる人もいるくらいだ。 

 もちろんメモリアルパークも都会エリア内だし、すぐそこに海があって寒いこともよく分かっているけれど、今年はあえてそうしたかった。

「なら、みなと博物館の遊歩道はどう?」

 その辺りに行くなら幸せそうなカップルは避けられない。博物館の周りも山下公園に似た作りになっている。船の向かいには秋2人で行ったランドマークタワービルが高く高く聳えている。パークにはカップルはもちろん、ひと休みする人や観覧車を写真に収める人も多い。観覧車の近くに見えるD字型のホテルは有名だ。そんな人たちの間で私たちは残された短い時を噛みしめるようにゆっくりと味わうのだ。


 夜とはいっても街の光で昼間のように明るい街を電車で通り過ぎる。メモリアルパークの入り口に来るとやっぱり人は多い。レンガ色の階段の手前からもう観覧車が見えている。「もっと海の方に行こうよ」と甘える女の子や、ガールハンティング中なのか男子だけでたむろするグループもいる。ガールハンティングされに来る女の子がいても不思議じゃないけど、私にはその勇気はない。

 20段ほどある階段の真ん中の踊り場で正午は壁にもたれていた。正午、声をかけると驚いたように顔を上げた。「ごめん、待った?」と訊くと、

「いやそれほど。これだけにぎやかだとミカからメールがあっても聞こえないからな。ケータイ凝視してたわ」と正午は笑った。


 ありがとうと言いながら、もうこんな風に笑い合うこともなくなるんだなと悲しくなった。

 階段の中腹からでは観覧車はよく見えない。天辺が少し見えるだけだ。それでもあの日の2人が瞳の奥で揺れた。平らな屋根の博物館の上も遊歩道があって、そこにも人がたくさんいる。よく見えるポイントを探すのは人間の習性らしい。「ぬるくなりかけてるけど飲む?」とコーヒーを差し出してくる。寒いからポケットに入れていたと。

「今、自販機に行ってもなぁ…人がいっぱいだろ」

 と、そちらの方へ目を向ける。


 博物館の入り口に自動販売機がある。あっちの方にももう1つくらいあったと思うけど同じだろう。温かい飲み物が傍にあり風も凌げる。観光というイベントを終えてしまえば一早くやっつけたいのは寒さに違いない。恋人ならより親密なイベントに移行するだけかもしれないけれど。

「上から見た方が綺麗なんだけどな」


 本当は観覧車があるコスモワールドに行きたかった。でも人だかりで身動きさえ取れないかもしれない。最後のクリスマスに正午とはぐれてしまうことが怖かった。初めて2人が繋がったあの場所だから。


「クリスマスなんだし仕方ないよ」

 そう言う私の手を正午はちらっと見た。

「何だ。手袋買ってないんだ?」 得意げに正午が笑っていた。

 今しているこれは去年と同じものだった。

「だって…正午に買ってもらおうと思ってたし? 手袋欲しいって言ったからクリスマスプレゼントに選んでくれてたらもったいないじゃん?」

 

 釣れない素振りをしたわけじゃない。秋デートした時の私の言葉を正午は覚えていると疑わなかった。もう買ったよと言えば正午のプレゼントに価値を失わせてしまうような事態になるかもしれない。それは避けたかった。

「そっか、良かった」。

 そう言って肩にかけたポーターをゆすった。


 私は黒いダコタのハンドバッグにミサンガとGショックを忍ばせてある。手作りにしたかったミサンガはその複雑さに挫折してしまったけれど、Gショックは自分でも頑張った方だと思う。時計を買うだけの余裕があるなら卒業してから正午行きの切符を何回分かでも買えばよかったんじゃないか、と思われるかもしれない。でもこの1回だからこそできたことなんだ。私は正午と別れた後、そう思うことにした。

 

 人の多さに趣のある場所までは行けなかったけれど、海が近くに見えるだけで良しとしよう。

海沿いの遊歩道を恋人たちに紛れながら、ミサンガと時計を渡した。

「ミサンガ? プロミスリングだっけ? 懐かしいなぁ」

災害が多くなった昨今では、古の産物とも言い切れなくなっている。何か起こるたびにミサンガを着ける人が多くなった。私は「あなたの夢が叶いますように」と願いを込めた。


「時計は弟にと店員さんに言って、そのまんまもらってきたの」

 ラッピングも何もない。メーカーの箱のまま。

「弟か。先輩だったような気がするんだけど…まあ、ここでデカいプレゼント渡すのもちょっと恥ずかしい気がするしね」

「手袋くらいなら小さくて違和感もないね」と言うと、だな、と彼は笑った。

「袋のまま、頬に当てても冷たいだけだろ」

 正午は言うけれど、キーンと頬を指す海風に、黄色のリボンの付いた赤い袋を頬に当てた。そこに大切に入れられていたのは、4色の毛糸と小さなアイボリーカラーのボンボンが付いた暖かそうなミトンだった。


