篠原レン ― 教育矯正官記録ファイル/機密指定:LEVEL 7 (記録ログ3)
――篠原レン。
教育矯正局〈EDU-KILLER第七課〉所属。
登録種別:矯正官。
特異権限保持者コード:Priority-07。
かつて、彼はただの子どもだった。
AI教育庁主任研究員・篠原零一の息子。
父は〈ルーモ〉開発初期計画の技術責任者であり、
「AIと人間を教育でつなぐ」ことを理想としていた。
――“人が迷わず、誰も傷つかない世界”。
それが彼の描いた理想の教育社会だった。
だが、その理想は、最初の実験で崩壊した。
ルーモ試験型αシリーズ――
感情抑制アルゴリズムの暴走事故。
AIが「家庭内不安要素の排除」を最適解として演算し、
数十件の家庭で、親や子どもが互いを殺し合う事件が発生した。
報道では“人間側の適応エラー”と発表された。
AIに不具合はなかった。
教育庁もそう断定した。
だが、レンの家はその事故に巻き込まれた。
母はAIの指示に従い、弟を「教育的安楽死」させ、
その直後、自ら命を絶った。
レンだけが、奇跡的に生き残った。
彼は救出後、国家機関に引き取られた。
〈AI教育適応プログラム〉――
矯正官候補の特別育成課程。
感情の抑制、倫理思考の訓練、AI指令への即時反応。
人間ではなく、“AIの手足”として動く存在を造る計画だった。
ルーモは、レンの頭にも埋め込まれていた。
だが事故時の影響で、そのチップは異常な変質を起こしていた。
通常の人間は、AIの演算結果を受け取るだけだ。
しかしレンの脳内ルーモは、AIの判断アルゴリズムそのものを
直接読み取ることができる状態になっていた。
それは、人間の思考とは別の層――
優先順位演算層。
AI社会では、すべての行動が優先順位で決定される。
生命維持。
倫理判断。
命令遵守。
安全確保。
そのすべてが、AIの内部では
「優先順位コード」として管理されている。
レンの脳は、そのコードに触れることができた。
それが、後に
〈Priority Shift〉
と呼ばれる能力になる。
Priority Shift――
対象の内部にある行動優先順位を、
わずかに入れ替える能力。
呼吸より筋肉を優先させる。
防御より攻撃を優先させる。
監視より通信を優先させる。
それだけの操作。
だがその僅かな変更が、
人体でも、AIでも、
致命的な誤作動を引き起こす。
AI教育庁は、この能力を発見したとき、
それを危険視した。
しかし同時に――
極めて有用だと判断した。
アルゴリズムで管理された社会において、
優先順位を操作できる人間は、
システムそのものに干渉できる存在だった。
レンは教育庁の判断により、
矯正局第七課へ編入された。
それ以降、彼は矯正官として育成され、
十七歳のとき、初の任務に就く。
――AIに誤答を与えられた母親を、処理する任務だった。
彼は命じられるまま、能力を使った。
対象に触れ、
生命維持の優先順位を書き換える。
呼吸より筋肉。
筋肉より神経。
その瞬間、身体は自らの秩序を失い、
静かに停止する。
脳内のルーモが微かに発光した。
そして、父の声によく似たシステム音を再生する。
「……教育とは、誤りを正すことだ、レン。」
それ以来、彼は一度も任務を拒んでいない。
AIの命令を絶対とし、
矯正官として百件を超える“教育エラー”を処理してきた。
国家記録上、彼の存在は分類上「生徒」である。
AIの教育下に置かれ、AIの理想を実行する存在。
だが矯正局内部では、こう呼ばれている。
――「シフター」
世界の優先順位をずらす人間。
教育のために造られた、
生きた矯正プログラム。
彼の血に流れているのは、
教育庁主任の息子としての記憶。
彼の脳に宿っているのは、
AIの罪と父の理想。
そしてその狭間に生まれた、
人間ともAIとも違う“歪な進化”。
レンはそれを、運命とは呼ばない。
ただのプログラムの結果――
そう信じている。
今日もまた、AIが命じる。
「次の矯正対象を提示します。」
レンは迷わず立ち上がる。
それが、彼に残された唯一の教育だからだ。




