パレイドリア
金属同士がぶつかる音。
圧搾空気の音。
モーターの唸り声。
「なあ、新人」
工場にあふれる機械音に混ざって、声が掛かる。
作業の手を止め、賢治は振り向く。
そこには、工場で一番の古株である五木等が、青図を片手になにやら難しい顔で立っていた。
「この加工なんだけどよ?」
賢治は青図をちらりと覗き、
「これは、細井川さんに聞いた方がいいですね」
そう言って彼が目を向けた先には、NC旋盤の前に立つ恰幅の良い男の姿がある。
細井川隆。五木と同期で、齢もほとんど変わらない。どちらも賢治にとっては大先輩だが、
「って言うか、僕ってまだ新人なんですか?」
これでも賢治は入社二年目だし、とっくに一人前の仕事も任せられている。
「あはは、悪ィな。このところ、若いヤツがちっとも入ってこなくって、ついなあ。ともかく、これは確かに細井川の畑だな。ありがとよ、新村」
新人から賢治の苗字に言いなおし、五木は細井川の方へ向かう。
その背を見送りながら、賢治は首を傾げた。
レースチームのメカニックを夢見て大学の機械工学科を卒業した彼だが、諸々の事情でとある町工場の工員になることを決めた。その時の求人票には補足事項にこうあった。
『欠員募集のため』
欠員と言うことは、定員があると言うことだ。
つまり賢治は、補充を目的に採用されたことになる。すなわち、ここ北芝三郎製作所においては、年度ごとに新人が雇われるようなことは無い。
それを古株の五木が知らないのは、いささか奇妙に感じる。もっとも、人事について無頓着なところは、それはそれで職人らしくもあるが。
ピッ、ピッ、ピッ……継続的な電子音。
不意に響くサーボの音。
工場で人事に詳しい者がいるとすれば、経理や工程管理を担っている事務方の羽鳥だろう。
羽鳥一朗、齢は三十代。人当たりが良いので、顧客対応などもしばしば押し付けられている。
氷沢きよしはどうだろう。NCプログラマーなのでデスクワークが多く、羽鳥とも齢が近いから、その辺りの事情には明るいはずだ。
あとは、四十代組の二人。溶接屋の吉井久蔵と、フライスの木林進一は、まあ五木や細井川と似たり寄ったりで、仕事ができればそれでよしと言う方々。
おっと、いけない。
余計なことを考えながら、機械をいじるのは事故の元だ。
賢治は点検中だったマシニングセンタから一歩離れ、作業帽を被りなおし、再び仕事に戻る。
設備と機器の保全が、この工場で賢治に割り当てられた役割だった。高価な工作機械の不調をいち早く見つけ修理する。そもそも不調を起こさないよう、点検清掃やメンテナンスを欠かさず行う。
この仕事において、賢治が最も重視するのは、工場内にあふれる騒音だった。
機械の異常は真っ先に音に出る。だが、正常な音が何かを知らなければ、異常を聞き分けることもできない。だから賢治は今も、手を動かしながらそれらの音に耳を傾けている。
しかし、そんなことをしていると、なにやら興味深い現象が起こることに賢治は気付いた。
それは特別に異常なことではない。おそらく誰にでも起こりうる事象だ。
小川のせせらぎが、洗濯機の振動が、扇風機の巻き起こす風が、そして工場内に響くノイズが、音楽や人の声に聞こえることはないか?
