03 奥手な人間
花街。
そこは待合茶屋に芸妓置屋、料亭が立ち並ぶ地域の総称で、芸妓や遊女の集う場所。
女が集まれば男が群がり、常に恋の駆け引きが行われている。
「また此処か!」
恋の駆け引きなど無縁の小頭にとって、花街に足を踏み入れるのは仕事以外の何物でもない。
「今度は違う店だ」
先日、ウサを見つけた場所は待合茶屋だった。
その前は料亭。その前は…と、ウサは花街の住人かと思えるほど、この場所に根付いていた。
それもこれもウサの大好物な女が居るため。
今日は事もあろうに、芸妓置屋に居るらしい。
ロウの鼻がそう言っている。
「い、い、い、い、行くぞ!」
女にあまり免疫のない小頭だが、これも仕事のうちと頭を切り替え、左脇に刺さる三尺棒に手を添えて、置屋の玄関を入る。
その後を音もなく、ロウが続いた。
「たぁ…頼もう!!」
それは違うのでは? と思ったロウだったが、小頭の張りのある大声に驚いた女将が飛び出してきたので、結果小頭の声掛けは間違っていなかったことになる。
「これはこれは邏卒様じゃあ御座いませんか。夕刻にはまだ早う御座いますよ。ああ、わざわざ置屋に足を向けてくださるってこたあ、お忍びで御座いましょうかねえ」
女将は店先で膝をつき口に笑みを称え、小頭に問い掛けた。
小頭は黒の詰襟に洋装のズボンとブーツを履き、頭には帽子を被って小脇には三尺棒を携えている。
その出で立ちは一目で邏卒と知れ、同時に大政官布告の力によって取り締まる事ができる立場であることを知らしめている。
何かと悪事が有る者ほど、目をつけられないようにしたいと考える本性が、この置屋の女将のように人を低姿勢にさせる。
「否、女将。人探しだ」
凛としたこの声に、女将が引きつった笑みに変わるのは、心にやましい事がある証拠。
訳あり女を囲うには、この置屋と言うものは非常に便利だった。明治維新の混乱に乗じて誘拐され、女衒によって売り飛ばされた娘も少なくない。
この置屋にはそのような人物も含まれている。
「一体、誰のことで御座いましょう? ここに居る芸妓は皆、身分もお家も分かって…おーっととと、旦那! 困ります、横暴な!」
話の途中で勝手に家に上がったのはロウだった。
端から女将の話など聞く気はない。
「こら、ロウ! 何をしているんだ!」
女将と同じく慌てる小頭が声をかけて、先を行こうとするロウの肩を掴むが、ロウはそれを紙一重でかわす。
掴み損ねた小頭は蹴上がりに膝をついてロウを見上げた。
「小頭殿、時間が無い」
言われて小頭は、胸元から懐中時計を取り出して確認する。
「おお、こんな時間か!女将、失礼する」
小頭は急いでブーツを脱ぎ捨て、店の奥へと勝手に進んで行くロウを追いかけた。
「お、お待ちくださいな!!」
女将がその後を急いで追いかけるが、そこは女と長身男との体格差。
足の長さが違うため、容易に追い着くことは出来なかった。
「ちょいと、おまえたち! あいつらを捕まえておくれよっ!」
まだ日中なので家の中にいる芸妓たちに女将が声を掛けるが、滅多に見られない良い男が二人も日の元で見られるとあって、芸妓たちはきゃあきゃあと騒ぐだけ。
止める者は誰一人として居なかった。
ロウたちは女衒によって連れて来られた娘たちに目もくれず、一つの襖の前に立ちはだかった。
「此処か?」
小頭の問いに、ロウが黙って首を縦に振る。
「よ…よし!」
小頭は両の拳を握り締め小さく気合を入れてから、叩きつけるようにして勢いよく襖を開いた瞬間、そのままの勢いで襖を閉じてしまった。
ようやく追いついた女将につられるように、芸妓たちも襖の前に群がり、硬直している小頭を見上げた。
背後から見てもわかるほど、小頭の耳は真っ赤に染まっている。
ロウだけが状況を把握していた。
「暫し」
そう言ってロウは小頭の横から事もなく襖を開けて中に入り、他の侵入を阻止するように、襖をピシャリと閉めた。
小頭はロウの意図を組んで襖を背にし、仁王立ちとなる。
「そこは物置ですよ?」
女将が不思議そうに小頭に問いかけると、小頭は先ほどの情景を思い出して更に顔を赤らめ、娘たちを見ないように斜め上を見ながら答える。
「その…此処に探し人が居る故、しばし時間を!」
完全に声が上ずっている。
赤らさまにおかしな態度を取られているのだが、女将は邏卒に逆らうことはできない。
「おまえたち、そろそろ時間だろう! 準備をおしっ!」
女将の言葉に娘たちは一斉に不満の声を上げるが、置屋の女将は母親と同じ。
娘が母に抵抗することは出来ず、皆一様に小頭をちらちら口惜しそうに見ながら去って行った。
「人払い、感謝する」
女将に一礼をしながら感謝の意を伝えた素直な小頭に、女将は「あら」と、娘時代に置いてきてしまった感情をじわじわと思い出していた。