02 家族の温もり
お義父さまとお義母さまとの対面。
エストの記憶には、わがまま放題で両親を「じーさん」「ばーさん」と呼び捨てにしてた過去しかない。
深呼吸してドアをそっと開けた。
大きなテーブルには両親の男爵夫妻が座っている。
お義父さまは、かつて剣聖として名を馳せた人だ。
お義母さまは、優しげな目元に柔らかい微笑みを浮かべる。
二人の穏やかな視線に、私への愛情が伝わってくる。
テーブルの脇には、黒髪の麗人ヒルダが静かに控えている。
家令兼メイド長として落ち着いた佇まいで食事を見守るヒルダは、女の私でも見惚れる魅力がある。
「おはようエスト。さあ、早くこっちに来なさい」
お義父さまの優しい声にホッとする。
⋯⋯でも、これまで過去の態度を思い出すと申し訳ない気持ちが込み上げてくる。
「おはようございます。今までわがままばかりでごめんなさい!」
二人が目を丸くして顔を見合わせ、お義母さまが心配そうに口を開いた。
「エスト、あなた急にどうしたの。何か無理をしてない?」
「ちゃんと自分のペースでやってるよ。こうして家族で一緒にいられるのが嬉しくって」
「そういう素直なところがお前の良いところだ」
テーブルには焼きたてのパン、野菜のスープ、鮮魚のソテーが並び、マリーがそっと紅茶を注いでくれる。
「マリー、いつもありがとう。この紅茶の香り、ほんとに大好きだよ」
マリーがふんわり微笑み、頬を赤らめた。
お義母さまが私の手を取ってそっと微笑んだ。
「エストとこんな風に話せるなんて、なんだか夢みたい。これからもこうやって一緒にいられたら嬉しいわ」
その温かい手に、これまで私のわがままを優しく見守ってくれていたお義母さまの姿が思い出される。
お義父さまが昔話を始めた。
剣聖として指南役を務めた頃の思い出だ。
「若い頃は剣を振るうのに夢中でな! 弟子たちと汗を流したものだ。あの頃は、バルマード様ともずいぶん語り合ったぞ」
バルマード様の名前が出たのに驚いた。
お義父さまとそんな縁があったなんて、びっくりだ。
だけど今はそれを詳しく聞くよりも、家族のひとときを大切にしたい。
食事が終わり、マリーが皿を片付け始めた。
ヒルダがテーブルの脇から進み出て、穏やかな声で話しかけてきた。
「お嬢様、朝食はいかがでしたか?」
「ありがとうヒルダ、とても美味しかったよ。これからもヒルダの料理、楽しみにしてるね!」
「ありがとうございます、お嬢様。そんな風に言っていただけると作り甲斐があります」
翌日、私はキッチンに向かった。
そこはいつも焼きたてのパンやスープの温かい香りで満たされている。
キッチンにはヒルダが立っていた。
長い黒髪からフローラルな香りが漂う、落ち着いた彼女の綺麗な立ち姿に見惚れて、こんな素敵な女性になりたいって思った。
彼女の気取らない性格と褒め上手な一面が、使用人たちの憧れの的になってる。
「いつも美味しい料理をありがとう。よかったら、料理教えてほしいの」
「お嬢様が料理を? それは楽しみですね」
ヒルダがニコッと微笑む。
「では、簡単なものから始めましょう」
それからヒルダと料理教室が始まった。
ニンジンの皮むきで手を滑らせたり、塩をドバっと入れすぎたり、せっかくの材料を落としたりと、失敗の連続。
そんな日々を繰り返しても、ヒルダは優しく教えてくれる。
「大丈夫ですよ、お嬢様。失敗は上手になる第一歩ですから。ほら、この生地、いい感じにまとまってきましたよ」
ヒルダの言葉に不思議と自信が湧いてくる。
マリーもそばで生地をこねながら、楽しそうに笑う。
「お嬢様、このクリームパイ、形が整ってきましたね。とても初めてとは思えない出来ですよ」
失敗しても温かく見守ってくれるから、キッチンに立つのが楽しくてたまらない。
マリーがそっと紅茶を淹れてくれる。
「お嬢様、ヒルダさん、紅茶どうぞ。いつもキッチンが楽しそうで私も嬉しいです」
「ありがとうマリー! この紅茶、ほんとに美味しいよ」
ある日、前世で好きだったおやつを思い出して作ってみることした。
じゃがいもを薄くスライスして揚げたお菓子だ。
シャリシャリと薄く切る音に、油でカリッと揚げる香ばしい匂い。
塩をパラリと振ってヒルダとマリーに差し出す。
