(一)一食坊主
船舶の安全と船客の命を守るために、部埼の高台にて燈火を焚く。
清虚の使命への認可が、ようやく小倉藩から下りました。
さっそく、清虚の挑戦が始まりますが、その生活はとても大変でございました。
許可を出した小倉藩は、その賃金として蔵米二人扶持、また油代などの金子をいくらか援助してくれていました。清虚はそれらを全て、薪を買うお金に替えました。全ての援助を事業のために使ったのです。
船にとって灯火が必要となるのは当然、陽が落ちてから真っ暗になる夜。この間は一時たりとも火を絶やしてはならないため、眠らずに火を見守り焚き続けなければなりません。
あたりが明るくなると、清虚は種火だけを残して、周囲に托鉢に出かけます。青浜村、白野江村、大積村と、付近の村々に出かけ、援助を頼むのです。
当初はそれら近隣の村の住民たちも、できる限りの協力はしていました。小倉藩からの認可のある事業ですし、また白野江村の庄屋さんの呼びかけもあったからです。
しかし、この一帯は自分たちが暮らしていくだけでも精一杯の貧しい村。何度も繰り返し托鉢に来られるうちに、村人たちの多くが、
「どうして自分たちがあの余所から来て棲みついたお坊さんの、よく分からない焚き火に協力しなけりゃいけないんだ」
という気持ちになっていきました。
村人たちにとっては、海難事故が起こらないことよりも、自分たちが生きていくことのほうがはるかに重要なのです。
そのうち、「うちにはもう食べるものがなくて」「冬も越せない有様で」などと大袈裟に言って協力を断る村人も増えていきました。そのため清虚は、山を越えて田野浦村、黒川村など、徒歩でかなり遠くまで托鉢の範囲を広げるしかありませんでした。
昼過ぎまで托鉢に回ると、托鉢で得たお米もほとんどを金に変え、焚き火のための薪や炭を購入して部埼へ戻ります。昼ごはんは大根一本、粟の握り飯ひとつ、といった粗食だけ。しかも、それが一日分のごはん。清虚はそれだけ自分の食事も切り詰めて、薪代に回していたのです。
その少ない食事を済ませると、夜に備えて、夕方まで仮眠をします。火種を心配して、焚き火台の近くで横になることも多くありました。
夕方になり辺りが暗くなり始めると、清虚は仮眠から起きて、焚き火の準備を始めます。そして、辺りが真っ暗闇になると、そこからは朝までずっと寝ずに火を焚き続ける。
毎日、毎日、そんな生活の繰り返しです。雨の日も、風の日も、正月の日も、お盆の日も関係なく、一日も絶やさず、ずっとずっと。
岬の上で、真夜中にお坊さんがずっと火を焚いている。それが海を進む船の燈りになったところで、だから何だというのか。村人たちには清虚の行動が、全く理解ができないのでございます。
食事は一日たった一回の粗食で、ただ朝まで火を焚いている、得体の知れないお坊さん。村人たちは清虚のことを、「一食坊主」と呼んで気味悪がり、なるべく距離を置こうと寄り付かなくなっていきました。
理解をされない中で、信念を持って取り組み続けるというのは、いかに使命感が強くても、いかに精神力が強くても、とてつもなく大変なことでございます。
清虚たった一人だけの、孤独で長い日々でございました。
(つづく)
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