第十五話 ライバルの予感
静寂が場を支配する中、パンパンッと手を叩いた音が響いた。
音の主はお父上だ。
「まぁ、終わったことだ。悲しんでも誰も喜ぶまい。皆もそんな悲しそうな顔をするでない。」
と、一番悲しそうな顔をしたお父上が立ち上がりながら、叱咤する。
「それでの、まだ一人前ではないエルトアを、この浄化の旅に出すのは、ワシとしても心配が無いわけではないのじゃよ。」
と言いながら、机から離れていき、庭に出られる大きな窓を開け放した。
そして、
「おいで、セレス」
と呼ぶと、あっという間に、白銀の聖獣フェンリルが、空から大神殿の庭に音もなく降り立った。
セレスというのは、お父上の聖獣で真名はセレスティアという。
世界の創造主の聖獣に相応しく、フェンリルの中では最も強く体も大きく、気高く美しくあり、フェンリルの中では長を治めている。
元々フェンリルは孤高の存在だけど、セレスは他の神々には慣れないどころか、話すことも滅多に無い。
そんなセレスは、今は伏せて服従の姿勢を取り、一歩引いてお父上に従っている。
「エルトアは、まだ神力が足りずに、聖獣を召喚できないであろう。だからの、セレスは貸せないが、ワシの新たな契約獣をお主に仕えさせようと思ってな。すでに、エルトアを主人として使えよ、との命は出しておる。」
一瞬頭が追いつかなかった僕。
「ん〜〜〜!!!」
言葉が出ない。
嬉しい!嬉しいよ!
僕の聖獣?
嬉しさが止められない!
よし、ちょっと爪研いで落ち着こう。ガリガリ。
聖獣を呼ぶには神力が必要なのだけど、僕はまだ少なくて、契約どころか呼び出すこともできないんだ。
聖獣と力を合わせて、神としての仕事を全うしているお父上や姉上兄上を見ていて、ずーーっと羨ましいと思っていた。
「良かったねぇ、とあくん。とあくんが嬉しそうだと、私も嬉しいよ。」
「ゆの〜。僕、ずっと聖獣さんが欲しかったんです。」
あ。
油断して、うっかり甘えてしまった。
僕は大人の猫大人の猫……ちゃんとしなきゃ。
「そうなのね。どんな聖獣さんだろうね。」
うんうん、気になるよね!
わくわくして庭を見やると、何やらセレスの胸元の白銀の毛がもこもこして動きだした。
「まぁ、ワシからの帰還祝いと思えばよい。エルトアに仕えるのはの、こないだ生まれたセレスの仔じゃ。」
と父上が言うと、セレスの胸元でもこもこしてた毛玉が、ぴょーんと飛び出した。
小さいフェンリルだ。
僕と同じくらい…か?
がたっと隣から音がする。
見なくても、あの人が立ち上がったのが分かる。
理由も考えなくても分かる…。
「エルトアよ、ゆのもこちらへ来てみなさい。」
お父上が言い終わる前に、隣の人影は、普通の人間が出せる速度を超えて、フェンリルに向かっていく。
その速度で移動しながら、
「はい、今すぐに。」
と答えるのが凄い。
その人影を追いかけて、僕も走る。
あれ?僕が与えられた契約獣だよね?
僕より先に行くなんて、ある?
それより、こんなに速いなんて反則だよ。
先に着いた人影、ゆのは、フェンリルの仔から少し離れたところで止まり、仔フェンリルに合わせて姿勢を低くしていた。
こんにちはー、ゆのお姉さんだよー、と満面の笑みで挨拶をしている。
なんなら小さく手を振っている。
仔フェンリルも、飛んできた勢いに驚いたのか、目がまん丸になっている。
無言だ。
そりゃそうだよね。初めて見た人間がこれって、大丈夫かな。
僕がやっと追いつくと、
「とあくんいらっしゃーい。
この仔可愛いねぇ。私とは話せないのかも。
とあくんも挨拶しよ!」
と呑気なゆるふわ発言で迎えてくれた。
ゆるいんだけど、ゆのは挨拶にはしっかりしてるんだよな。
挨拶って大事だよねぇ、と前の世界で言ってたよ。
近くに来ると、僕と仔フェンリルは同じくらいの大きさなので、目線も合う。
「僕が猫神エルトア。これからよろしく。
この人は、僕の愛し子となったゆのだ。
ゆのも一緒に過ごしていくので、僕とともに守るよう、覚えておいて欲しい。」
大人神の真似をした口調で話す。
僕の契約獣ではないし、舐められたらだめだ。
最初が肝心だしね。
ゆののこともしっかり紹介する。
僕の愛し子って伝えるのは恥ずかしいけど、そこはしっかりさせておかないとね。