 高校時代はもうケータイは自分の小遣いから捻出することが決まりだった。ましてや高知の大学に進学する正午と遠距離恋愛ができるほど私に金銭的余裕がなかった。彼はそれでも私と付き合いたいようだったし、どちらかの気持ちが冷めたわけでもない。できれば私も正午に応えたかった。   


「やっぱちょっとキツイかな」


 何度も話し合ったけど最後には結局私の心を読んだように彼は言う。

 その音を聞く度にファミレスの騒がしさや空気さえも遠のいた。ママがサンタにキスをした。私たちは私たちの恋に最後のキスを。そんな自虐めいたジョークを、重苦しい空気の中ひとり噛みしめる。右斜め前のテーブルに幾つかのパンフレットを広げた少女が目を輝かせている。私と同じくらいの歳の、未来を映す少女の瞳が辛かった。


 分かってるよ、言わないでよ。声にならない叫びが体の中にこだます。

 

 持ったままのケータイにぶら下がるストラップの鈴が揺れれば、笠を深く被った托鉢僧の錫杖しゃくじょうを思わせ不穏なイメージが膨らんだ。邪を祓うための鈴は今そこにある危機にもうずいぶん前から気付いてたみたいだ。「ミカ?」という声に再び現実へ連れ戻される。   

 何がキツイか訊かなくても分かる。彼がこちらに毎回来ることもお互いが相手の所に順番で行くことも私が辛いと踏んだのだ。片道2万円は現役の女子高生にはかなりの痛手だった。


「メールだってさ、毎日すればいいんだし。最近はスカイプとかもあるし…」

 

 なぜそんな心にもないことを言ったのだろう。相手が見えないメールも相手が見えるのに触れることが許されないカメラ通話も心を締め付ける、そう結論付けたはずだ。仏壇の傍に置かれた愛する人の笑顔のような、記憶の中で正午に刺すような切なさを、拒みたいほどの熱いぬくもりを感じるのに触れることは許されない。そんな痛みを耐え抜けそうになかった。


 遠距離恋愛をどう続けようかと模索しながらそれでも答えなんか出なかったくせに、終わりを告げるタイミングをずらすことだけに必死になる。もうこうなっては終わらないはずないのに。


 …お前のことを1番に… 

 …ミカのことを大切にしてくれる人と…


 弟や親友の言葉を噛み砕いて彼と向き合ったのに、その2人のためにも、私たちのためにも1番良い結果を望んでいるのに、正午に対する愛おしさがこみ上げて決断を鈍らせてしまう。相手を思えばこそ当時の私たちには終わらせること自体が罪だと思っていたのかもしれない。やがて2人で出した答えが正午の高校生活最後の日だったというわけだ。

 村田正午。私は高校の時の恋人の名前を今でも覚えている。



「向こうに行っても会えるのかな」

 夕暮れの藍の中、部屋にいても少し冷えるようになってきた。寒いのはけして嫌いではないけれど、ベッドメイキングを崩すにはまだ早い。

 ショールでもかけようか。


 ベッドの上で転がりながらメールする。送ったメールにはどうやって会うかじゃなく、ただ単純に向こうで会えるのか。私たちの恋には続きがあるのかという意味を込めた。正午から高知行きの話を聞いた時からもうすぐ2週間になるけれど、どうしたいかはまだ聞いていない。何なら遠距離だって構わない、私はそれでも会って欲しかった。

「もちろんオレはそのつもりでいるよ」

「じゃ、付き合うの?」

 そうだよ。当たり前じゃん。と返ってくる。

 どのくらいの気持ちで言ってくれたのだろう。

 

 ミカが良ければ。そう言ってくれたら私だってケンカも吹っかけられたのに。「その程度だったんだ」とか「私がイヤだって言えば別れるの?」とか感情の沸点の低くなった今の状態なら言えるのに…別れるという選択肢が正午にはないようだった。

「遠距離って大変だよ?」

 なぜか未来の声がした。

 そうか、そういう意味だったのか。

 ふと腑に落ちた気がした。


 フミカ三姉妹は全員、中学が違う。芙美子は桜木町の方だったし、未来は戸塚の方だった。

「中学ン時ね、うちのクラスに教育実習の先生が来たの 悠介っていう」


 未来が悠介と呼び捨てる教育実習の岡本先生は、未来が中学2年の頃22歳だった。珍しく芙美子が機嫌よくて、昼食の時3人で恋バナに花を咲かせていた。

「悠介? 何、恋人になったの?」

「んー…生徒以上恋人未満?」と首をかしげてニコッと微笑んだ。

「そりゃあさ、社会科の鈴木とか、音楽の吉野とか教師を陰で呼び捨てにするのは普通だけど、下の名前で呼ぶのは普通、親密な関係だろ。ミカとか未来と一緒で」

 

 頷きながら私は未来を見た。私も小宮さんとか細田さんとか今さら呼ぶことはもうないだろう。男子はどうかは知らないけれど、女子高生の私たちには考えられないことだった。それに好きな人に下の名前で呼んでもらえるのは、彼の「特別に」なれた気がして、私は嬉しかった。


