私が気にしていなければ悲劇になりません ~ドアマット令嬢は役割を終え、自分の人生を歩きます~
十六になったばかりの妹が嫁ぐことになった、私の元婚約者のもとへ。
「お姉さま、わたし幸せになるね」
そう言って微笑む妹は、まるで略奪したとは思えない幸せそうな笑みを浮かべていた。
ベルフォール伯爵家の影の薄い長女。それが私だった。
四歳上の優秀な兄レアンドルと、兄からも両親からも溺愛される可憐で病弱な一歳下の妹エメリアに挟まれた私はいつも後回しにされていた。
五歳の頃、熱を出しお母様に会いたいと乳母に駄々をこねたことがあった。
乳母は侍女に伝えたが、帰ってきた言葉はエメリアが熱を出したからわがままを言わないようにと叱り付けるものだった。
その時脳裏によぎったのは、この世界では私はそういう役割なのだということ。
脳内の私曰く、ドアマットというらしい。
役割なのだと考えれば私を見ない家族にも寂しさや悲しさを感じなくなった。
八歳の頃にはこれが前世の記憶だと気付き、それからは前世の記憶を頼りに動いた。
乳母がついているうちに色々な事を学んだ方が良いこと。
そのうち侍女達も妹に取り上げられる可能性があるから自分の事は最低限できるようになること。
食事を忘れられる可能性もあるから今から厨房のメイドと仲良くなっておくこと。
婚約者を妹に取られることもあるから、最初から期待しないこと。
将来家を出て働けるように就職先を探すこと。
そして、それらは悲しい程役に立った。
私の八歳の誕生日、エメリアが高熱を出し誕生日会は中止になった。
乳母は両親のあまりの無関心ぶりに執事に頼み込んでメイドとして屋敷に残ってくれた。
そして乳母と二人きりの誕生日パーティーもこれで六回目。
「今年も二人きりですね」
「でも私はこの方が好きよ」
今年も家族に忘れられた私を憐れむ乳母に笑って返す。
けれど厨房から持って来てくれたケーキとご馳走は、どれも妹の好物ばかりだった。
翌朝、熱の下がったエメリアの手には愛らしいクマのぬいぐるみが握られていて、談話室の暖炉では私宛のメッセージカードが燃やされていた。
「エメリア、可愛いぬいぐるみね」
「お母さまが、元気になるようにってエメリアにくれたのよ」
「クラリス、妹の物を取り上げようとしてはいけないよ」
「何も言ってないわお兄様」
兄にとって私は我が儘で末の妹に嫉妬ばかりしている手のかかる妹という認識らしく、いつもエメリアをかばい、私を窘めるような言動ばかりするようになった。
八歳になったばかりの妹に言う事ではないし、そもそも妹の誕生日くらい祝ったらどうなの、とも思うけれどこの世界での兄はきっと私と同じでそういう役割なのだろう。
「クラリス、あなたももう八歳なのだから専属のメイドをつけるわ。いつまでも平民の乳母を側に置くわけにはいかないわ」
「お母様は私の誕生日を知っていたのね」
「昨日でしょう?」
不思議な事を聞くのね、という表情の母により私は誕生日プレゼントの代わりに気心の知れた乳母を失った。
そして自分も専属のメイドが欲しいと言い出したエメリアのメイドを選ぶことを優先し、私のメイドの話はいつの間にか無かったことになっていた。
◇
「クラリス、お前の婚約が決まったぞ」
「え? エメリアではなく、私ですか?」
「そうだ。バロウ子爵の次男フェルナンだ」
父がある日思い出したように私に持って来た縁談。
まだ私の事を覚えていたのかとか、妹より私の縁談をまとめるなんてと思いもしたが、相手を聞いて納得した。
子爵家の次男なら養子にでも入らない限り継げる爵位は無い、つまり平民と変わらない。
「先方は持参金無しでも良いと言ってくれたんだ、そんな不満そうな顔をするんじゃない」
「私の持参金はどうするつもりですか?」
「もう無い。エメリアの治療費に消えた」
「あぁ、そういうことですか。分かりました」
バロウ子爵家は商人で成り上がりの新興貴族、伯爵家の長女が嫁ぐ相手としては一段劣るがエメリアの治療費の資金提供を受ける約束でもしたのだろう。
元々結婚に興味はないし、就職して家を出るつもりの私からすればエメリアこそバロウ令息と結婚すればいいのにとしか思わなかった。
そしてバロウ令息も私よりエメリアと婚約したかったようだ。
「お姉さま、フェルナン様からお花を頂いたの」
「すまないクラリス、エメリアにねだられるとどうしても断り切れなくって」
私宛に持って来たであろうピンクのバラの花束を嬉しそうに受け取るエメリアの顔には悪意の欠片も無い。
すまなそうな発言のわりに鼻の下が伸びてるバロウ令息は兄の一つ上の二十一歳、十五歳のエメリアに熱を帯びた視線を向ける姿はどう見ても紳士的とは言えない。
そしてこれが毎週のように我が家で見られる光景だった。
「今度クラリスには深紅のバラを送ろう」
「結構です」
(これと結婚する羽目になる前に早く家を出なきゃ)