仔フェンリルは、母が頷くのを見て、一歩前に出た。
「創造主様からは、エルトア様を守りつつ、一緒に成長するよう言われています。エルトア様、これからよろしくお願いします。」
丁寧に挨拶をすると、お辞儀をしてくれた。
うんうん、いい子じゃないか。
僕が力が足りない分、聖獣といることで、助かる部分は多い。
隣りからは、ぉぉぉぉ、喋れるんだ!声が可愛いすぎるぅ、という唸りが聞こえるが、ひとまず無視だ。
頷きながら、一人で納得していると、仔フェンリルは、もう一度母のセレスを見たあと、とことこ歩いてゆのの方に向かう。
そして、ゆのの前でお座りをした。
まるで子犬だ。狼だけども。
はわわわわ、と呟いているゆのは、両手がふらふら怪しげに宙を舞っていた。
僕には分かる。
ゆのの、撫でたい本能と、聖獣だしダメだという理性の戦いが。
「ゆのお姉さん、僕は聖獣フェンリルです。
そばで、全力でお守りします。
今はまだ子供ですけど、母上のように、もっともっと強くなるので、見ててください。」
最後に、あおんっ、と子供らしい咆哮を一つ。
なんだなんだ、何故ゆのになついてるんだ。
君は僕の聖獣で、ゆのは僕の愛し子だぞ。
と思ってゆのを見ると、床に崩れ落ち、息も絶え絶えに身悶えていた。
いいんだよ、いいんだよぉ、むしろこのままでもいいんだよぉ、という心の声が漏れ出ている。
ゆののハートをあっという間に鷲掴みだ。
仔フェンリルに目を向けると、ふふん、という顔を僕に向けてきたので、ジト目で見返す。
確かにゆのは、動物に好かれやすいけれど。
「あの、仔フェンリルくん。僕ってことは男の子かなぁ?そして、少し触らせてもらっても……いい、のかなぁ?」
床から声がする。
仔フェンリルは、あっという間にきゅるんとした表情に戻してからゆのに向き直り、嬉しそうに、ととっ、と距離を詰めた。
あざとい。
「はい、男の子です。フェンリルで一番大きくなるのを目指してます。あと、人と接するのは初めてなので、撫で撫でというものも……経験してみたいです。」
「ぬぁんとー!!よし、私が教えてあげるね!」
復活したゆのが、それでも恐る恐る手を伸ばすと、もふもふの白銀の毛に手が埋まる。
堪能するように、手を滑らすゆのと、なされるがままの中型犬サイズの仔フェンリル。
なんなら、自ら頭を擦り付けている。
「はぁ〜、ふわっふわっ、最高だねぇ。」
惚けてるゆのに、近づく存在がいた。
母のセレスだ。
怒られるのか?
ゆのを守らないと。
いや、少しくらいお灸を据えてもらった方がよいだろう。
ヨダレも垂らしてるし、ゆのしっかりして!
と思ったのに……。
セレスは、ゆのをじっと見つめている。
その瞳は優しく、懐かしむような雰囲気を感じる。
そして、滅多に言葉を話さない彼女が、口を開いた。
「ゆの様。」
ん?という風に、セレスの方向くゆの。
「あ、お母さんフェンリルのセレスさん、こんにちは。ゆのです。
お子さん触らせてもらってますが、良いですか?最高の毛並みですね。」
と、挨拶ついでに、フェンリルの毛並みの感想を返してしまうゆの。
成獣のフェンリルが近付いても、逃げるどころか、撫でる手を止めないのは、さすがだよ。
ふふっ、と目を細めて嬉しそうにしたセレスは、母親の顔で、ゆのの頬をぺろっと舐めてから、
「もちろんです。ありがとうございます。ゆの様、この仔はあなた様のお傍にもおいてください。やんちゃな仔ですが、よろしくお願いします。」
その言葉に、少し不思議そうな顔をしたゆのは、
「いやいや、こちらこそ、舐めていただいてありがとうございます。」
とぽんこつな返事をしたあと、ようやく意識が戻ってきたのか、
「私は、この仔のお世話もすることになるだろうからね。私もこの仔を預かる限り、全力で守るよ。しっかりお役目こなして、この仔の成長も見届けてくるよ。」
と笑顔で言い切った。
一点の曇りもない瞳で、ヨダレも拭き取られ、聖獣を相手にしても、迷いは見えなかった。
その言葉に、ハッとするフェンリル。
一瞬、眼差しが不安に揺れたのは見間違いだろうか。
「だから、お母さんは安心してね。」
というゆのに、
「お願いします。」
としか言えなかったセレスを、お父上が優しく撫でていた。
あの、僕は?
