29 過去との対面
ふと、あの頃の記憶が私の頭の中に鮮やかに浮かび上がってきた。
まるでさっきまでそこにいたかのように、体がその感覚を覚えている。
昔、この廃教会跡にある孤児院には私と年の近い子たちがたくさんいた。
中でも九歳のアランとミレットは特に私になついていて、いつも私の後ろをついて回ってたっけ。
私はここを管理する元シスターのアンリエットさんを手伝ってた時期があった。
畑仕事をしたり、水路で魚を釣ったりして孤児院の子供たちと一緒に汗を流していた。
夕方には収穫した野菜で作ったスープや、焼きたての魚をあの長いテーブルに並べて、みんなで笑い合いながら食べてたんだ。
でもそこで違和感を覚えた。
この記憶、どう考えても私が知ってるエストじゃない。
だって、アンリエットさんにはちゃんと敬語を使ってたし、子供たちには剣術や勉強まで教えてたんだから。
(⋯⋯私が今まで見てきたエストの過去の記憶って、歪められていたってこと?)
心の中でそうつぶやいた瞬間、真相を知るためにもこの記憶を追い続けるしかないと思った。
森の奥には魔物が出るから、子供たちにとって肉なんてご馳走は夢のまた夢だった。
だから私が一人で森に飛び込んで、田畑を荒らす害獣を弓で仕留めてた。
【収納空間】に詰めて持ち帰ると、数日は食卓が賑やかになったんだよね。
子供たちの笑顔があふれて、私まで嬉しくなっちゃうくらい。
実はスレク男爵家を「アカデミーの寄宿舎に泊まる」という言い訳で抜け出して、この廃教会近くに通ってたのには、きちんとした理由あったと分かった。
私に身を守るための術を熱心に教えてくれる謎の人物グランハルトが、アンリエットさんの知り合いで、彼女の家に下宿していたんだ。
男爵家には怪しまれない程度に帰って、アカデミーの学費としてもらったお金をこっそり使って、子供たちに紙とペンを買ってあげたり、食費の足しにしてとアンリエットさんに渡したりしてた。
遠慮がちな彼女に押し付けるように渡すと、その後は師匠のグランハルトと特訓の日々。
アランとミレットは私にくっついて回って、アンリエットさんの家で一緒に寝泊まりすることもあった。
私の特訓を見て、アランが目を輝かせてた。
「エストねーちゃんみたいに強くなって、将来は騎士か冒険者になるんだ!」
その夢を語る顔が、ほんと可愛くて仕方なかった。
⋯⋯でも、私は大きなミスを犯していた。
肉の味を知った子供たちの何人かが欲を出して、森に忍び込んで罠を張ろうとしたんだ。
そしたら、運悪く魔獣のブラッドウルフと鉢合わせしてしまう。
危機一髪のところで、グランハルトがその動きに気づいてたのが幸いだった。
子供たちにたっぷり恐怖を味わわせた後、一撃で魔獣を仕留めてくれた。
それ以来、子供たちは二度と森に近づこうとしなくなったんだ。
私とアランとミレットは揃って、「一体、何やってるの!」 と子供たちを徹底的に叱りつけた。
怒鳴りながらも、心の中ではホッとしたけど。
その代わりに魚がよく釣れる水路沿いの桟橋がある小屋を教えてあげた。
しばらくは焼き魚が食卓に並んで、みんな満足そうだった。
当時の子供たちは、アランとミレット以外はみんなここを出ちゃってるけど、二人がさらわれた時に水路沿いの小屋を思いついた理由がこれだったんだと、今なら分かる。
過去の回想が終わりかけたところで、エストがずっと徹底してやってきたことがいくつか、はっきりと思い出された。
それは自分がアリスタ侯爵家の一人娘だと悟られないように、変わり者を演じてたこと。
つまり、わざとそう思われるような行動を、皇都でしていたんだ。
しかもその徹底ぶりは半端じゃなくて、身内にもバレないように男爵家の人たちや、マクスミルザー公爵家の人たちにまで、尊大で厚かましい態度を取り続けていた。
--バルマード様が皇都を離れてる時や、お義父さまが剣を握れなくなった時のために身に付けておかなければならないこと。
その、もしもの時のためにグランハルトに護身術を学び、毒物の見分け方を覚えたり、睡眠薬や麻痺毒みたいな軽い毒への耐性を苦痛に耐えながら訓練し続けていた。
そんな技術を私に叩き込んでくれた彼とは十年以上前から出会ってて、ずっと影から私を守ってくれてた存在だったとわかる。
アカデミーに通うという理由で家を抜け出せるようになってからは、グランハルトに過酷な環境でも生き抜くための術を学び、彼の秘伝の奥義を本格的に教わるようになる。
彼が何度も口にした言葉。
「十五歳の誕生日を迎えるまで、何としても自分の正体を知られるな」
初めてグランハルトに会った時、彼はまるで探し物を見つけたような安堵の表情を見せた。
彼がどんな使命を帯びていたのか、結局聞けずじまいだ。
でもどうして十五歳の誕生日までなんだろう。
それって私がエストに転生した日だってことしかわからない。
そして私が全ての技術を身に付け、十五歳になる前の日に、彼は何も言わずに姿を消してしまう⋯⋯。