◇
「さすがにまずいわ、デビュタント用のドレスを買うお金が無いなんて」
十七歳になった私と十六歳のエメリアは、揃って社交界へ出ることになった。
けれどすっかり家族から忘れられた私には、格式の高い夜会に着ていけるドレスが一着も無い。
普段着は割り振られた予算の中から既製品と古着でごまかしていたけど、今回ばかりはそうはいかなかった。
予算の増額をお父様に頼もうと談話室に向かうとそこには、私以外の家族がそろっていた。
「お姉さま見て! お父様がお土産に買って来てくれたの。隣国のパールとピンクサファイアですって!」
母の首元にはパールのネックレスが、兄の手には宝石があしらわれた万年筆が、そしてエメリアの髪には美しい髪飾りがつけられていた。
いつもの事ながら私には無い。
「素敵ね、デビュタントでつけたらきっとエメリアは注目の的よ」
私のドレスや装飾品との差でね。
「クラリス、部屋から出てくるなんて珍しいな」
「お父様にお願いがありまして、デビュタント用のドレスを仕立てるお金がありません」
「何かと思ったら……いったい何に使ったんだ、お前には十分に予算を渡していただろう」
貴族の生活費としては全く足りない子供のお小遣いの程度の予算、一体お父様はいくら渡しているつもりだったのだろう。
「ドレスは仕立てて着ていない物があるだろう? それを着なさい」
ドレスなんて何年も仕立てていない。
今着てるドレスだってエメリアと並んだら侍女にしか見えない。
ただでさえ伯爵家は娘を平民に嫁がせるなんて陰で言われているのに、社交界デビューをさせる気も無いなんて。
(この事が外に漏れたら間違いなく他家から侮られるけれど、この人たち大丈夫かしら)
他人事ながら心配になった。
結局ドレスはクローゼットに仕舞ってあったおばあ様の形見を仕立て直すことにした。
レトロ、と言うには少々時代遅れなドレスとくすんでしまった貴金属を。
妹の採寸の為にやってきた仕立て屋の馬車を窓から眺めつつ、私はせっせと糸を解いた。
◇
「お姉さま、私なんだか見られてるようだわ」
「エメリア、あまりはしゃぐとまた倒れるわよ」
頬を桃色に染め初めての夜会に興奮気味のエメリア。
シフォンを重ね胸元が大胆に開いた純白のドレスは両親が用意した真珠のネックレスがよく映える。
真珠とピンクサファイアをあしらった髪飾りの華やかさも伯爵家がどれだけエメリアを大事にしているかよく表れている。
対して私が着ているのは首から手首までレースで覆われた、妹のふんわりしたドレスとは正反対の質素でくすんだドレス。
けれどこのドレスならアクセサリーもイヤリングと髪飾りだけで済む。
「エメリアは本当に美しいわね」
安上がりで古ぼけたドレス姿の娘を見ても何も思わないお母様は、他の婦人達が呆れ顔を向けているのにも気付かずエメリアの美しい姿しか目に入らないようだ。
そしてそれはバロウ令息も同じで、迷うことなくエメリアへと手を差し出した。
「クラリス、すまないが今日はエメリアと踊ってもいいだろうか?」
「エメリアとですか?」
「エメリアは初めての夜会だろう? なら気心の知れた私の方が良いと思わないかい?」
「クラリス、譲ってあげなさい」
私も今日がデビュタントなのだけれど。
たぶん、この家では違うのだろう。
(私が前世を思い出さなければ、クラリスはどうなっていたのだろう)
ホールの真ん中で姉の婚約者と踊る妹を見ながらふと思う。
妹は何故こんなにも愛され、クラリスは放っておかれるのだろう。
小説でよく見たドアマットヒロイン達はそれぞれ幸せになっていたけれど、前世の記憶が無かったらクラリスは幸せになれたのだろうか。
そう思案していると、艶やかな黒髪と美しい所作の男性に声をかけられた。
「ご令嬢、よければ一曲お願いできますか?」
「あなたは?」
「エラルド・サンクレールと申します」
「まぁ、サンクレール伯爵家の方でしたか。宰相府に優秀な事務次官が入ったと伺っておりますわ。私はベルフォール伯爵家の長女、クラリスと申します」
彼に差し出された手を取りホールへ向かうと、バロウ令息が驚いた顔でこちらを見ていた。
「あちらで踊っているのは噂の妹さんですか?」
「どんな噂ですか?」
「ベルフォール伯爵家の奔放な末娘は男と親しくなるのがお早いようで、そう皆が囁いてますよ」
我が儘娘が姉の婚約者を寝取った。
思ったより噂が流れるのは早かったらしい。
まぁデビュタントの婚約者を放ってその妹と踊りたいと言い出す浮気男と、その手を取る妹では遅かれ早かれ社交界の噂の的になっていただろう。
「それにしてもずいぶん可愛らしいカーテシーでしたね」
「妹は病弱で箱入りなんです。あれでも礼法は上達したのですよ」
「いいえ、貴女の方が美しかった」
目が合う。
彼の金色の瞳は、真っ直ぐ私だけを見つめていた。
「……エラルド様は妹に興味は無いのですか?」