フェンリル達のゆのへの態度が少しおかしい。
気高く孤高の存在のフェンリル。
その彼女が警戒しないどころか、話しかけ、舐め、仔を頼んでいること自体が、珍しすぎる。
むー。
仔フェンリルのぶんぶん振り回されるしっぽを、恨めしく思いながら見ていると、頭の中に父上の声が響いてきた。
(エルトアよ、そう悩むでない。お前の考えることは分かっておるがの。
時期がくれば自ずと分かるじゃろう。)
はっとして、お父上をみると、優しい顔で僕を見つめていた。
こないだお父上が与えた加護らしきものといい、翼といい、ゆのに何かがあるのだろうか。
前の世界では普通の人間だったけどな。
いやまぁ、今もちょっと人間離れした大胆さはあるけれど。
(少なくとも悪いことではないからの。安心せい。
まずは、エルトアは自分のことを考え、神として成長せよ。)
そっか、そうだよね。
悪いことであれば、教えてくれるだうし、お父上なら対応だってできるはずだ。
僕の神力が増えれば、何か分かるかもしれないしね。
よし、頑張ろう!
(はぁい。)
とお父上に届くように、心の中で返事をしながら、ゆの達の輪に入ることにした。
わちゃわちゃしてる二人には、声掛けにくいなぁと思っていても、ゆのはちゃんと気付いてくれる。
「とあくん、やっと来たねー。待ってたんだよー。」
と、僕の頭を撫で撫でしてくれる。
ヨシヨシという声が聞こえそうだ。
「あのね、とあくんにお願いがあるの。この仔まだ名前ないんだって。付けてあげようよ。」
「そうなのです。僕はいずれエルトア様にお仕えすることが決まってましたので、それまで名はつけずにいました。
お願いできますか。」
僕から見ても、そりゃ仔フェンリルは可愛い。
そして、僕が今は主人だ。
名を付けるのもやぶさかでは無い。
「僕で良ければつけるよ。うーん、母がセレスティアだから、参考にしようか。」
神の名付けにはなるけど、この仔は、お父上と契約してるから、僕とは契約できない。
だとすると、一時的な加護を与える名付けになるかな。
よし、決めた!
「心の準備はいいかい?」
念の為聞くと、キリッとした顔で答えてくれる。
「はい。名を楽しみにしていました。」
わぁ、責任重いな。
早くお父上が付けてあげておいてよかったのに。
不便だったろうになぁ。
「では。」
ゆのの時と同じように、仔フェンリルの頭の上に手を乗せる。
集中すると、手から光が溢れ出し、仔フェンリルを柔らかく包む。
心の中で仔フェンリルに対する言葉を紡ぐ。
僕の初めての聖獣。ともに成長し、戦い、使命を果たしていきたい。できるだけこの絆が長く続くことを祈って、名とともに加護を授ける……。
「猫神エルトアの名において、この名を刻む。そなたの名は“アルセリオ”。」
言い終わると、光が流れを作り出し、仔フェンリルの中に吸い込まれていった。
ふぅ。
「アルセリオ、どうかな?おかしいところはない?」
と尋ねると、瞑っていた目をぱっちり開けて、
「かっこいい名前をありがとうございます。あと、エルトア様の加護でしょうか、いただいた感覚がありました。」
おぉ!分かるなんて、アルセリオやるなぁ。
「うん、そうだよ。契約はできないけど、せめて僕の加護だけでも授けようと思ったんだ。一緒に旅するからね。よろしく。」
「うわぁん、加護までありがとうございます。名前はずっと欲しくて……。」
ぐすんぐすんと泣くアルセリオ。
ヨシヨシと慰めるゆの。
「いい名前だね。良かったねぇ。
みんなには名前あるもん、名前欲しいよね。
自分の名前呼ばれたいよね。」
そうだよ、名前は欲しいよ。
ゆのも名前を無くしたあと、名前を欲しかったんだろうに。
猫神殿では、そういう訴えはなかったと報告がきている。
そもそも、ゆのからは、記憶のことや、前の世界に関すること、召喚に関することなどを、自ら言うことはなかったらしい。もちろん、わがままをいうことも、寂しいと言うことも、帰りたいなどという発言もなかったようだ。
ゆのらしいと思ってしまう。
人は愚痴というものを言うと聞く。家族や友人に言わなくても、独り言のように言う人もあれば、ペットに話すこともあると。
だけど、ゆのはそういうことが一切なかった。僕といる時は、僕のことだけ。僕のごはんや体のことを説明したり、考えたり、可愛いねぇって話しかけてくれるんだ。
だから逆に、それ以外のゆののことは知らないままだった。お仕事に行ってくるよ、僕のごはん代稼いでくるから待っててね、って言って忙しそうにしてたのは知ってる。でも、仕事の内容とか、辛いこととかは分からないんだ。
もちろん、ゆのの家族の話も出たことがない……。
アルセリオと無邪気に戯れるゆのが、近いのに遠く感じる。
すぐ届きそうなのに、手を伸ばすと消えてしまうような、そんな儚さが漂うんだ。
ゆのは、何者なの。
お読みいただき、ありがとうございました。
次回は【第十六話 これが私の選んだ道】です。
第一の扉、いよいよ最終話。
選び取った“今”が、未来へとつながっていく──
どうぞお楽しみに。
明日夕方、投稿予定です。
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