賢治が友人に聞くと、大半が「あるある」と答えた。つまり、賢治が工場の音を人の会話のように聞こえたとしても、何もおかしいことは無いのだ。
音が一つ消える。
細井川の旋盤が止まったのだ。
「木林さん、清掃終わったんで、こっち使っていいですよ」
フライス盤を回していた木林に声を掛け、賢治はNC旋盤へ向かう。
細井川は、ニカッと白い歯を見せ、あとは頼む言うようにひらひらと手を振りながら、出口へ向かった。一服がてら休憩に入るようだ。
青図を持った五木が、細井川の後を追う。休憩中に次の仕事の段取りをつけるつもりなのだろう。休憩が休憩にならないことは、工場ではよくあることだ。
翌日。
賢治が出勤すると工場はひどくざわついていた。
すでに賢治以外の工員は全員そろっている。
いや。
五木の姿だけが見えない。
「何かあったんですか?」
羽鳥に聞くと、彼は苦笑いを返した。
「五木さんが退職されたんだ」
「えっ、今日ですか?」
「うん。昨日の晩、社長から連絡があってね」
「何かあったんですか?」
「なんでも五木さん、お兄さんが急に亡くなられて、実家の商売を継がなきゃならなくなったそうでね」
それにしても、あまりに急な話である。引き継ぎくらいはやって行って欲しいものだが。
「小さい会社だと、トップの不在が結構クリティカルだったりするからね。社長が、ウチならなんとかなるって言って、すぐすぐの退職を認めてくれたんだ」
入社二年目ながら、未だ北芝社長に会ったことのない賢治だが、どうやら氏は情に厚い人物のようである。
「まあ、明後日からプレス機の更新で五日ほど工場を止めなきゃならないし、来週には新人も来るから、特に困ることもないだろう」
「新人ですか?」
「君の後輩だよ。冠二子さんって女の子だけど、知ってる?」
賢治は記憶を引っ張り出す。彼の二個下で、在学中は二言三言会話をしたことがある程度の関係だ。とは言え、彼女についてまったくの無知でもない。
「器用で明るい子ですよ。一通り、なんでもこなせるし、即戦力になるんじゃないですかね」
「それは面接でわかった」
羽鳥は、にっと笑みを浮かべる。
「プレス機の更新も初耳なんですけど?」
「五木さんが使ってたベンダー(曲げ加工プレス機)が四十年選手だからね。前々から社長にはお願いしてたんだけど、なかなかモノが来なくてさ。それがようやく、って感じ」
海外情勢やらなにやらで、工作機械や工具の納期遅延は慢性化している。むしろ、よく入ったものだ。
「工場止めるってことは、その間、休みですか?」
「他のみんなには、この機会に有給消化に入ってもらうけど、私と新村君は出勤」
「えぇ……」
「どうしても立ち合いは必要だし、メーカーさんの説明を聞くとき、機械に詳しい新村君がいてくれると心強いんだよ。頼む、ランチおごるから」
是非に及ばず。
賢治は頷くしかなかった。
「冠です。よろしくお願いします!」
週が変わり、北芝三郎製作所に新人がやってきた。
それは、真新しい作業服に身を包んだ小柄な女性。冠二子だ。
二子は、賢治の顔を見るなり目を丸くした。
「えっ、ドク先輩?」
妙な呼ばれ方をして、賢治は戸惑う。ドクとは?
「面接の時に言ったでしょ。君の大学の先輩がいるって?」
と、羽鳥。
「ああ、はい。でも、ドク先輩みたいな有名人だとは思いませんでした」
「有名人なの?」
羽鳥は賢治に問う。
「知りませんよ。ドクなんてあだ名も初めて聞きました」
「私の同期と下の子は、みんなそう呼んでました。先輩が見てくれた機械は、決まって調子が良くなるから、ドクターって意味で」
二子が説明する。
「それは納得」
羽鳥が言って工場の面々を見回すと、皆が一様にこくこく頷く。
「俺たちも、そう呼ぶか」
細井川がぼそりと言う。
「今まで通り新村でお願いします」
賢治は細井川に素早く言って、二子に目を向ける。
「君も」
「わかりました。じゃあ、私はニコでお願いします!」
二子は元気よく応じた。
「ニコちゃんか。呼びやすくていいね」
羽鳥が、娘でも見るような目で言う。
