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ペネロペがどんな気分であっても、陽は登って朝はやってきて一日は過ぎていく。
メロディはハンガーストライキをやめたら安心したのか、あるいは夜に少し冷えるようになったからなのか、また風邪をひいてしまったようだ。そこから面会はできていない。
ペネロペも社交シーズンで忙しいし、風邪を移されてしまってはメロディの身代わりがこなせないからだ。
今日という今日は、ペネロペの世話をする侍女たちの気合が普段よりも凄い。
今夜は王宮で夜会だからだろう。名目はなんだったか、何かを祝うパーティーだったか、新年なわけもないし……王族の誰かの誕生日か。
朝から風呂に入れられ肌を磨かれ爪を整えられ、合間合間で参加する貴族たちの名前の復習をし、マナーをおさらいしてドレスを着せられた。
ドレスやアクセサリー一式は金髪碧眼のレックス王子からの贈り物らしい。婚約者ということで彼の色がふんだんに取り入れられたものだ。
メロディはきっと嫌な気分だろう。
自分の好きな婚約者が身代わりにドレスを贈っているのだから。でも、王子の婚約者ということでこれは避けられないことであるし、別のドレスを着ていけばそれはそれで問題になる。仲の良さをアピールしなければいけないので贈らない・着ないという選択肢はなかったのだ。
王宮での夜会が一番の正念場で本番だ。
これまでの夜会は今日のための練習だったと言ってもいい。
一つ前の夜会では初めて王子と踊った。公爵家で何度か練習していたものの、誰かにあれほど見られながら踊るというのは緊張するものだ。
そして今日も踊らなければいけない。第一王子も第一王子派も大勢いる中で。
「大人しいな」
「私だって緊張はします」
口数の少ないペネロペがよほど珍しかったのか、小姑公爵に馬車の中でそう言われた。
「この王宮の夜会を乗り越えたら後は大丈夫だろう」
公爵は窓の外を見ながら無愛想に告げる。
確かに今日の夜会が終われば、あとは第二王子派の家での夜会をこなして終わりだと聞いている。今回の社交シーズンはそれで終わりで、来年はお茶会なども増えていくかもしれない。
「メロディ様のお加減はどうですか」
「……今朝の時点で熱は下がっている」
「それは良かったです」
ペネロペは公爵の向かいの座席に座っているが、公爵とは反対の窓を眺めながら会話をした。途中で公爵がこちらを向いたのが分かったが、公爵の方を向くことはしなかった。
公爵はずっと正しかった。
ペネロペは単なる興味本位と好奇心でメロディに会いに行ってしまった。小姑公爵に理由を説明されてダメと言われても、ペネロペはあの日バルコニーへとジャンプしただろう。
だって、自分の中にこれほど傲慢なペネロペがいるなんて知らなかったから。すべて持っているはずなのに病弱なメロディを可哀想だと見下げ、救ってあげたいだなんておこがましく思って自分が上に立ったつもりでメロディに接しているなんて。
メロディは必死に生きているのに。
もちろん、ペネロペだってそうだ。でも、必死に生きているようで自分のことは大嫌いだった。貧乏で、学もなくて、女だからというただ一点において弟よりも厚遇してもらえない。そんなペネロペが誰かを可哀想で救いたいなんて思うこと自体がおこがましい。それはペネロペ自身が嫌っていることなのに。
「回復されたら、決められた時間に面会に行きますね」
物分かりよくそう告げているのに、なぜか公爵は苦々しい表情をしていた。
城の控室で王子と落ち合い、一緒に入場してダンスをする。
「かなり緊張してる?」
「それはもちろん」
「いつもより表情が硬いし、睨んでいるようにも見えるから気を付けて。言いがかりをつけられる」
「はい」
高位貴族、いや王族の婚約者は大変だ。貧乏だって大変だから、そこそこの爵位でそこそこお金があるくらいが一番いいのではないだろうか。
