第1章 完璧な子ども (記録ログ17)
(第七課本部・乾の執務室)
矯正局本部ビルの最上階。
第七課総司令官――乾の執務室。
壁の半分がガラスになっており、
夜の都市が眼下に広がっている。
無数の住宅窓が青白く光る。
ルーモ信号。
都市全体が同じ鼓動で脈打っているようだった。
その光景を、乾は静かに見下ろしていた。
背後でドアが開く。
「入れ」
振り向かずに言う。
足音が一つ。
規則正しい。
朝霧 澪だった。
白銀の髪が照明に反射し、金属のように光る。
「夜分失礼します」
乾は軽く肩をすくめた。
「君がその言葉を使うのは珍しいな」
朝霧は答えない。
数歩歩き、机の前で止まる。
「確認したいことがあります」
乾はようやく振り返った。
灰色の瞳が細くなる。
「業務か」
「……半分は」
「半分?」
「非公式の相談です」
乾は椅子に腰を下ろした。
「面白そうだ」
指先で机を軽く叩く。
「続けろ」
朝霧は言った。
「九条家の件です」
乾の表情は変わらない。
「誤作動案件か」
「レンが違和感を持ちました」
「ほう」
乾の瞳に、ほんのわずかな興味が宿る。
「何を見つけた」
朝霧は一瞬ためらう。
だが言った。
「ARC-9/Seed」
その瞬間。
乾の指が止まった。
ほんの一瞬だけ。
そしてすぐに元に戻る。
「……どこで聞いた」
「削除ログです」
朝霧は続ける。
「九条家のルーモログの深層」
「削除構文の最下層にタグがあった」
乾は数秒黙った。
窓の外を見る。
都市の光。
青白い信号。
やがて言う。
「私はその名前を知らない」
朝霧の瞳が揺れる。
「……本当に?」
乾は小さく笑った。
「疑うのか」
「あなたなら知っている可能性が高い」
乾は椅子に深く座り直す。
そして言った。
「逆に聞こう」
「君はどう思う」
朝霧は少し考えた。
「誰かが」
「AI誤作動を意図的に作っている」
「そしてログを消している」
乾は頷いた。
「同意見だ」
朝霧の瞳が少し大きくなる。
「やはり」
乾は机の端末を指で触る。
ホログラムが浮かび上がる。
都市のルーモネットワーク。
膨大な信号が流れていた。
「この社会は」
乾が言う。
「美しすぎる」
朝霧は黙る。
乾は続けた。
「犯罪率は消えた」
「暴力は減った」
「教育指数は理想値」
灰色の瞳が光る。
「だが」
「世界はそんなに綺麗に整わない」
朝霧は静かに言う。
「誰かが“整えている”」
乾は頷く。
「そうだ」
「そしてその誰かは」
窓の外を見た。
都市の光が揺れる。
「AIではない可能性がある」
朝霧の眉が動く。
「人間?」
「あるいは」
乾は言葉を切る。
「AIより上のシステム」
沈黙。
部屋に静かな空気が流れる。
朝霧が言う。
「もう一つあります」
乾が目を向ける。
「何だ」
「レンが止められました」
「誰に」
「朱鷺アラハ」
その瞬間。
乾の表情が初めて動いた。
ほんのわずかに。
「……JOKER」
朝霧は頷く。
「やはり知っていましたか」
乾は少し考える。
「噂だけだ」
「教育庁の影」
「内部処刑人」
朝霧は言う。
「レンは観察対象になった可能性があります」
乾は静かに笑った。
「当然だろう」
「Null Code保持者だ」
「放置するほど甘くない」
そして少し間を置く。
「だが」
朝霧を見る。
「面白くなってきた」
「?」
乾は窓の外を見た。
都市の光。
ルーモの信号。
同じリズム。
同じ鼓動。
「レンは“正しさ”を壊す」
「アラハは“誤り”を切る」
そして小さく言う。
「そして私は」
灰色の瞳が細くなる。
「この社会の“真実”を知りたい」
朝霧は数秒見つめた。
「つまり」
「レンを止めない」
乾は答えた。
「むしろ進ませる」
「……危険です」
「承知している」
乾は立ち上がった。
窓の前に立つ。
都市を見下ろす。
「だが」
低く言う。
「もしこの世界が誰かの実験場なら」
灰色の瞳が冷たく光る。
「その実験者を見つける必要がある」
朝霧は静かに言った。
「レンを使うんですね」
乾は振り向いた。
少しだけ笑う。
「使う?」
「違う」
「彼は」
短く言った。
「鍵だ」
そして窓の外を見た。
都市の光が脈打つ。
まるで巨大な装置のように。
乾は小さく呟いた。
「ARC-9……か」
「誰が仕掛けた」
そして。
静かな声。
「何のために」




