08 桜色の部屋
バルマード様が私を歓迎するために選んだ部屋は、まるで夢の世界のよう。
美しい調度品が並び、桜色の大理石の壁に囲まれた一室は、心地よい落ち着きで満たされてる。
ここは彼が心から愛した、今は亡きレイラ公爵夫人との思い出が詰まった場所だった。
普段は客を招くことはない、家族としか共有しない聖域のような場所だと知ると、バルマード様の心遣いが伝わってくる。
彼に呼ばれたウィル公子もやって来て、私たちと共にテーブルを囲んだ。
ウ、ウィル公子が来た!
アホ姫の記憶なんて全然、彼を表現できてないのは理解したわ。
なんて綺麗な男の子なんだろう。
白い肌はきめ細かく、ルビー色の長い髪は光を浴びると透けるようにキラキラして、触れたくなるほど柔らかそう。
アホ姫が夢中になるのも当然だわ。
やらかしたことを思うと、頭がズキズキと痛くなってくるけど。
私は彼に悪い印象を持たれてないか気にしてたけど、そんなこと気にもしない素振りで、無邪気に会話に入ってくる。
「お久しぶりです、エストさん。今日は会えてとっても嬉しいですっ」
「あ、はいっ! ウィル公子」
「あれ、これまではウィルって呼び捨ててくれてたのに、今日はお父様の前だからです?」
ア、アホ姫、無双かよ!
「で、ではウィル君と呼んでも良いですか?」
「はい、もちろんです。そう言われた事ないので何だか新鮮です!」
さすが攻略対象人気ナンバーワンを、レオクス皇子と二分する愛され系男子!
笑った顔は天使のよう。
こんな王子様が実在しているなんて、もう驚きしかない。
見ているだけで心も満たされていくのに、声まで愛らしいなんて。
私だって、興奮する自分を抑えようと、心の中で難しい数学の問題を思い浮かべたりして、彼に慣れようと必死に努力しているの。
でも、どうしても目が離せない。
アイドルのライブで「キャーッ!」と叫ぶように、私も叫びたくなるけど。
⋯⋯偉大なお父さんの前なので、何とか自重する。
この、心の中の大騒ぎを何とか止めなくちゃ。
私の目的は脱アホ姫なのっ!
変なテンションにならないように、とにかく耐えるのよ。
私が最高級の紅茶の味も、わからないままゴクゴク飲んでいると、ローゼさんが私の耳元にそっと近付いてきた。
甘い吐息で桃の香りがふわっと漂い、思わず心地よくなってしまう。
「気持ちが落ち着くように、おまじないをかけますねっ」
次の瞬間、私はバケツに満たされた冷水を、頭からザバーッと被ったみたいに、驚くほど気持ちが落ち着いた。
直後に、ガーンッ! とバケツが落ちて来る感覚が何とも言えないけど。
おまじないすごーいっ。
私がローゼさんの方を見て、うんうんと首を振ると、彼女はこっそり親指を立てた。
おまじないの後は、ウィル君を見ながらでも、美味しくお菓子をパクパク食べられたし、バルマード様の話もちゃんと聞こえるようになった。
「エストちゃんがもっと家に来てくれると嬉しいよ。男爵家は近いんだから、いつでも遊びにおいで」
「はい! ありがとうございます」
バルマード様は、公爵って皇帝に次ぐ立場なのに、全くそれを感じさせない気さくな方だ。
だから私も接しやすいんだよね。
そういう意味ではウィル君も親に似てて、グイグイ話しかけてくれる。
話を聞いてるだけでも、楽しくて時間があっという間に過ぎていく。
窓から差し込む陽の色がオレンジに変わってきて、そろそろ帰り支度を意識しなきゃいけない時間になった。
残念だけど、楽しい時間って本当に過ぎるのが早いよね。
私の第一印象はどうだったかな。
少しでも良くなってたらいいんだけど。
ウィル君が私の前に立って、ニコッと笑顔を見せてきた。
「エストさん、もしよかったら夕食をご一緒にいかがですか?」
ウィル君の言葉に、バルマード様も「そうだね」って頷いて、私に夕食を勧めてくる。
今日は両親に「ゆっくり楽しんできなさい」って言われてたから、私はコクリと頷いた。
バルマード様は使用人に、私の帰りが遅れることを伝えるように指示すると、「夕食に間に合うように仕事を片付けてくるからね」と、堂々とした足取りで奥の方へ向かって行った。
ウィル君は私の方に席を寄せてきて、嬉しいことを言ってくる。
「良かったら、お友達になってください」
彼は良い意味で世間知らずで、純粋無垢なところが魅力だった。
「僕は昔からエストさんのことが好きだったから、こうやってお話しできてとっても嬉しいです」
好きって言われた!?
あーでも、昔からなら幼馴染な感じかな。
でも「好き」って言葉の心地良さはヤバいです。
「私もお話しできて、本当に良かったです」
私が恥ずかしそうに答えると、ウィル君が屈託のない笑みで応えてくれた。
彼の背後には、少女漫画さながらに色とりどりの花々が咲き乱れてるみたい。
彼の笑顔に、パスッと心臓を射貫かれた瞬間だった。
そしたらローゼさんが、さりげなくそばに来て、落ち着くおまじないをかけてくれたおかげで、私は一瞬にして冷静さを取り戻すことができた。
うおっ! まるで頭に水の入ったバケツが落ちてくるような、コントみたいな感覚だったけど、不思議とスッキリするわ。
ふっー、危ない危ない。
うかつに見惚れないように気をつけないとね。
好きだなんて言われたことがないから、どんな「好き」でも舞い上がってしまう。
ウィル君は席を立つと、私に優雅に一礼して部屋を後にした。
ーーウィル君やローゼさんに会って思ったのが、私はあの乙女ゲームにそっくりな異世界に来たんじゃないかなってこと。
実際のところは、他の攻略対象にも会ってみないとわからないけど、少なくとも一番気にしてたウィル君との間に何の問題もなかったことに、私はとても安心させられた。