「このお菓子、サクサクして美味しくて、何だかクセになりそうです」
「こんな面白い食べ物は初めてです。お嬢様のアイデア、素晴らしいですよ」
二人の反応に私はつい嬉しくなる。
こうやって少しずつ家族のようになれたら、どんなに良いだろう。
私はそれからも料理を教わった。
「ヒルダ、マリー、いつもありがとう」
「こちらこそです。毎日かかさずに続ける姿には感心させられます。これからも一緒に美味しいものを作りましょうね」
夕食のときヒルダと一緒に作ったコーンスープを出すと、お義父さまが目を細めた。
「あのエストがこんなに美味いスープを作れるようになったとはな!」
「ありがとうございます。でも、これも全てヒルダのおかげです」
少し照れながら答えたけど、とても嬉しかった。
お義母さまも柔らかい笑顔を見せてくれる。
「あなたがこんな風に頑張るなんて、まるで魔法みたい。でもあまり無理はしないでね」
「心配してくれてありがとう。でも、みんなと一緒に頑張るのが楽しくて」
最初のうちはみんなが戸惑っていたけど、自然と受け入れられて屋敷の雰囲気もずっと明るくなった。
エストとしてこの世界で生きるうちに前世の記憶が薄れていくようだったけど、周りの笑顔を見てると私もたくさん笑うようになっていた。
今夜の食卓には、節約の中にも工夫が施された料理が並んでいた。
ヒルダが作る魚のムニエルは、黄金色に輝く皮がパリッと香ばしく、身はふわっと柔らかい。
パンプキンパイは、濃厚なカボチャの甘さにシナモンがほのかに香る。
コクのあるコーンスープは、口に含むと体がじんわり温まる。
どれも本当に美味しい。
「いつもありがとうヒルダ。今では姉のように、あなたの事を思ってる」
「やめてくださいよお嬢様。そんな風に言われると照れちゃいますよ」
ヒルダには心から感謝して料理を教わってる。
私がキッチンで目立ったのは、この世界じゃ知られていない料理やお菓子作り。
前世の記憶から、コーヒー店のバイトで覚えたミルクレープやフルーツパフェを作ってみた。
みんな喜んでくれて、「これなら、お店ができちゃいますねっ」って褒めてくれる。
お世辞でもすごく嬉しい。
翌日の夕食に出てきたデザートは、私が伝えたレシピをヒルダが完璧に仕上げた苺のミルフィーユ。
「エストにこんな才能があったなんて、良かったわね。最近はデザートのおかげで食卓も華やいでるわ」
「ワシもついつい食べ過ぎてしまう。この甘いデザートは昔、剣の修行で疲れた時に食いたかったぞ」
褒められるのは嬉しいけど、面と向かってはやっぱり照れる。
でもみんなの喜ぶ顔を見ると、こうやって笑い合えるなんて幸せだ。
夕食を終え、両親の椅子をそっと引いて立ち上がる手伝いをして、部屋に戻った。
◇◇◇
エストからもらった軟膏のおかげで、マリーの手はかつての荒れが嘘のように滑らかになった。
彼女はディナーの片付けをしながら、ヒルダにそっと語りかける。
「私、お嬢様のこと、大好きになりました。この軟膏を塗るたびに、お嬢様を思い出すんです」
「お嬢様はきっと好奇心が豊かなのね。人は何かきっかけがあれば、急に変わるものよ。それはマクスミルザー公爵家が扱ってる貴重な薬草を使った傷薬なの」
「え、そんな高価なものを私に!?」
「そんなこと気にしないの。あなたが喜ぶ顔を見られれば、お嬢様はそれで満足なのよ。そうだ、その綺麗になった手でお二人に紅茶を淹れてあげてね」
「はい、ヒルダさん!」
マリーは香り高い紅茶の入ったティーポットを受け取り、ソファーでくつろぐ男爵夫妻のもとへ向かう。
トレイを持つ手は自信に満ち、三つ編みが軽やかに揺れる。
深く一礼し、マリーは静かに自分の仕事に戻った。
男爵はパイプに火を灯し、煙草を楽しみながら夫人に紅茶を勧めた。
「ワシも子供を育てるのは初めてだが、じっくり見守ってやりなさい。可愛さ余って心配するのは分かるが、ワシらが思うより、あの子の成長は早いものだろうて」
「あの子が来た頃はまだ幼かったのに、いつの間にか背まで追い抜かれてしまったわ。エストのおかげでこの家が明るくなり、どんなにやんちゃでも、可愛くて許せちゃうのよね。うふふっ」
夫人の言葉に、男爵も自然と笑みを浮かべた。