67 愉快なお母様
静かにドアを閉じると、逃げ出そうとしたお母様が私の方へと振り返り、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で口を開いた。
「あ、あなたは、一度、夢の中でお会いしたエストさんですよね!?」
「少し静かな場所でお話しでもいたしましょう、レイラ様」
お父様のプライベートを覗き見るなんて、たとえ相手がお母様でも、見逃すわけにはまいりません。
◇◇◇
「え!? ここはバルマードと初めて会ったアリスタ侯爵邸では」
私はエストさんの中に眠る【時の権能】を理解し、初めてお父様がお母様に出会った、過去のアリスタ侯爵邸へとお邪魔した。
と言っても、実際に過去に干渉できるわけではない。
私がヒミツの力の全てを引き出しては、エストさんに申し訳ないですもの。
私を見て驚くお母様は、私と同い年くらいに若々しい。
「ど、どうしてエストさんが、私と一緒にこの思い出の場所に」
「人を見た目だけで判断されてはダメですよ。私がお母様を捕まえた時の動きに、何か思い当たりませんか?」
「ハッ、そういえば。あの身のこなしは、まるでローゼのように見事でしたね。でも、私はエストさんのお母さんではありませんよ。⋯⋯おろおろ、母親の愛に飢えているのですね。私がエストさんの母親代わりになれるなら、いくらでも言ってください!」
ちょ、そんなに強く抱きしめない!
まったく、この天然で、ノリで生きてるお母様は、まだ私の中身がローゼだということに気が付かないようですね。
私が軽く一本背負いをすると、お母様は大きく宙を舞って、ピタッと見事に十点満点の着地する。
「そろそろ分かっていただけましたか? 確かに私の見た目はエストさんです。ですが週に二度は私の夢に割り込んでは、のんきにお父様とののろけ話を朝まで語り、私の乙女心をズタボロにするものですから、いつも私に投げ飛ばされているではありませんか」
お母様が一瞬、時が止まったようにこちらを見つめると、ポンと思いついたようにこう応える。
「まあ、ローゼがエストさんに変装しているのですか? ローゼは昔からいろんなことができましたね。あの時、私の正体を言い当てた時なんかは、もう、生きた心地がしませんでしたよ」
ーーむかしむかし。
お母様は帝国一の『聖女』と呼ばれていました。
壮絶なる決戦。
お父様をかばって、魔王の一撃を浴びたお母様。
お母様は最期の力で、お父様の握る剣に光の加護を与えた瞬間、花びらを散らすかのように、そこから消えてしまったのです。
というのが英雄譚に出てくるお話しです。
「どうしたの、ローゼ? お腹が痛いの?」
「今、回想中ですので、これでも食べてお待ちください」
私は袖からシフォンケーキを取り出すと、お母様はスプーンを入れて満足そうな顔をする。
見た目通り、心も若返ってしまったお母様を大人しくさせるには、これが一番です。
ーーコホン、再開します。
その時、お父様は最愛の女性を失った悲しみを耐え、強い信念で魔王を斬り裂き、世界の闇を退けて勝利をお母様に捧げたのです。
まさかお母様が本当に生きているなんて、私でさえ信じられませんでしたが。
「ローゼ、アイスも欲しいわ」
「⋯⋯これをどうぞ、お母様」
私はお母様の冷蔵庫のようですね。
マイペースなお母様が魔王との戦いの後に、私たちの夢の中に鮮明な姿で訪ねてきた時は、はじめは奇跡だと信じておりました。
ですが、お父様の未来を案じて『全知の書』を手にした瞬間、その全てを理解したのです。
「はい。あの時、私はもうダメーッ! って思ったのですが。気が付くと、何と豊穣の女神ジラ様の元にいて、『女神の祝福』を受け、一瞬で傷が治っただけでなく、奇跡の力が強烈過ぎて、バルマードに出会った頃の、十六歳の姿まで若返ってしまったのです!」
「そこ、お母様が言っちゃうんですね」
と、まあ元気なお母様は、女神ジラの戦乙女に選ばれ、第二の人生を始めたわけです。
「こんなに若返るものだから、バルマードのところにも戻れなくて、仕方なく夢の中限定で会っているんです。それでどうして私を、初めてバルマードに会ったあのお屋敷に連れて来たんです?」
そんなお母様に、私はいたずらっぽく笑みを浮かべる。
「それはもちろん、お母様にお説教をするためです。ただの説教では、お母様には通じませんので。あの屋敷で、初めてお父様と一緒にコーヒーを飲む相手を、過去のお母様ではなく、私、もとい、エストさんにして、お母様の出会いをなかったことに」
その時、私は初めて、お母様の真っ青な顔を見た。
「そんなことしちゃダメーっ! だって、あそこで私とバルマードが出会わなかったら、ローゼもウィルもいなくなっちゃうじゃない。そんな悲しいこと耐えられません!」
ーーその言葉に、どこかホッとする私がいた。
私はエストさんの【時の権能】を使い、再度、お父様の部屋の前へともどる。
お母様は戻るなり、部屋をこっそり覗き込み、お父様の夢に入る隙を窺う。
その姿はあまりに滑稽だけど、今のお母様には姿を隠す能力があり、普通の者では見ることはできない。
でなければ、こんな間抜けな侵入者、すぐに追い出されてしまいますもの。
エストさんと入れ替わって良かったこと。
それは彼女が秘める力の真の価値に気付けたことです。
この力を魔王に狙われ、実家であるアリスタ侯爵家を失ったエストさん。
そんな彼女の一番の理解者でありたいと、私は強く決意する。
「さて、エストさんが目を覚ます前に、元に戻っておきましょう」
◇◇◇
「ふわーっ、なぜかローゼさんになった夢をみてしまった」
朝になると、私は豪華なベッドの上で目覚めた。
昨日はローゼさんとの話が盛り上がったところから、記憶がないんだけど。
身支度を整え、食堂に向かう廊下を歩いていると、バルマード様に出会った。
「おはようございます!」
「い、いやぁ、おはよう、エストちゃん。えっと昨日は良く眠れたかい」
バルマード様の声は少しぎこちなく、いつも堂々としてる雰囲気とはどこか違う。
そわそわしているような⋯⋯?
私が首をかしげていると、バルマード様がふいに話しかけてきた。
「私でよければ、いつでもクマのぬいぐるみになるからね。いつでも、言うんだよ」
「クマのぬいぐるみってなんですか?」
私の素直な質問に、バルマード様は一瞬目を丸くした。
「え、そうなの? 私の勘違いなら気にしないでくれると嬉しいな」
バルマード様はいつもの落ち着いた笑顔に戻る。
その瞬間、廊下の向こうからローゼさんが現れた。
「さきほど、お話しが聞こえたもので。お父様は、私のクマのぬいぐるみにはなってくれるのでしょうか?」
ローゼさんの言葉に、バルマード様が思わず噴き出した。
「ブハッ! ローゼ、何のことを言ってるんだい?」
「あら、私にはあのことをヒミツになさるのですね」
ローゼさんがいたずらっぽく微笑みながら、珍しくバルマード様の腕に抱きつく。
バルマード様は少し照れたように頭をかき、「たまに、だよ」と小さく答えた。
それを聞いたローゼさんが、嬉しそうに微笑んで、私にウインクしてくる。
彼女の笑顔はまるで陽だまりのようで、私も自然と頬が緩んだ。
私たちは軽い足取りで食堂へと向かった。




