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第11話(終)「平穏のレシピは、毎日二勝一敗」

 朝の鐘が一つ。

 掲示板の三行は、最後まで簡素にいく。

〈本日の朝:五分で起きる匂いVII(白味噌+白胡麻・極弱)〉

〈本日の昼:黒字化二日目セット(可視化粥mini/四点サラダ/梯子の豆)〉

〈本日の夜:家の食卓で“薄い勝利の祝い”〉


 カリ、ふう、コトの三拍子が、いつもどおり寮の木の背板を起こす。試験最終日の食堂は、紙と鉛筆の匂いで軽くしびれていた。

「お嬢さま、きょうで連載・一章目は最終回ですね」ミナが笑う。

「うん。物語は続くけれど、“ここ”はいったん閉じる。締めくくりは整えで」


 配膳の列の中に、影の整理班のラド。鼻はまっすぐ、鍵束は静か。

「逆風、朝の時間帯は半度で最適です」

「いい鼻になった。鼻は努力に従う」



 王宮。

 壁の「拍マニュアル・暫定版」には、早くも現場メモが増殖していた。

 —「**匙を置く場所は“二線の手前”**に」

—「豆の梯子は“会議が長引きそうな日”に+1粒」

—「半度の角度、雨の日は+0.5」


 総料理長ゲルナーは、背中にほどよい遊び。カイ・レンストの歩幅は、完全に指揮棒だ。

「地方視察は正式決定。だが君の条件——“朝の拍は学園に置く”は、殿下が了承した」カイが言う。

「平穏最優先。合唱を持ち運ぶなら、まずは楽譜だね」


 昼は“黒字化二日目セット”。揚げはなし。音は薄雨。

 王太子は二線で匙を置き、短く笑った。「昼が一人称になったのは発見だ。——耳より腹で合意が速い」

 参事官は視写器板を撫で、「“無駄拍”削減、今週合計で二割」とだけ告げた。地味な勝ちは、静かな声で語られる。



 午後、学園。

 廊下の掲示板に、試験明けの紙が増える。

〈“二線で止める”訓練、効いた〉

〈角のないおにぎりで、最後の一問が埋まった〉

〈拍マニュアル、部屋にも貼った〉

 ブラークが黒板の隅に**○を書き、「居眠り横断・最終日ゼロ」と淡々。

 保護者代表が再訪し、ひとこと。「薄い勝利、家庭にも持ち帰ります」

「おみやげは段取り**です。香りは画面に乗らないけど、順番は紙に乗る」


 その時——

 寮の門に、ステンマイア家の紋章旗。

 借金取りが鳴らしたのと同じ玄関の敷石に、今日は家族の靴音が規則正しく戻ってきた。

 養父の伯爵は、遠慮がちな笑みで頭を下げる。「差し押さえ解除、返還の報を受けた。……家に戻って、台所で夕餉を」

 私はうなずく。「祝いじゃなくて、整えです。薄い勝利の夜を」



 夕刻、ステンマイア家。

 返ってきた鍋・包丁・寸胴・杓子・ざる。棚に空いた**“過半の空白”は埋まり、台所の背骨がまっすぐに伸びる。

 私は銀縁皿を一番明るい棚に置き、家政魔法〈銀の記憶起こし〉をごく弱く通す。“勝った音”**が薄く立ち上がった。


「献立は?」養父。

「“家の拍”のための三皿。

 一、二線の粥・家版(今日は一線で十分)

 二、四点サラダ・家の質問(Q1:帰ってきて落ち着くか/Q2:笑えるか/Q3:角が丸くなるか/Q4:明日も食べられるか)

 三、“梯子の豆”と、そして——“一個だけ、祝いの揚げ”」


 家族が目を瞬かせる。

「揚げ……?」

「祭りは一個だけ。ずっと封印していたぶん、音の扱いをちゃんと見せる」


 私は小鍋を出し、油を一指分だけ。〈清澄〉を流し、温度は歌い出す前の拍で止める。

 衣は降らし。音は薄雨。

 落とすのは、じゃがいもの皮のカリカリ——廃棄率削減のおやつ。最初に差し押さえ官吏へ差し出した**“あの日のコロッケ”の影**だけ、一口だけ呼び戻す。

 ぼふ、ではない。ぱらり——音が、過去形で鳴る。


 粥は一線で匙を置き、サラダはQ2で笑い声が起き、豆は谷に橋をかける。

 最後に、一個だけの祝いの揚げ。

 養父が噛む。さく。

 あの日の朝と違って、音は暴れない。

「……これでいいのだな」

「うん。祭りは一口。平穏は毎食」

 家族の肩から、数字の重しが音もなく落ちるのがわかった。



 食後、玄関の敷石に、新しい靴音。

 近侍カイ・レンストと、差配官エイドル。

 カイは短く礼をして、封書を差し出した。

〈地方視察・胃袋平穏化試行(条件付)

 —朝の拍は学園に残す

 —“拍マニュアル”の共有と現地適応

 —“笑顔KPI”の月次提出〉

「段取りは人を選ばない。だから楽譜だけ、君が運べ」

「揚げ箸じゃなくて匙で、行ってきます。ただし平穏最優先」


 エイドルは例の三本セット——棒・折れ線・円の紙を広げる。「黒字は“最初の一枚”が取れた。二枚目以降、毎日二勝一敗で積め」

「二勝一敗。三タテは祭りのときだけ」

「その合意でいこう」

 彼は笑い、「胃袋外交官という言葉は書かない。だが——匙での合意形成、期待している」と言い残して帰った。



 夜更け。

 家の台所に、人の気配がゆっくりと馴染む。返ってきた道具は、返ってきた拍を覚えた。

 私は黒板代わりの戸棚に、**最後の“共有メモ”**を書く。


—“誰でもできる拍・家版”—

 二線の粥:一線で止める日が半分あっていい

 四点サラダ:**Q2(笑えるか)**を忘れない

梯子の豆:眠気の谷は悪ではない、橋を準備

半度:鼻の嫉妬を避ける角度で暮らす

十秒:数字は噛める言葉で合意する

一個だけの揚げ:祭りの音を忘れないために


 ミナが笑いながら指差す。「祭りは一口、いい言葉です」

「ね。勝率は段取り、幸福は余白」


 私は銀縁皿の前に立ち、白いチョークを握った。

 物語の最終行は、いつも日常の言葉で書く。


〈今日の家政Tips(完):平穏は、毎日二勝一敗。祭りは一口。合意は匙で——十秒で噛める言葉と、半度の角度で。〉


 灯りを落とす。

 湯気は静かに立ちのぼり、家の拍は、もう誰の手にも依存しない。

 揚げずに勝つ日も、一口だけ揚げる祭りも、段取りがつなげてくれる。

 ここまでの一章、ここで閉じる。

 明日からは、紙の端ではなく、台所の真ん中で続きが書かれる。

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