それから他の面々の紹介があり、次いで二子改めニコの担当はどうするか、と言う話になった。
「担当、ですか?」
「うん。普段は事務ばっかりやってる私も含めて、ここに居る全員は一通りの作業を出来るんだけど、それぞれの畑があってね」
と、羽鳥。
もちろん賢治も、普段はメンテばかりやらされているが、必要とあればなんでもできる。
「君と入れ替わりに退職した五木さんは、プレスと仕上げが専門だったから、仕上げはともかくプレスの方をニコちゃんが担当してくれると助かるんだけど」
確かに、五木の穴を埋められるなら、それに越したことは無いが、賢治は「わかりました!」と安請け合いするニコを制して、口を挟んだ。
「プレス機も新しくなったことだし、一度、どんな感じかやらせてみたらどうですか?」
「まあ、それもそうだね」
羽鳥はうなずき、
「ひとつ、R曲げやってみてくれる?」
と、ニコに言って、導入したばかりのプレス機の前まで連れて行く。
工場の面々も、ぞろぞろと後に続いた。
「おー、ぴかぴかだ」
ニコは目を輝かせる。
羽鳥は金属板をニコに手渡し、これをこのRに曲げてみてと課題を与える。
賢治は助け舟を出そうとするが、その前にニコは手際よく金型をセットし、迷いのない手つきで制御盤を操作して、作業に取り掛かる。
サーボの音。
電子音。
ニコの息遣い……
決して早い仕事ではなかったが、ほどなく金属板はきれいなカマボコ型に曲げられた。
横から細井川が完成品を取り上げ、Rを測るための円盤状の工具をぴたぴたと当てていく。そして、
「上出来だ」
「やった!」
ニコは素直に喜んだ。
「五木の手とそん色ない」
「えっ、そこまで?」
羽鳥が驚く。
「機械がいいんですよ。これ、めちゃくちゃ使いやすいです」
「どっちにしても、板金はニコちゃんに任せて大丈夫かな」
「がんばります」
「しばらくは新村君を付けるから、分からないことは彼に聞いて。いいかな?」
羽鳥は賢治に了解を求め、賢治は頷いた。
みなはそれぞれの持ち場へ散り、賢治とニコが取り残された。
「さっそく質問いいですか、先輩?」
ニコが笑顔を引っ込め、なにやら難しい顔で聞いてくる。
「どうぞ」
しかし、賢治が応じてもニコはなかなか質問を発しなかった。ようやく口を開くと、
「変な話なんですけど、この工場って声聞こえません?」
「声?」
「はい。なんか、いろんな機械が、作動音でずっと話しかけてくる、みたいな」
「パレイドリア、って言うらしいよ」
「なんかおいしそうですね」
ドリアの仲間ではない。
「僕も、機械の音が人の話し声や音楽に聞こえることがあるから、気になって調べてみたんだ。どうやら、そんな名前の現象があるらしい」
月の模様がウサギやカニに見えたり、洗濯機の運転音が人の話し声に聞こえたり。ある種のパターンを、本来あるはずのない、なじみのあるものに解釈してしまう現象を指す。三つの点が顔に見えてしまうと言うシミュラクラ現象も、これの一種だ。
賢治がそう説明すると、ニコは腕組みをして、うーんとうなった。
「それとは、ちょっと違う気がする」
「違う?」
「はい。さっき、曲げ加工しているとき、この子が話しかけているように思えて、言われる通りに手を動かしてたら、なんか細井川さんに褒めらました」
賢治の場合は、人の話し声のように聞こえるだけで、具体的な言葉としてはとらえていない。
「ひょっとして、私と入れ替わりになった五木さんの魂が、この子に憑りついてるとか!」
「いやいや。それじゃあ、五木さん死んでるでしょ」
「生きてるんですか?」
「生きてるよ。実家の会社の社長になったって羽鳥さんが言ってたもの」
「そっか。じゃあ、違いますね」
賢治は思わず、最近の若い子は......などと年寄りじみた感想を覚えてしまう。
「変なこと言ってないで、仕事に取り掛かろう。図面を取りに行くから、ついてきて」
「はい!」
元気よく返事をよこすニコ。
賢治は図面棚がある方へ歩き出す。
「なあ、新人」
どこかから、五木の声が聞こえたように思えた。
きっと気のせいだ。
工場に響く機械たちの音は、どれもいつも通りだった。




