26 廃教会
ローゼさんが子供たちを上手くあやして建物の方へ向かうと、御者のおじさんが荷物を解いて運び込んでいく。
私も手伝いながら中へ入ると、そこは修理中のボロボロな部屋だった。
雨漏りしてるのか、床には欠けた壺やお椀があちこち置いてある。
そんなことを思ってると、ローゼさんが優しい口調で子供たちに問いかけた。
「そういえばアランとミレットを見かけないけど、どこかに出かけているの?」
やや背の高い女の子が答えた。
「それがミレットねーちゃんが帰ってこないから、アランにーちゃんが探しに出かけて、二人ともまだ戻ってないの」
その言葉に御者のおじさんが反応する。
「お嬢様。そういえば近頃、皇都の郊外に野盗が出るという噂を耳にしました」
ローゼさんの表情が一瞬ピリッと引き締まる。
「タンゼル、いつでも戦えるようにしておいてください。あなたがここの子供たちを守るのです」
「はい、お嬢様!」
ローゼさんはすぐ穏やかな顔に戻るけど、二人がいないって聞いた子供たちがザワザワし始める。
私も野盗という言葉に、戸惑いを覚えた。
⋯⋯そう、ここは安全な世界じゃない。何でもありなんだ。
「みんな、いい子にしてこのおじちゃんの言うことを聞いてね。私がアランとミレットを探してみるから、いつものように馬車の荷物を運ぶのを手伝ってもらえると嬉しいな」
ローゼさんの言葉が不思議と魔法みたいに、私や子供たちの不安をスッと取り去っていく。
元気を取り戻した子供たちが、荷馬車の方へ走っていく。
「エストさんには、ここで子供たちの相手をしてもらってもよろしいですか」
「一人で行こうとしているローゼさんを、このまま見送るわけには⋯⋯」
「私は今から皇都へと取って返し、応援を呼ぼうと思います。それにもし野盗が子供をさらったのなら、すぐに危害を加えるとは考えにくいです。そうでない場合もありますので、ここに残って二人の帰りを温かく出迎えてあげてください」
たしかに私は馬に乗れない。
ましてや、一緒に乗るなんて足手まといもいいところだ。
でも何かできることを考えなきゃ!
その時、建物の外から馬の鳴き声が響いてきた。
「姉さん、エストさん、いらっしゃいますか!」
ウィル君の声が聞こえると、数名の騎士を連れて中に入ってくる。
騎士たちはタンゼルさんを「近衛隊長!」と呼んで一斉に敬礼する。
「お二人ともご無事で何よりです。不審者の報告のあった廃教会に二人が向かったと聞いたもので、急ぎ騎士たちを引き連れてまいりました」
ウィル君たちが来た安心感から、私はクラっと膝の力が抜けて倒れかける。
そこをすぐさまウィル君に抱きとめられた。
ウィル君や騎士たちに向かって、ローゼさんが声を荒げる。
「ここの子供たちがさらわれた可能性があります! 今すぐ捜索隊を編成して探してください」
彼女の懇願する姿に、騎士たちの顔が引き締まる。
その瞬間、さらった子供たちを船の底に押し込め、水路を使って連れ出そうとする野盗たちの光景が頭をよぎった。
--何の根拠もないことをいま口にして、見当違いで手遅れになるのは怖い。
でも震える手を強く握って、勇気を出す。
「すいません! この辺りに水路がありませんか!?」
「皇都と港をつなぐ水路が、たしかに近くにあります」
ウィル君がそう答えて、ゆっくりと立たせてくれた。
「もし人を運ぶなら、馬車より船の方が隠しやすく、より多く運べるのではと思っただけです。もし間違っていたらすいません! ですがこの辺りに桟橋や古屋のようなものがあったりしませんか?」
部屋にいた全員が一斉に私を見ると、ローゼさんがうなずいた。
「確かに以前木材を運ぶために作られた、今は使われていない船着小屋があったはずです。いくつもある街道をむやみに探すより、まずは水路沿いを重点的に捜索する方が効率的です」
「任せてください姉さん。すぐに不届き者たちを見つけ出し、子供たちを救助してみせます!」
ウィル君は建物の天井の隙間から赤い光を空に打ち上げて、私たちに一礼して颯爽と外へ飛び出し馬を駆けさせていく。
「よく水路に気づいてくれましたね、エストさん」
ローゼさんが微笑みながら私の手を取ってくれる。
その手の温もりが私の不安な気持ちをじんわり溶かしてくれた。
--帝国では、奴隷売買は固く禁じられている。
『レトレアの乙女』では、水路を悪用して子供たちを遠方や他国に売り払う奴隷商人と貴族の悪だくみがあった。
でもそれを暴くのは海運業を生業とする長身の正義漢、ハイラン公爵家のミハイル公子とソフィアだけど、それはまだずっと先の話だ。
私はそのことを思い出しただけかもしれない。
だけど、子供たちが無事に戻ってくるのを祈らずにはいられなかった。
「さあ、お腹を空かせて帰ってくる子供たちやウィル、そして騎士たちのために心を込めて美味しい料理をいっぱい作りましょう」
そんなローゼさんの笑顔に、私の背筋はピンと伸びた。
何もせずにじっと帰りを待つより、心を込めて温かい料理を作っていた方が、きっとここにいる子供たちにも余計な心配をさせずに済むはずだ。
見つかるのを信じて、怖い思いをしただろう二人をできるだけのもてなしで出迎えてあげたい。
ローゼさんの話によると、この廃教会は以前シスターとして教会に仕えていた女性が、今は孤児院として運営しているらしい。
でも高齢の彼女は数日前から体調を崩して、ここに来られていないそうだ。
「彼女から手紙を受け取ったのでこちらへ来たんです。皇都から遠く離れた場所のことも、お父様は案じていますが、すべての子供たちに満足な食事を届けることは出来ていません」
ローゼさんが大鍋をかき混ぜながら作っているスープから、美味しそうな匂いがふわっと漂ってくる。
「そのお手伝いが少しでもできればと。いえ、これは余計なおしゃべりでしたね」
そんな彼女の姿勢に、私はますますローゼさんのことが好きになる。
「ローゼさんはもっと自分を褒めてあげてください。私が言うのもなんですが、立派なことだと思います」
仕込みから調理まで手際良く動くローゼさんの女子力に、私ももっとヒルダから学ばなければと強く感心させられた。
「ローゼさんのやっていることを、アカデミーで好き放題言ってる女子たちにも見習わせてやりたいです」
こんなにも人のために一生懸命になれるローゼさんが、悪く言われるのは世の中間違ってる。
「私は子供たちの喜ぶ顔見たさにやっているだけですので、ただの自己満足ですよ」
そう、クスクスと微笑むローゼさんが本物の天使のように見えた。
「だいたいの準備は終わりましたので、よかったらエストさんも外にいる子供たちと遊んであげてください。タンゼル一人では飽きてしまうでしょうから」