(二)十二月十六日の朝
清虚の前を流れる大河。
その岸には一艘の船が停まっており、青年の舟乗りが一人、乗っていました。
それは亡き親友、佐吉だったのでございます。
「佐吉……。佐吉ではないか……!」
「やあ、太兵衛。ご苦労様。そろそろ行こうか」
「行くって、どこへだい」
「決まってるじゃないか。相撲の続きを取るんだよ。まだオレたちの決着はついていないからね。向こうの黄泉の国に、とっておきの土俵を用意してあるんだ。さあ、乗りなよ」
勧進相撲を取った頃の、若い姿の佐吉。彼に促されるままに、その小舟に乗った時、清虚の姿もまたあの若き頃の太兵衛の姿に戻っていました。
太兵衛の頬を、涙が伝います。
「佐吉……。ようやく、三途の川を渡る船に乗せてくれるのだな」
「そうだよ。太兵衛、見てごらん」
佐吉が太兵衛の背後を指差します。太兵衛は振り向くと、そこは真っ暗闇。しかし、遠くに煌々と燈りが灯っているのが見えます。利三郎や甚五郎たちが薪を焚べ、火はずっと燃え盛っている。
「太兵衛、どうだい。あの広い暗闇の中で、たった一つだけ小さな燈りが灯るだけで、あんなにも輝かしいじゃないか。暗い世界で、これほどの安心があるだろうか。キミが勇気をもって暗闇に灯した燈りは、ああして村の人たちに受け継がれて、たくさんの命を救っている。キミはオレにできなかった夢を叶えてくれたんだ。十分すぎるほどにね」
「そうか……。ならば佐吉、相撲の続きをしに行こうか……」
太兵衛の姿になった清虚は、微笑んでふうっと一つ息を吐くと、肩から重荷が降りたような、そんな身軽な感覚になりました。ひと足さきに舟乗りの夢を叶えていた佐吉は笑って、両手の棹を川底に突き立て一押し。
二人の親友を乗せた小舟は、広い広い川を静かに渡っていく。船の姿も、二人の笑い声も、次第に小さくなっていったのでございました。
部埼の高台を包む夜空が、次第に白んで明るくなっていく。
灯火を次第に小さくしていった甚五郎が、利三郎に言います。
「利三郎、朝方はやっぱり冷え込むのう。御坊に分厚い布団を早めにお渡しできて、よかったな。いつもは早めに出てくる御坊も、さすがに今朝は堪えるとみえる」
「ああ、お疲れなのだろう。今は農閑期だから俺も今朝はまだここにいられる時間はある。今日ぐらいは御坊にはもう少し、ゆっくり寝てもらおう」
「そうだな。御坊は今頃、どんな夢を見てるんだろうな」
利三郎と甚五郎は、清虚を気遣って声をかけず、火の始末や焚き火台の掃除をしました。朝になって、村の者が子どもたちと一緒に部埼の高台に、薪や野菜を持ってワイワイやって来る。
利三郎たち村の者たちが小屋へ行き、清虚を起こすために挨拶の声をかけます。しかし、暖かそうな布団の中からの返事はありません。
清虚はすでに、あの世へと旅立っていたのでした。
利三郎は呆然と立ち尽くし、甚五郎や村の者たちは地に伏して泣き崩れます。
七十三歳の生涯を終えた清虚。
それは輝かしい燈りのような、屈託のない晴れやかな笑顔だったそうでございます。
(つづく)
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