02 人間の友
東京府屯所。
明治維新によって幕府が解体され、街の治安を守るための新しい組織、“邏卒”が作られた。
邏卒の拠点となる場所は屯所と呼ばれ、東京府には延べ三千人が各屯所へと配属されていた。
この邏卒は政官布告の元、治安を守るために取り締まれる強い権利を持っているが、まだ出来たばかりの不安定な組織は、統制を整えられないでいた。
「ウサ! ウサは何処だ!」
邏卒の制服である黒い詰襟を着た小頭は、屯所内を声を上げて歩き回った。
「これはこれは邏卒曲馬団の小頭殿。また猛獣が脱走しましたかな?」
「それならいっそ、小屋にでも入れて置けば良いものを」
「残念ながら、ここには兎小屋はありませんからなあ! あはははは」
小頭が同じ服を着た輩にからかわれる事に慣れてしまったのは、少し目を離した隙に部下のウサが居なくなる事が日常茶飯事だから。
小頭には、ウサの脱走に気付けない落ち度があった。
「御尤も。小頭なればこそ、珍獣を扱えないとは誠に恥ずかしい限り」
組織の底辺に居ながら、二十歳という若さで “小頭”という役職を与えられたのは、人間と獣の性質を併せ持つ“半獣”を部下として捕物を行うためについた肩書であり、曲馬団と揶揄されるのも当然のあだ名だった。
小頭を笑うつもりで見下した言い方をした同僚たちは、素直に非を認める小頭に対して、次の言葉を用意していなかったため言いよどんでしまった。
気にする事なく、小頭は声をあげた。
「ロウ!」
「此処に」
まるで忍者の如く気配なく、ロウと呼ばれた着流しの青年が、小頭を非難した同僚の背後に立っていた。
彼らよりも頭一つ大きく見えるのは、長身のせいだけではない。
見事な銀髪の天辺に二つの尖った狼の耳があるせいで、余計に大きく見えている。
半分人間で、半分獣の証し。ロウは狼の半獣だった。
「いつからそこに!?」
「相変わらず気配のない不気味な奴め!」
そんな暴言を吐く小頭の同僚たちを、ロウは見下すように黄金の瞳で威圧する。
その、人に在らざる獣の威圧感に同僚たちがたじろぐ中、威圧などと思っていない小頭は平然と言葉を発した。
「もうそろそろ巡回の時間だと言うのに、ウサがまだ見えぬ。すまぬが探すのを手伝ってくれ」
部下に対して素直にお願いをする小頭に、同僚たちはまた口々に卑下した言葉をぶつけようとしたところで、背後から感じるロウの唯ならぬ威圧感に勝手に冷や汗が出ていた。
「わかった」
わざと笑って見せたロウの口元から大きな二本の牙が見え、同僚たちはそれを目の当たりにすると、一目散にその場から逃げて行った。
「ロウ、相変わらず笑い方が不気味だ。皆、逃げてしまったではないか」
「半獣故、真人間と関わるつもりはない」
ロウは冷たく言い放ち、スタスタと歩き始める。
小頭がその後を追う。
「…小頭殿以外は」
「ん? 何か言ったか?」
ロウの小さな呟きは小頭に届く事なく、屯所の雑踏に消えてしまった。
小頭がロウと歩幅を合わせ、並んで同じ速度で歩く。
屯所の中でもずば抜けて背の高い青年二人が並んで歩けば目立つというのに、ロウは半獣のため、必要以上に注目を浴びてしまう。
屯所で働く半獣は狼のロウと、脱走中の兎のウサの二人だけ。
人に愛嬌を振りまくウサと違って、ロウは人間と関わりを持ちたくないと考えている。
かと言って、狼として生きることはできない。
ロウは自分を不気味がらず、友のように接してくれる小頭だけが、心を許せる唯一の存在だった。
だから小頭が邏卒に選ばれた際に、小頭の手足となると決めた。
「さっさと馬鹿兎を捕獲する」
さっきとは違い、今度ははっきりと小頭の耳にもその言葉は聞こえた。
小頭がロウの横に並んでいるからだろう。
「うむ。やっぱりロウは頼れる友だ!」
小頭は歩きながらロウの肩を抱き、少年のような笑顔を向けた。
ロウはこの何気ない言葉や態度をとってくれる小頭だから、そばに居られるのだと改めて実感していた。