12 守る力
長屋の屋根の上。
カンカンと物がぶつかる音が早朝から木霊している。
それと同時に伝わる荒い息遣い。
「はあはあ……」
「休んでる暇はない」
肩で息をしているウサを、ロウが屋根の端まで追い詰める。
「強くなりたいんだろ」
ウサは鋭い眼光をロウに向けた。
その赤い虹彩の中にある瞳孔は縦長。
手には銀灰色のナイフを持っていた。
ウサはロウに命を狙われたあの日から、少しずつ変わっていった。
人間を知るためと称して通っていた花街への外出時間を少なくし、その分ロウに戦い方を習っている。
いくら小頭に『そのままで良い』と言われても、人の理性として小頭を守るための力が、獣としてロウの暴走を止められるだけの力が欲しかった。
「なり……はあ……たいん、よ……」
息を乱しているウサに対して、ロウが手にしているのは身の丈程の角材。
そこいらの道端に落ちているものだった。
瞳も牙もそのままで、どこも獣の部分は出ていない。
ロウは角材の端で屋根をコンコンと2回叩くと、それが合図とばかりにウサが自慢の脚力で飛び出してくる。
来るのがわかっていたロウが角材で防御の姿勢を取るが、さすがのロウでもその健脚の強さに押し切られて、少し後ろに下がった。
「足はなかなかだな」
歯を食いしばって力を入れているウサと対照的に、ロウは少しニヤッと笑った。
次の瞬間、ロウの黄金の虹彩の中にある瞳孔がすっと細められる。
今までのウサならそこで怯むが、より一層力を入れてロウを押し出そうとした。
「ただ、それだけ」
ロウがぐっと力を込めて角材を振り上げると、ウサのナイフは宙を舞い、長屋の屋根に刺さった。
「あ」
ウサが慌てて取りに行こうとして動きを止められる。
喉元には角材の端が当てられていた。
「武器が無くなったからと言って直ぐに取りに向かうのは愚の骨頂。相手の隙を伺え。お前の脚ならそれが出来る」
貶されているのか、褒められているのか。
ウサが言葉を発しようとしたところで、下から大きな声がかかった。
「ロウー! ウサー! 朝飯が出来たぞ! 下りてこーい!」
小頭の声だった。
周りに子どもたちも居る。
朝の日課になってきた二人の戦闘を見ていたのだ。
「えー、もう終わり?」
「もっと見たいよー」
小頭は子供たちと視線を合わせるようにしゃがんで、一番幼い子の頭を撫でた。
「今日はここまで。お前たちも飯食って、彼奴等みたいに大きくなれよ」
撫でられた子供は「うん!」と満面の笑みで答える。
そこにロウとウサが屋根から飛び降りて来た。
子供たちからすれば大木のように大きな二人。
子供たちははしゃぎながら二人に飛びついた。
「こらこら」と言いながらも、小頭は笑っていた。
ロウもウサも嫌がる素振りを一切見せず、無邪気に戯れてくれる子供と遊んでいるからだ。
「ほーら、みんなもご飯にするんよ。あちしも腹ペコなん」
ウサが肩車をしていた子供を下ろして、母親の元に戻るよう促すと、ロウも体によじ登っていた子供たちをはがして、丁寧に地面へ下ろしていく。
「賑やかで良いんよね」
笑顔で自分の家に戻って行く子供たちを見て、ウサが嬉しそうな顔をして言った。
半年前まではこんな光景があるなんて知らなかった。
人々が自分を半獣であると知りながらも受け入れてくれる。
ただそれだけの事がこんなにも幸福であると、ウサはしみじみと感じていた。
ロウがそっとウサの頭を撫でた。
「……最近のそれ、何なんだ?」
変わったのはウサだけではない。
ロウがやたらと小頭とウサの頭を撫でるようになった。
小頭にその意味はわからない。
しかし、ウサは同じ獣として薄々感じていた。
それは毛繕いの一種。
愛情を相手に示す行為。
押し込めていた獣の部分を少しずつ出し始めたロウに、ウサは嬉しそうに目を細めた。
「いいんよ、わからんで。ね、ロウ?」
「……」
ロウは無言で長屋の小頭の家に向かっていく。
その顔は少し照れているように見える。
「今度は小頭がロウの頭を撫でてやるといいんよ。きっと喜ぶんよ」
「大人の男の頭を、か?」
小頭が驚いたように聞くと、「そうなん」と言ってウサが答える。
相手は人であり、獣でもある。
人は理性があるために行わない行動でも、獣では必要な場合があるのは、半獣同士の戦いを見ても分かる事だった。
小頭は少し考えてから「そうだな」と返事をして、ロウに駆け寄り後頭部をわしゃわしゃと撫でてやった。
驚いた顔をしたのは小頭だった。
ロウが気持ち良さそうなうっとりした目で小頭を見たからである。
「なっ……」
「さあ、今日のご飯は何だろなんっ♪」
ウサは二人の間に飛び入って、肩に腕を回して歩み出る。
『幸せに暮らしてくれれば良い』
ウサの頭の中に、小頭に掛けてもらえた言葉を思い出した。
狭くて貧しい暮らしかもしれないけれど、それ以上に、今までの感じたことのない暖かさを与えてくれる二人に、ウサは幸せを感じていた。
だからこそ、二人とこれからも歩めるように、強くなりたいと願う。
狩るための力ではなく、大切なものを守る力。
ウサは獣としてではなく、人として二人を守りぬく力を手に入れるため、今日も明日も、自分自身と戦うことを自分に誓っていた。