「貴女はいつも社交シーズンが終わると図書館に来ていたでしょう。ずっと忘れられなかったんです」
早く家を出たくてずっと勉強していた姿を誰かに見られていたなんて。
「どれだけ派手な宝石で着飾っていても、洗練された振る舞いと清楚な貴女の方が美しいのですよ」
そう言った彼を、私は家に帰ってもまだ忘れられずにいた。
◇
社交シーズンも終わり家族は保養地の別荘へ向かった。
もちろん私は忘れられて留守番。
けれど今年は就職活動というやることがある。
「と思ってたんだけどなぁ……」
ひと月も経たずに王宮からの採用通知を、わざわざ家まで来たエラルド様から手渡された。
そこには確かに王城の女官として採用すると書かれていた。
おそらく彼が裏で手を回したのだろう。
「私は欲しいと思ったものは全て手に入れないと気が済まないんだ」
彼の瞳はあの日と同じように私だけを見つめている。
さすがに私でも分かってしまう。
「あの日の夜会で、私は貴女から目が離せなかった。そして今この時も」
「……ずいぶん熱烈なプロポーズですね? 私には婚約者がいるんですよ」
「それもすぐに破談になるでしょう。保養地へは貴女の婚約者も同伴してるようでしたし」
「は?」
それはさすがに知らなかった。
「知らなかったのですか? 婚礼前の婚約者の妹と旅行に行った、と既に王城の婦人達の間でも噂になっていてバロウ子爵が頭を抱えていましたよ」
「バロウ令息と違って親の子爵はまともなんですね」
「気にする所はそこですか」
「子爵が気にしているのなら向こうから婚約者の変更を申し出てくれそうですし、これで気兼ねなく王城に出仕できます」
やっと役割の外に出られる。
名前も覚えていない令息よりも自分の将来の方が大事だった。
◇
そうして家族と共に帰ってきたバロウ令息から予想通り婚約破棄を言い渡された。
「すまないクラリス、やはり私の心はエメリアにある。婚約を無かった事にしてくれ」
令息は旅先ですっかり仲が深まり気持ちが傾いたこと、病に倒れたエメリアを支えていきたいという事を大仰に語る。
「エメリアもバロウ令息を好いていましたし、いいんじゃないですか?」
「君は私の事を好きではなかったのか?」
「え? そもそも父が勝手に決めてきた縁談ですし、最初からエメリアにばかり構っていた貴方のどこに惚れる要素が?」
そう返すとバロウ令息は顔を真っ赤に染めた。
「まさか私が惚れこんで婚約を結んだとでも思っていたの? まぁ、勘違いも甚だしい」
自分にベタ惚れの伯爵姉妹を手玉に取っているつもりだったのかしら。
儀礼的な付き合いも無かったのに、どこにそんな勘違いができる要素があったのやら。
「クラリス、あまりはしたない事を言うんじゃありません」
「母上の言う通りだよ。病弱なエメリアが嫁げる家は限られているんだ、姉なんだから我慢できるね?」
どう見ても妹に鞍替えした令息が悪いのに、まるで駄々をこねる私が悪いというように叱る母と兄にさすがに鬱陶しさを感じるようになってきた。
「わかりましたわ。冬が来る前にエメリアは嫁いだ方が良いのでは? また体調を崩しますよ」
さっさと嫁いでもらわないと私まで王城の噂の的になってしまう。
◇
秋の晴れた日、妹がバロウ令息へ嫁いでいった。
子爵からは私宛に慰謝料が送られ、令息と妹は子爵が用意した家に住み商会の仕事を手伝うそうだ。
しかし、妹が嫁いだ翌日、我が家では不思議な事が起こり始めた。
「そろそろ冬の夜会のドレスを仕立てる時期ね」
「エメリアはもう嫁いだので我が家が仕立てる必要はないのでは?」
「何言ってるの、あなたの話よ」
おかしな事に母が私のドレスを仕立てると言い出した。もう何年も忘れられていつも既製品を買っているのに。
デビュタントでの私の姿を忘れたのだろうか。
「冬の間は南の別荘に行こうか」
「湖畔の別荘ですか? 風邪をひきやすいエメリアの為に用意したものでしたね」
父が私を旅行に連れて行くと言い出した。
いつも忘れられる私はついて行かず、家に残り勉強に明け暮れていたのに。
「パティスリーの新しいケーキを買ってきたよ、好きだっただろう?」
「あぁ、エメリアがよくねだっていたケーキですね」
兄妹のお茶会に、私は参加したことが無いけれど。
そういつものように返せば両親も兄も何故か困惑したような表情だった。
憑き物が落ちたのか、エメリアという存在が家族の思考を少しずつ歪めていたのか、その姿はまるで魅了から覚めたようだった。
小説に出てくる魅了ってこんな感じなのかしら、そう思いながら私は愕然とする家族を置いて家を出た。
妹がいなくなってやっとドアマットの役割も終わった。
今日はエラルド様に、あの日の返事をしなくては。
今度は役割としてではなく、私自身の意思で。
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