・早鞆あかりインタビュー記事
翌月の福岡経済経営連盟会(福岡経経連)の月刊の会報。
月例会の運営チームが、講談を終えた早鞆あかりに
インタビューをした記事が載っている。
・インタビュアー:福岡経経連青年部 月例会運営委員
==早鞆あかりさん、講談お疲れさまでした。聴講者の皆さん、とても感じ入って、息を呑んで聞き入っていましたね。
早「皆さん本当に真剣に聴いてくださって、心から感謝しております。終了後、名刺交換の大行列になっていて、本当に恐縮です」
==早鞆あかりさんは現在は東京にお住まいとのことですが、福岡県のご出身とのことで。
早「はい。北九州市門司区に実家があり、高校卒業まで住んでました。現在は上京して、東京にある大学に通っています。今回お仕事のご依頼をいただき、帰省もできまして感謝しております」
==今回は「清虚伝」という、実在の人物である清虚の福岡県での偉業のお話でしたが、こちらのお話は他の地域でもされるのですか。
早「けっこうしますね。たとえば漁業組合さんでの講談などでは、このお話はウケがいいんです。海が身近な地域だとイメージしやすいのでしょう」
==早鞆あかりさんのお名前が、「清虚伝」に由来しているというお話も出てきました。これは創作上の話ですか? それとも、本当の話?
早「お恥ずかしながら、本当です。父が『清虚伝』にあやかって、暗い海で一里先が分かる燈りを灯せる人になるようにと、灯るという字に一里の里とかいて、灯里という名前にしたそうです」
==男の子だったら「太兵衛」だったとか。
早「そうらしいです。第二希望が佐吉で、第三希望が利三郎だったらしいです。何のための第二第三希望なのかは不明ですけど」
==早鞆流は戦国時代から続いているというお話も、驚きでした。
早「よく驚かれます。足利義昭公に仕えていた太平記読みの早勢家がその始祖で、私の先祖にあたります。早勢という苗字と、義昭公が滞在していた鞆という地名を合わせて、早鞆です」
==え、苗字からなんですか。関門エリアには早鞆高校や早鞆中学といった校名がありますが、それらとは関係がないんですね。
早「そうなんです。早い海流のことを早鞆と言い、特に関門海峡のことを早鞆瀬戸と呼びますよね。私が通った門司区内の中学や高校の校歌の歌詞にも早鞆という言葉が出てきてました。でも早鞆流の名はそこが由来ではないので、そんなうちが門司に移り住んだのは奇跡的な偶然です」
==早鞆あかりさんは、中学生の時にお祖父様に弟子入りをされたんですね。
早「はい。中二の時に交通事故で父が亡くなり、母は聴覚を失いました。それまで母は講釈士見習いで、早鞆の名を継いで歴史上初の早鞆流の講釈士誕生という直前だったのですが、正確な発声ができなくなり、廃業しました。あの時は私も悲しかったですが、母の絶望ぶりは本当に見ていられなくて。私に何かできないかと考えていくうち、自然に祖父の弟子になってました」
==そして今から二年前に、早鞆流を継いだと。
早「東京や上方の講談界は落語家のように前座、二つ目、そして真打となるのが一般的ですが、講釈士早鞆流はもともと芸能ではありませんので、真打のような制度がありません。師匠から講釈士として認められると早鞆を名乗れます。私は五年の修行を経て、二年前に講釈士早鞆あかりの名を授けられました。昨年に先代である祖父が亡くなって、現在早鞆流を受け継いでいるのは私一人となっています」
==お母様の夢も受け継がれているのですね。
早「実は今日、うちの母も私に内緒でこっそり参加していました。後から楽屋に来て驚きましたよ。うちの母、耳は聴こえないはずなんですけど、私の高座の様子を見ていて本当に部埼の燈りが見えたって、号泣してましたね。私は早鞆流の女性講釈士としては史上初だそうですが、母のほうがはるかに先輩ですから、先輩に認められて、私も自信がつきました」
==また、福岡経経連の月例会で講談をしていただけますか。
早「もちろんです。私が今現在持っている早鞆流の持ちネタだけでも、福岡県が舞台のもので九席、九州が舞台のものだと二十七席はありますよ。まだまだ増えていきます。遠慮なく呼んでください。この早鞆あかり、いつでも皆さんの心に燈りを灯しに参ります」
(おわり)
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また面白いところがあれば、高評価いただけると嬉しいです。
皆さんからの反響が大きければ、早鞆あかりはきっとまた高座に上がります。(作者)




