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(一)青浜


挿絵(By みてみん)



 どれぐらいの(とき)が経ったのでしょうか。


 深い暗闇の中。周りから、複数の人たちの声が聞こえてきます。



「お(ぼう)さま、お坊さま、しっかりしてくだせえ」


「大丈夫でごぜえますか、お坊さま」



 ゆっくりと目を開けてみると、清虚(せいきょ)は砂浜に横たわっていました。近くの住民なのか、六人ほどの男が清虚を囲んで覗き込んでおりました。



「おお、気がつかれましたか。よかったですのう」


「私は……、生きておるのか」



 清虚はゆっくりと身体を起こして周囲を見渡します。目の前には打ち寄せる波。砂浜には何人かの遺体や船の残骸が散らばっています。



「私は……念仏崎(ねんぶつざき)と呼ばれる海を渡る途中で、念仏を唱え祈ったのですが叶わず、船は岩礁(がんしょう)に乗り上げて、波に呑まれて……、そこから何も覚えておらんのです。ここはどこですか。あの世ですか」



 清虚が訊くと、周囲の人たちは答えます。



「ここは青浜(あおはま)という村でごぜえます。すぐそこに岬が見えるでしょう。ここの者はあれが船の舳先(へさき)のように見えるんで『部埼(へさき)』と呼んでおりますが、船に乗る人たちは『念仏崎』と呼んでるようですわ。つまり御坊(ごぼう)は、すぐそこの海に落ちたのでごぜえましょう。見てくだせえ、一応我々で引き上げられる者は引き上げたのですが、生き残っているのは御坊一人でごぜえますだ」


「何ということだ……」



 清虚は唖然とします。佐吉(さきち)が家族を失いただ一人生き残ったという「魔の海」念仏崎で、自分も一人生き残ることになったのです。


 聞くと、この海ではこのような海難事故がこれまでに何度も起きており、清虚のように生き残る者はわずかなのだそうです。


 清虚は拳を砂浜にギリギリとめり込ませて、悔しがります。



「私は……、私はこの四十年、何をやっておったんじゃ……。仏門に入り、念仏を唱える毎日……。だがどうじゃ。その四十年続けた念仏が、何の役に立ったというんじゃ。船に同乗しておった者、全員を見殺しにしただけではないか……。私には、生きる価値なんてないんじゃ……」



 清虚は自分の無力さを嘆き、唇を噛み締める。


 そこに繰り返し聞こえる、青浜の波の音。ザザァ……ザザァ……。



「そうか……。そうか佐吉(さきち)よ。キミは三途(さんず)の川の舟漕ぎになったと言っておったが、この私は舟には乗せてくれなかったか……。まだ私には、三途の川を渡るほどのことを成していないということか……。ふふ……」



 清虚は自嘲気味に笑うと、フラフラと立ち上がります。


 そしてまるで誘われるかのように、部埼に向かって歩き出す……。住民たちは首を傾げながらも、心配して後ろをついていきました。


 部埼の高台に登った清虚は、海を見渡して唸ります。



「これは……。何と複雑な海なんだ。このような荒く激しい潮流の海域を、これまで多くの船が横切ろうとしてきたのか」



 この部埼というのは、豊前国(ぶぜんのくに)の最北端。本州に向かって周防灘(すおうなだ)に突き出た岬ですが、西から来る関門海峡(かんもんかいきょう)の潮流と、東の周防灘の潮流がぶつかり合い、まるで生き物のように見るからに複雑な海流となっているのが、上から見るとよく分かりました。


 この海は壇ノ浦(だんのうら)とも呼ばれ、源氏と平家の最後の戦いが行われた場所でもあり、この複雑な潮目が勝負を分けたとも言われています。


 朝鮮出兵で肥前国(ひぜんのくに)名護屋城(なごやじょう)まで行った太閤(たいこう)豊臣秀吉も大阪城へ戻る時、ここを渡って転覆し、海に投げ出されたという史実もございます。


 関門海峡には巌流島(がんりゅうじま)と呼ばれる舟島(ふなじま)がございます。この巌流島の戦いで、佐々木小次郎(ささきこじろう)との勝負に宮本武蔵(みやもとむさし)が遅れてやってきたというのは、今では武蔵の戦略と言い伝えられていますが、実際には宮本武蔵の船は潮流に流されてしまい、時間がかかったという説もあるのです。


 そして、海に突き出たこの部埼という岬の周囲には、ぼつぼつと岩が見え隠れしていて、波が高い時にはどこに岩礁があるのか分からない。加えてここ青浜一帯は住民も少ないために、暗い時には灯りもない。船乗りにとっては恐ろしい難所であることが、素人目にも分かります。



 清虚は荒れ狂う海を見下ろし、一人つぶやきます。



「ここで佐吉、そして私は急死に一生を得た。しかし佐吉の家族はここで命を失い、同じように多くの人が溺れ死んでいる。佐吉のいない今、生き残った私がやるべきことは、ここにあるのではないのか……!」



 清虚はグッと天を見上げる。亡き佐吉の顔が浮かぶ。



「佐吉は腕利きの船乗りになって、ここで多くの人の命を救うはずだった。その佐吉の命を奪ったのは私だ。私は佐吉に代わって、ここにて人々の命を救いたい。念仏崎を通る船のために、私が命の燈明となろう。私の残されたわずかな人生は、ここで人々の命のために使い切る」



 清虚は大きな決意を、眼下に広がる荒海に誓います。


 六十歳の清虚の、長き戦いが始まるのでございます。 




(つづく)




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 また面白いところがあれば、高評価いただけると嬉しいです。(作者)






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