表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/21

(一)一食坊主


挿絵(By みてみん)



 

 船舶の安全と船客の命を守るために、部埼(へさき)の高台にて燈火(ともしび)を焚く。


 清虚(せいきょ)の使命への認可が、ようやく小倉(こくら)藩から下りました。



 さっそく、清虚の挑戦が始まりますが、その生活はとても大変でございました。


 許可を出した小倉藩は、その賃金として蔵米二人扶持(ににんぶち)、また油代などの金子(きんす)をいくらか援助してくれていました。清虚はそれらを全て、(まき)を買うお金に替えました。全ての援助を事業のために使ったのです。



 船にとって灯火が必要となるのは当然、陽が落ちてから真っ暗になる夜。この間は一時たりとも火を絶やしてはならないため、眠らずに火を見守り焚き続けなければなりません。


 あたりが明るくなると、清虚は種火だけを残して、周囲に托鉢(たくはつ)に出かけます。青浜(あおはま)村、白野江(しらのえ)村、大積(おおつみ)村と、付近の村々に出かけ、援助を頼むのです。


 当初はそれら近隣の村の住民たちも、できる限りの協力はしていました。小倉藩からの認可のある事業ですし、また白野江村の庄屋さんの呼びかけもあったからです。



 しかし、この一帯は自分たちが暮らしていくだけでも精一杯の貧しい村。何度も繰り返し托鉢に来られるうちに、村人たちの多くが、


「どうして自分たちがあの余所(よそ)から来て()みついたお坊さんの、よく分からない焚き火に協力しなけりゃいけないんだ」


という気持ちになっていきました。


 村人たちにとっては、海難事故が起こらないことよりも、自分たちが生きていくことのほうがはるかに重要なのです。


 そのうち、「うちにはもう食べるものがなくて」「冬も越せない有様で」などと大袈裟に言って協力を断る村人も増えていきました。そのため清虚は、山を越えて田野浦(たのうら)村、黒川(くろかわ)村など、徒歩でかなり遠くまで托鉢の範囲を広げるしかありませんでした。



 昼過ぎまで托鉢に回ると、托鉢で得たお米もほとんどを金に変え、焚き火のための薪や炭を購入して部埼へ戻ります。昼ごはんは大根一本、粟の握り飯ひとつ、といった粗食だけ。しかも、それが一日分のごはん。清虚はそれだけ自分の食事も切り詰めて、薪代に回していたのです。


 その少ない食事を済ませると、夜に備えて、夕方まで仮眠をします。火種を心配して、焚き火台の近くで横になることも多くありました。


 夕方になり辺りが暗くなり始めると、清虚は仮眠から起きて、焚き火の準備を始めます。そして、辺りが真っ暗闇になると、そこからは朝までずっと寝ずに火を焚き続ける。


 毎日、毎日、そんな生活の繰り返しです。雨の日も、風の日も、正月の日も、お盆の日も関係なく、一日も絶やさず、ずっとずっと。



 岬の上で、真夜中にお坊さんがずっと火を焚いている。それが海を進む船の燈りになったところで、だから何だというのか。村人たちには清虚の行動が、全く理解ができないのでございます。


 食事は一日たった一回の粗食で、ただ朝まで火を焚いている、得体の知れないお坊さん。村人たちは清虚のことを、「一食坊主(いちじきぼうず)」と呼んで気味悪がり、なるべく距離を置こうと寄り付かなくなっていきました。



 理解をされない中で、信念を持って取り組み続けるというのは、いかに使命感が強くても、いかに精神力が強くても、とてつもなく大変なことでございます。


 清虚たった一人だけの、孤独で長い日々でございました。





(つづく)




※ぜひ、読者の皆さんの感想を聞かせてください!

 また面白いところがあれば、高評価いただけると嬉しいです。(作者)




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