(二)白野江村
清虚が荒海を見下ろしている部埼の高台のすぐそばに、今にも壊れそうな打ち捨てられた小屋がございました。
清虚はついてきた漁民たちに尋ねます。
「私はここで、船に岬の位置を伝える灯火を焚こうと思う。その番のために、あの小屋を借りられるならありがたいのだが、どなたにお願いすればよいだろうか」
漁民たちは驚いて顔を見合わせます。
「御坊、あそこに寝泊まりするっていうんですかい。あれは、白野江村の庄屋さんの持ち物やから、庄屋さんがええって言うなら、ええんじゃないかと思いますけども……」
「そうか。では申し訳ないが、その白野江村の庄屋さんのお宅を教えて欲しい。今から頼みに行きたい」
「え、今からですか。まあ庄屋さんは人格者ですけんど、ここからけっこう遠いですよ」
その白野江村というのは、青浜から海岸線をたどって歩くと南へおよそ四キロメートル、この部埼からだとおよそ五キロメートル。一時間以上はかかります。しかし清虚はいても立ってもいられず、案内をお願いするのです。
白野江というのは、飛鳥時代の頃には朝鮮半島の新羅国への貿易船が発着していた港町だったそうでございます。新羅の江、これがなまって白野江。
しかしこの当時にはすでに、海運が関門海峡側に移って寂れた漁村になっておりました。青浜などを含む広い村ではありますが、当時の人口は五百人程度だったとのことです。
庄屋さん、とはつまり村役人の代わりを務める名主さんで、その村の年貢の管理や村人の統率を藩から任された役職でございます。白野江村の庄屋さんはこの辺り一体の地主でした。
清虚と同じぐらいの年齢の庄屋さんは、清虚の話を真剣に聞いてくれました。
「なるほど、よう分かりました。あの小屋はご自由にお使いください。住んでいただいて構いません」
「おお。庄屋どの、ありがとうございます」
「いえ、本当は私が、佐吉どのの約束を守るべきだったのです」
「佐吉の……。庄屋どの、どういう意味でしょうか」
「先ほどお坊さまがおっしゃっていたご親友の佐吉どの。実は、五十数年前に青浜に打ち上げられ生き残ったのを、しばらく世話したのがこの屋敷なのです」
「……何ですって!」
「幾日か経って、豊後の伊美村まで佐吉どのを送り届けたのも、この屋敷の者なのです。佐吉どのは数日ここで暮らしましたが、当時は七歳で年の近かった私は、彼といろんな話をしたことを、今でも覚えております」
「なんと……、庄屋どのと佐吉が……」
驚きの運命に、清虚の頬に涙が伝う。
「その時に佐吉どのは言っておったのです。自分の家族が亡くなったのは、この岸に燈りがないからだ。あの岬にでも燈りが灯れば、船も陸の位置が分かる。そういう施設があればいいのにな、と。私もあの時の佐吉どのの意見にはとても関心したのです」
「……」
「ところが、お坊さまと今こうして話していて、思い知らされたのです。私は佐吉どののあの考えを聞きながら、この五十余年、何もやってこなかったのだと。その間にも、何百人という人がこの海で死にました。庄屋たる私が、藩に掛け合ってでもやるべき仕事だったのです。お坊さまの意思を聞いて、私は自分が情けなくて情けなくて仕方がない。ぜひ協力をさせてください」
庄屋さんの目からも、涙が止めどなくあふれておりました。清虚と庄屋さんは佐吉の遺志を思いながら、二人で男泣きでございます。
庄屋さんは涙を拭って言いました。
「お坊さま。あなた様が部埼にお住まいになることは、私がお役所に願い出れば、何とかなるでしょう。しかし、問題は焚き火です。火を扱うのは地域にとっても大問題。これだけは私の一存では何ともなりません。お役所のお許しを得るのは、かなり難儀をするかもしれませんぞ」
「分かりました、庄屋どの。何とか火を灯せるよう、交渉をしていきます」
この白野江村、そして部埼は、小倉藩の所領です。小倉藩のお殿様である小笠原家は譜代大名。規律にとても厳しい藩でございます。
他所から来た者が交通の要所で火を使う。これはとても危険なことだと判断されるのも当然のこと。
しかし清虚は何度もお役所へ足を運び、時には小倉のお城にまで行って、あの部埼で焚火を実行することがいかに重要かを説明、今でいうプレゼンテーションを繰り返したのでございます。
まさに人生を賭けて、何度も、何度も。
しかし、なかなか許可は下りませんでした。
(つづく)
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