「歳がそれほど離れてなかったからかな。他の先生がいる所では岡本先生とか悠介先生とか呼ぶんだけど、そうじゃない時は男子も女子もみんなユウスケ~って呼んでた。悠介も鷹揚に呼んだかぁ?って応えてたし」

 覚えてはいないけど教育実習っていうのは2,3週間だったはずだ。そんな短い期間でそれほど溶け込めるほど、魅力的な人だったんだろうか。


 担当教科は数学で、元々の教科担任である大島先生はやったらやるだけで終わるベテランの国語教師と違って、理解できないでいる子のために授業を途中で止めることはなかったけれど、「分からない人はあとで職員室まで来なさい」と言ってくれ、数学嫌いだった未来は別の女子と一緒に、あるいは不得意の未来でさえ分かるほどのバカ男子と一緒に職員室授業を受けに行った。

 

 基本的に複数人で受けに行くことが決められていたから、悠介が1人を受け持てば空いたほうの生徒は別に、職員室に居合わせた畑違いの教諭が面倒を見てくれたという。その職員室授業を岡本先生に受け持たせた。学級経営や教材について他の先生と話している所へ恐る恐る入っていくけれど、「あ、南條さんたち。ちょっと待ってね。今ここ片すから」と男子は君付けで、女子はさん付けで呼んですぐに応じてくれた。大島先生も前からそういう応対だったから、他の先生は教育実習生が担当になっても「ちゃんと勉強しなさいよ」と軽くつつかれるくらいで快く席を外してくれた。

「いつもジャージ着てるイメージがあった体育の西口先生の方が悠介より解りやすかったのには笑ったけどね」

 と、スイーツを食べている時の笑顔そのままにトマトを頬張った。


「そんなだったから、職員室授業の時が1番悠介と話せるシチュエーションだったんだよね」 

 もちろん勉強がメインだったけど。そう言ってカラッと笑った。

「そのうちに、こんな笑顔だったんだ。迷うなら1回やってみようが口癖だとか、ペンを片手でクルクル回すのがカッコ良かったとか…発見して」

 それからはふわふわした気持ちが手伝って、数学がだんだん出来るようになってきたという。


「あ、それ。分かる。私も球技は興味なかったんだけどね。正午がバスケ部でしょ? だからスラムダンク読んだりしたよ」

「わざと延長戦に持ち込んだアイツね」 

 腕組みをしてニヤッと芙美子が笑いかけてくる。それは見た目の話であって、どんな選手をも凌駕する漫画ほどの技術もカリスマ性もない。

「ウチのことはいいのよ」 口が滑って出た言葉に「ウチだって」とからかわれてしまった。

「今は未来の話でしょ?」 食べかけたパンを牛乳で流し込んだ。この頃、お弁当だけでは少し物足りなかった。

「それ以来悠介がいなくなっても数学は努力できた。大島先生も嫌いじゃなかったしね」


 それでも時は無情に過ぎる。岡本先生を見ていられるなら大人になれなくてもいいやと思うほど好きだった。

「そんなことしたら、永遠に片想いなのにね」と未来。


 3週間という時間も終わってみればあっという間だった。

「2年1組の皆さん、そして担任の新山先生。3週間ありがとうございました。かくいう先生もこの学校の卒業生です」

 心ない男子が「まだ先生じゃねぇだろ~」と揶揄した。未来はキッとそいつを睨んだが、何も言わなかった。突然の音が病むのを待っていただけのように岡本先生は穏やかに続けた。


「その通りです。私はまだちゃんとした教師ではありません。全校集会の時にもお話したので沢山は話しませんが、それでも2年1組の皆さんが分からない所を悩んで解こうとしている姿や、一生懸命ペンを走らせているのを見てやはり教師という職業に就きたいと改めて思えました。それも皆さんのおかげだと思います。またどこかで、今度は本当の先生として会えたら嬉しく思います。3週間ありがとうございました」

 

 その挨拶の後で、前の黒板を背景に全体写真を撮った。

「岡本先生を真ん中にするんだけど、男女入り乱れて何が何だか分からない整列になっちゃんだよ。平塚はふざけるし」 所々知らない名前を出しながら、懐かしそうにしゃべっていた。

「デジカメで撮ったんだけど、三脚ないの~。ねぇよ~。って感じでワイワイしながら、誰かが交替で写真を撮ったの」

「早く未来出てこいよ」と芙美子が急かした。


「でね。メールとかで送れば簡単だったけど、それじゃ寂しいから南條さんとか他の女の子に協力してもらって、あとで色紙付きで先生に送ろうっていう話を作って、先生の所に届けようと思ったの」

「それはどうかな…」 

 思わず私は言ってしまった。

「うん、ダメだった。新山先生に預けておいてくれれば、いつか受け取れると思うよ、ありがとうって言われちゃった」

「まだ好きなの?」

 ほんの少し泳いだ未来の目は、岡本先生への気持ちを隠せなかった。

「だから、余計にかな。お嫁さんが笑顔になれるお仕事がしたいの」

 


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