(一)十二月十五日の夜
嘉永三年、西暦ですと1850年。
江戸幕府の将軍は第十二代、徳川家慶公の時代。
清虚が部埼の高台で燈りを灯し始めて、十三年目です。
この頃になると、念仏崎の座礁事故はほとんどなくなっておりました。関門海峡の両岸の商人たちは、部埼の燈りの存在に大いに感謝するので、白野江村や青浜村の村人たちは、部埼での事業に大きな誇りを持つようになりました。
自分たちから小倉藩の役所に願い出て、住民たちによる輪番制が設けられるようになりました。夜通しの火の守りを、今日はこの家の者、明日はこの家の者と、交代で行うのです。
すでに七十歳を超える老体となっていた清虚にとっては、村のみんなが手伝ってくれることは、とてもありがたいことでした。それでも清虚は言い出しっぺのプロジェクトリーダーとして、一日も休むことなく、その日の担当の村人と一緒に夜通し火を見張っていたのでございます。
十二月十五日。
とても寒い師走の夜でございました。雪が降るかもしれないと思われるほどの寒さ。この日の夜の当番は青浜村の甚五郎でしたが、もしもの時の備えとして、白野江村の利三郎も手伝いに来てくれました。
清虚、そして利三郎と甚五郎。三人での火の守り。
なぜかその日は、利三郎は桶を持ってここに火を消しに来た日、甚五郎は村の衆と共にここを襲撃しに来た日のことを思い出し、清虚の心を分からず拒絶していたあの頃のことを、笑い話のように清虚と語っておりました。
「あの頃の俺たちは、貧しい生活に必死で、御坊の想いを分かっていなかった。それが今ではどうだ。商人たちから感謝されて援助を受けて、小倉藩からの助成も増えて、事故処理の押し付けもなくなって、俺たちの生活は落ち着いてきている。これも御坊が、俺たちの心に火を灯してくださったからだなあ。御坊、本当にあの頃は、すまんことでした」
「ははは、利三郎さん、何度謝ったら気が済むんですか。私はそこまでのことはしてない。四十年以上、ただ寺にいて過去のことに悩んでいただけの人生だった。それがこうして未来のための仕事ができて、私は幸せなのだ」
薪をくべている清虚の顔は、本当に幸せそうでした。
しかし、毎日ずっと火のそばにいるので、身体からは水分が飛んでしまい、一日粗末な一食だけですから、とてもしわくちゃで痩せこけています。暗闇の中で焚き火の光だけに照らされる清虚の姿は、とても疲れきっているように見えました。
利三郎は清虚に配慮して言いました。
「御坊。今日は幸い、俺と甚五郎さんの二人が朝までここにいます。今夜はとても冷えますから、御坊は少し小屋でお眠りになってはどうですかい。明日の夜も明後日の夜も冷え込みそうですから、お風邪を引かないためにも、せめて今夜だけでもお休みになってはいかがです」
清虚は微笑んで答えます。
「そうですか……。確かに、寒い日はまだ続きそうだ。これからのために、今日は利三郎さんたちに甘えて、休ませていただこうか。最近はあなた方の奥様たちが縫ってくださった毛布が暖かくて、本当によく眠れる。あなた方がいてくれて、本当に助かるよ。ありがとう……」
そう言って、清虚は仮眠を取るため、火の番は二人に任せて、焚き火台近くの小屋へと向かいました。
最近、十二月の寒さに備えて、利三郎の妻や甚五郎の妻たちは暖かい毛布を縫い合わせて清虚に提供していたのです。寒い風が吹き荒ぶ部埼の高台の小屋では、この毛布の暖かさは本当にありがたいものでした。
普段は仮眠を取る時は、深く寝入ってしまわないように簡素なござだけで寝る清虚でしたが、この日の寒さは特段に厳しくて、清虚は利三郎たちの言葉に甘え、分厚く暖かい布団にくるまって眠りにつきました。
ハッと目が覚めると、そこは大きな川のほとりでございました。
(つづく)
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