(四)両岸の心
清虚がずっと一人でやっていた、夜通しで火を守る仕事は、八年目ぐらいになると、利三郎たちをはじめ、白野江村や青浜村の村人たちが数人で交代で手伝うようになっていきました。
清虚は自分の信念で始めたことですから、ずっと夜も寝ずに火の番をしようとします。しかし、深夜に一緒に手伝ってくれる人間がいれば、話し相手になって眠気覚ましにもなるし、またどうしても眠い時には交代をすることができました。老体の清虚にとっては、それはとても助かることでございました。
清虚が托鉢に出かけている間の火種の番、高台にある焚き火台までの重い薪の運搬、焚き火台の灰の掃除、小倉藩とのやりとりに必要な事務仕事。そういったいろんな仕事を、村の人たちは昼間にはどんどん手伝ってくれるようになりました。
村の子どもたちも集まって薪割りや掃除を手伝いながら、清虚の話を聞いて学びを得ていました。みんなでわずかな食料を持ち寄って、大鍋で粥を作って笑い合って食べることもありました。
清虚を気味悪がって近づかないという村人は、一人もいなくなりました。誰も寄り付かなかった焚き火台はいつしか、村の交流サロンのようになっていったのでございます。
一日一食しか食べずにわけの分からない火を焚く変人、という意味で清虚のことを蔑んで呼んでいた「一食坊主」という呼び名もいつしか、
「自分のためにすることは一日一食だけで、他のことを全て世の中のために捧げている人」
という、尊敬を込めた呼び名になっていきました。
そして十年目ごろには、対岸の赤間関からも人がやってくるようになってきました。
船乗りの間で、部埼の燈りがあることで最近は夜も安全な航海ができているということが話題になっており、それを赤間関の商人たちが耳にするようになっていたのです。
「船漕ぎたちは深夜でも部埼の燈りで陸の位置が把握でき、岩礁にぶつかることは無くなってきた。その燈りは一人のお坊さんが、夜通し灯し続けているらしい」
そう知った長州の商人たちは、清虚の行動に感謝をするようになり、その活動費を援助するようになりました。これにより、清虚が必死に遠くまで托鉢に出かける必要もなくなっていきます。
清虚が部埼に住み着いて十年。
その頃にはもう、部埼のことを「念仏崎」と呼ぶ人はいなくなっていました。
船が転覆することがなくなってきて、船の中で念仏を唱える必要がなくなっていたからです。
清虚が灯した燈りは、海峡の両岸の人々の心を温めていき、海峡近辺を通る人々の命を大きく守っていったのでございます。
(つづく)
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