35 報酬
そのまま熱く抱擁されては、頭に血が上って卒倒してしまうって本能的に避けたけど、そんな私の身のこなしまで、ウィル君は笑顔で褒めてくる。
そこへ、今ではちょっとした心の平穏をくれるローゼさんがやってきた。
ウィル君の身長がローゼさんよりも高くなってるのに気づいて、男の子の成長の早さを感じてしまう。
ローゼさんはウィル君の赤い髪を撫でて諭した。
「ウィル、レディーに簡単にハグをしてはいけませんよ。年頃の令嬢には、心の準備というものが必要なのです。嬉しい気持ちを伝えるのなら、最初は手の甲への熱いキスから始めなさいね。といっても、今キスをしなさいとは言ってません。するなら次の機会を狙うのです」
「そうだね姉さん。もしかして、エストさんを驚かせてしまいました?」
「いえいえ、ウィル君は何も悪くないですよ」
手の甲を撫でながら、ウィル君の柔らかな唇が自分の手にキスをするのを妄想して、一気に気恥ずかしくなる。
すると、頭の上から水の入ったバケツがガツン! と落ちてきたような衝撃を受け、私は一瞬で正気を取り戻した。
⋯⋯私の当面の課題は、このローゼさんの愛のおまじないを喰らう回数を減らすことだと悟る。
その後は私とウィル君とローゼさんの三人で景観の良いテラスでお茶しながらお喋りした。
ローゼさんが作ったお菓子は絶品で、あまりの準備の良さに誘導された気がしなくもなかったけど、そんなことを些細に思わせるほど、私もウィル君も口の中が幸せで溢れてた。
陽が少し傾いたお茶会の終わり頃、公爵家を訪れていた仕立屋のアニーが、私めがけてゆっくり近付いてきた。
「ちょっとエストお嬢様を借りてもよろしいですか?」
「そろそろお開きなので私は構いませんが」
「うん、エストさんまたご一緒しようねっ」
「ぜひ、次もお願いします」
私は席を立つと、ローゼさんとウィル君に軽く会釈して、アニーと一緒に公爵邸の数あるアトリエの一室へ移動した。
アニーが案内してくれた部屋には、仮縫いのドレスがずらっと並んでいて、テーブルに着くなり興奮気味に話し始める。
「今、工房の方で人手を増やして対応しているのですが、皇都のお屋敷の分に加え公爵様の領地の方の衣服も頼まれて。喜び勇んで一度目のお屋敷の分の納品を終えたのですが、その服を着た公爵家の方たちの姿が街で話題になると、他の貴族様方からもご注文をいただき。日々充実した時間を過ごしております」
「なんだか話が大きくなっちゃいましたね」
「はい! 現在、新たに別の工房も借りて規模を広げていますが、縫い子たちも大仕事に大変喜んでおります」
アニーが「今後、十分なデザイン料をお支払いできます」って伝えてきて、自分のデザインした服が多くの人に受け入れられるのはとても嬉しいことだった。
アニーに近い内に渡せる金額を聞くと、その額に目を丸くした。
う、嘘。そんなにもらっていいの?
「すでに納品したものに加えて、間もなく納品する分を合わせ、全体からするとほんの一部ですが、白金貨百枚は男爵家にお納めできると思います」
一千万円近い額を受け取る事になった私は、そのロイヤリティの大きさに唖然とさせられる。
管理は両親にしてもらうとして、男爵家に少しでも恩返しになればと、私の気持ちは豊かに満たされていくようだった。
アニーが「他の服もデザインしてほしい!」と目を輝かせるから、私は前世の記憶を頼りに、中世ヨーロッパ風の市民衣装を男性物はスタイリッシュに、女性物は華やかで可憐にアレンジし、勢いで何枚もデザイン画を描き上げた。
意見を聞いてみると、「傑作です!」って褒めてくれる。
「誰かとデザインの話ができるのって、なんだか楽しいです」
「そうですよね、布地や色とか組み合わせるのも面白いですよね。余った布も工夫して使い道を考えるのも好きですよ」
「小物とかパッチワーク、ポーチに色々ありますね」
私とアニーが衣服の話で盛り上がってると、気付かないうちに時刻は夕方になってて、公爵家のメイドがコンコンとノックしてきた。
バルマード様からの伝言で夕食、つまりあの豪華な晩餐への招待だった。
私は喜びを抑えながら、アニーに「またね」って別れを告げると、私がデザインした服を着たメイドに案内されるまま食堂へ向かった。
そこにはすでにバルマード様とウィル君、ローゼさんが席に着いてて、私もスッと座ると、バルマード様の合図でコース料理が運ばれてくる。
バルマード様は私とカフェについて話がしたかったらしく、今日はワインじゃなくて炭酸水を飲んでいた。
私もコルクで栓された炭酸水をもらうと、キンキンに冷えててまるで氷の魔法がかかったみたいな強炭酸で、シュワシュワが口の中で弾ける刺激がたまらない。
「炭酸が飲めるなんて思っていませんでした。独特の刺激があって美味しいですね」
「頭が冴える気がして、気分転換に飲んでいる事が多いよ」
んーっ、湯上がりのラムネやサイダーは美味しいよね。
修学旅行で泊まった温泉宿で飲んだ、あの「プハーッ」と言いたくなる甘い炭酸水の味は忘れられない。
私がキッチンで炭酸水とシロップを用意してもらうと、先にシロップを入れたグラスに五倍の量の炭酸水を注いで、レモンを少し搾ってサイダーを作ってみた。
こっちでもサイダーが飲めるなんて最高って顔した私に、三人が興味津々で近づいてきた。
私はこの甘くて爽やかな美味しさを知ってほしくて、みんなの人数分サイダーをささっと作った。




