(四)燈りを生む
普通の講談であれば、ここでめでたしめでたし、この辺りで読み終わりでございます、となるところですが、講釈士早鞆流はもともとお殿様への講釈指南が本業。最後に説教じみた話になるのが早鞆流のお話の特徴でございます。今しばらくご辛抱くださいませ。
部屋が暗くなった時には電灯が必要なように、暗い夜道を歩く時には街灯があると助かるように、自分の心、人々の心が暗い時には、燈りを灯すことが大事なのでございます。
「一燈照隅 清虚伝」の話は、そのことを組織のリーダーにお伝えするために作られているお話で、代々の早鞆流に受け継がれてまいりました。
二十年ほど前のこと。このお話を、かつて北九州市の事業家団体の講演会で、一人の若い起業家が何気なく聴いているうちに、とても感銘を受けたそうでございます。
彼は事業に失敗して自殺を考えていたほどだったそうですが、この話を聞いて心に温かな燈りが灯り、生きる希望が湧いてきました。自殺は思いとどまり、新たな仕事で再起することを心に誓ったんだそうです。
その時に高座でこの講談話をしていたのは、私の祖父である先代の早鞆の講釈士……ではなく、その弟子で修行中の前座として出演していた、私の母だったのでございます。
この二人、そこで出会って、なんやかんやあって結婚することになり、なんやかんやあって生まれたのが、この私。
父は絶望から自分を救い、妻とも出会えたこの「一燈照隅 清虚伝」のお話にあやかって、娘に「あかり」という名をつけたのでございます。
ちなみに、男の子だったら「太兵衛」だったそうです。(会場爆笑)
私が中学生の頃、両親は車で移動中に交差点で衝突事故に遭い、父は亡くなってしまい、母は聴覚を失ってしまいました。
当時はその交差点には信号機がなく、そこにはその事故を教訓に信号機が設置されたのですが、それからはそこで交通事故は一件も起きていないとのことです。つまり、そこに信号機という燈りがあれば、防げた事故なのでございます。
事故で耳が聴こえなくなった母は、話すこともままならないので、講釈士の夢を諦めました。母の講談が好きだった私は、早鞆流の燈りを絶やしたくない一心で祖父に弟子入りをし、今こうして皆さんの前にて語る講談師「早鞆あかり」は生まれたのでございます。
今、私は東京の大学に通い、そこを拠点に全国を講談の仕事で飛び回っておりますが、九州に帰省をするたびに、実家に近い部埼灯台のある高台へ足を運びます。
あかりという私の名前の原点でもあるその場所に立ってみると、強く感じるのです。高く見下ろせる立場にある人こそ、燈りを灯すことで多くの人の不安を打ち消し、迷いを晴らし、その人生を救うのだということを。
自分がまず、目の前の暗闇を明るく照らす。
みんながそうすれば、全体が明るくなる。
これは皆さまの会社経営でも、お客様の皆さまへの対応でも、社員の皆さまへのコミュニケーションでも、同じことではないでしょうか。
心配な時は、燈りを灯す。
不安な人がいれば、燈りをかざす。
そういう気持ちを、常に持っておきたいものだという、そういうお話でございました。
明るく生きて、周囲を明るくしていこうではありませんか。
講釈士早鞆流にて代々受け継がれている「一燈照隅 清虚伝」の一席は、これをもって、読み終わりでございます。
(会場大拍手。早鞆あかり、一礼して退場)
(次回「閉幕」へつづく)
※次回は恐らく最終回です。ぜひ、読者の皆さんの感想を聞かせてください。
また面白いところがあれば、高評価いただけると嬉しいです。(作者)