ペネロペはため息を頑張って堪えて、一緒に踊る第一王子とその婚約者の公爵令嬢に視線をやる。
第一王子の婚約者はメロディとは外見が正反対の背の高い美人だった。
あちらの公爵令嬢は完璧な笑みを貼りつけていた。しかし、微笑んでいるのに絶妙に嬉しそうではない。単なる礼儀の微笑みなのだろう。
第一王子は、兄弟なだけあって第二王子によく似ていたが傲慢さが透けて見えた。レックス第二王子の方が穏やかで優しそうな見た目をしている。腹黒そうだけれども。
ダンスが終わると第一王子は婚約者そっちのけでどこかへ行っている。
あちこちから値踏みするように刺さる視線を感じながら、ペネロペは王子と一緒に挨拶に回る。
「兄は絡んでこないみたいだ」
「どこかに行かれたのでしょうか」
「これだけ人が多いと分からないな。もしかすると、バルコニーにいるのかもしれない」
「あぁ、それなら先ほどバルコニーに金髪の誰かが出ていくのを見た気がします」
レックス第二王子は「絶対絡んでくると思ったのに」とブツブツ言っている。
「国王陛下は婚約者を放っているこの状況に何も言わないのですか?」
「今のところは、といったところかな。一度のやらかしでは放り出すことはしないようだ」
権力者はそんなものなのかと感じつつ、適度に微笑みを浮かべて頷いた。
ダンスも挨拶も粗方終わったので安心したのか、急に頭痛がしてきた。緊張して肩に力が入りすぎていたかもしれない。頭痛なんてめったにないのに。
その後も何人かに挨拶をして頭痛を我慢していたが、とうとう顔にまで出てしまっていたようだ。
「大丈夫? さっきから顔色が悪い」
「すみません、人に酔ったのか、緊張が解けたのか頭痛が酷くて」
「挨拶はほとんど終わっている。これまでの夜会よりも長時間会場にいるからだろう。今抜けても問題ないから休憩室を使おう」
王子にエスコートされて歩き始めたが、すぐに恰幅の良い貴族が前から近寄って来た。
「まずいな。彼は味方につけておきたい伯爵だが話が長いんだ」
「使用人に声をかけて一人で休憩室に行きます。あの方はかなり難しい話を振って来られるでしょう。私ではついていけませんから」
これまでの夜会で見たことのある伯爵だ。
手広く商売をやっていて、裕福で他国のことにも詳しいから話が難しいのだ。あちらはメロディではなく、第二王子と話したいだけだから大丈夫だろう。
小姑公爵を探したが、彼は彼で令嬢たちとその親たちに囲まれていた。
「扉の近くに赤毛の使用人を待機させている。彼女に話しかけてくれ」
「ありがとうございます。では、後ほど」
扉の近くにいた侍女に声をかけて休憩室まで連れて行ってもらう。
メロディは第二王子の婚約者なので王族専用の休憩室だ。
彼女が水を持ってきてくれるというので、待ちながらソファに少し横になった。頭の重みを他に預けると頭痛が少し良くなる。
「疲れた……」
しばらく深呼吸を繰り返しているうちに段々と楽になってきた。
高位貴族もこんなに楽じゃないとは。貧困にあえぐ生活から煌びやかだが気の抜けない足の引っ張り合い。
こんなこと、やっていられない。
第二王子もよくやるものだ。頭を低くして無能のフリをしてメロディと結婚して適当な爵位を貰っていれば、お金に困らない適当な生活ができただろうに。
でも、彼はそんな安寧な生活を選ばなかったのだ。
ふと、先ほど令嬢たちに囲まれていた小姑公爵を思い出す。
小姑公爵だって、親を早くに亡くして病弱の妹を守りながら奮闘している。私に身代わりをさせているけれど。
ぼんやり考えていると、扉が開いて誰かが入って来た。
侍女が水を持ってきてくれたのだろうと少し経ってから起き上がろうとすると、上から押さえつけられた。
「へぇ、お前がメロディ・オルグレンか。意外と可愛い顔をしてる」
ノックがない時点で気付くべきだった。
まさに傲慢そうな表情を浮かべた第一王子がペネロペの上にのしかかっていた。