表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法使いの娘  作者: 青井するめ
18/22

母親


 謹慎期間が解けた。学院のどこをうろついても誰からも咎められないはずだ。さぼっていることを教導師に見つからなければ。

 ネスカールは、まず真っ先に図書館へいった。今まで一度も訪れたことのない図書館では、司書の訝しげな視線にさらされながら、五冊ほど本を借りて、屋上近くの小庭園に陣取った。この小庭園は、教室と離れている関係で滅多に人が立ち入らない。人目を避けたいときに重宝するから、ネスカールはよく利用していた。

 庭園の真ん中にある人魚の像真下に腰を下ろし、ネスカールは読み始めた。本来なら、一回生が手にするには難易度の高い魔法理論が書かれている。正直なところ、きちんと理解できているかどうか、自信がなかった。誰かに相談できればよかったのに……そうはいっても、果たして誰に救援を求めればいいのか。

 ネスカールには分からなかった。

「ねェ、あんた」

 いきなり上から呼びかけられて、驚いて顔を上げると、人魚の像がこちらを見下ろしていた。像は言った。「あんた、どっかで会ったことある?」

「ええっ?」

 像にそんなことを聞かれるとは思わず、ネスカールは戸惑った。「ない……と思うけど」

「あんたの顔、見覚えあるんだよなァ」

 像は、眉にしわを寄せて考え込んでいた。「ンー、ひょっとして、エイルロードの身内だったりしない?」

「えっ、お母さんを知ってるの?」

 思わず、ネスカールは立ち上がっていた。膝の上から本が落ちて、石敷きの床に突き刺さった。

「アア、あいつの娘なのかァ」

 像は、険しい顔のままだった。「あいつ、追放されたんだっけ? 最近見ないんだ」

「それは……そうです。わたしも、一度も見たことない」

「アハッ、そうかァ……そうね、子煩悩なヤツじゃないモンな」

「……あの」

 ネスカールは、像に問いかけた。「母は、ここにいるとき、どんな人だったんですか」

「ンン? そうねぇ……どんなっていうか……一言でいえば、人嫌いよ。人嫌い」

「人嫌い?」

「うん。ほとんどいつもひとりでいた。たまに人といるときは、まるで氷みたいな眼してるんだわ。イワシの群のなかにひとつだけシャチが混ざってるみたい。ヘンなヤツだ、と思った。そのかわり、人以外には案外に愛想がいいのよ。よく小さな竜を連れてた。それであたしのところにやってきて、世間話をして、自作の詩を朗読するの。くっだらない、頭の痛くなるような詩をね。あたしもさ、長いけれどここにいるけど、ああいう人間見たことなかったね。本当に、ヘンなヤツだった」

「……」

「だから追放されたと聞いたときは、驚いたけど、驚かなかったね。なんていうか、当然という気がしてならなかった。あの子、何年くらいこの学院にいたんだろう? 五年くらい? いずれにせよ、いつか自分から出て行くんじゃないか。そう思っていた。同じようなことを考えてた学生もけっこういたよ。あたしのところ、前はちょくちょく学生が来て、いろいろと話していったんだけどさ。今の学院長もそのひとりで、とても残念に思うとかどうとか、そんなこと言ってた。希有な才能が失われてしまったってね。そうかなァ。あたしは疑問に思わないでもないんだよね」

「疑問?」

 ネスカールは問い返した。「どういうこと?」

「つまりさ。あの子が追放されたのは、禁忌とされた悪魔の召喚に手を出したから。少なくとも、噂ではそうなってる。

 でもね、あたしは何度も見てるんだよ。あの子が下位悪魔をぞろぞろ連れて、ここにやってきてはお茶会をしてるのをさあ。学院の連中は誰も気づいていなかったけどね。そう、あの子は……ちゃんと知っていたはずだ。第六階層の住人に親しくするリスクも、危険性も。あの子は、ちょっとばかりへそ曲がりで、さらに傲慢でもあったけど、頭は決して悪くなかった。だから、どうしても納得いかなかったんだ。

 本当にあの子は、そんなことをしたんだろうか」


 *


「それで」

 人影は言った。「準備はできたかね?」

「準備って言われてもな」

 ネスカールは及び腰で反発した。どうしても人目を気にしてしまう。目の前の人影は確かに怖かったが、それ以上に恐ろしいのは、誰かに見つかることだった。周囲に人の気配はないけれども、自分の魔法がひどく不確実で、時としてまるで作用しないことを、ネスカールはよく知っていた。

 また、森の中だった。学院と〈惑いの森〉の中間あたりだ。すでに日も暮れており、こんなところにやってくる学生はまずいないだろうけど、確実とはいえない。とはいえ、さすがに〈惑いの森〉にこれ以上近づく気にはなれなかった。複雑な魔法が作用し、木人や、ユニコーンや、人狼たちの住処であるという、あの森には。

「さっさと始めるがいい」

 人影は言った。こちらの状況を斟酌してくれる様子は、どうやらなさそうだった。「お前たち人間には、限られた寿命しかないのだろう」

「うるさいなぁ」

 その声は、自分でも情けなくなるくらい小さかった。いくら強がろうが、自分がこの地底からの住人を恐れていることは自分にさえごまかしようがなかった。

 手近な枝を拾い上げて、ネスカールは森の中の地面に陣を描いた。魔法の力を増幅させる陣の描き方は、やはり一回生では習わない。本を片手に、半ば引き移す形で描いているのだから、誤りがないとは言い切れなかった。実践ならともかく、魔法の理論知識に自分が疎いことは、百も承知だ。そもそも、そのせいで自分は、このような窮地に立たされる羽目になったのではないか?

「どうした」

 人影が問うた。「手が止まっているぞ」

「なんでもない」

 ネスカールは答えた。「それで、わたしは何を探せばいいの?」

「お前という人間には、本当に呆れさせられるよ」

 心底失望したような声を聞かされて、少なからずネスカールは傷ついた。それを表に出さないことが出来たかどうか。

「いいかね。先ほど説明したとおりだ。おれの魂切れは、地上のどこかに居着いている。それは間違いない。しかし悟られぬよう、身を隠しているはずだ。おれならそうするし、なんといってもおれの一部なのだから。

 すると手がかりとなるのは、おれを呼び出した召喚者にある。こちらの暦で二十年ほど前に、おれの力を求めた身の程知らずがいるはずだ。結局は失敗したが」

「失敗したんだ」

「悪くない力量を持っていたが、いかんせん生け贄もなしに穴を開けようと言うのは愚か者の沙汰だ。傲慢か、それとも怯懦か、どちらかが原因で、相手はそれを怠った。そしておれの一部だけが、細い穴を通して、こちらに現界した」

「…………」

「しかし所詮は魂切れだ。地上では思うように力をふるえぬし、実体を得ることも叶わぬ。代理の身体が必要だったはずだ。召喚者自身が身体を貸したのか。それとも別の身体を用意したのか。どちらにせよ、畢竟手がかりは件の召喚者にあり、その居場所を知れば魂切れも自ずと見つかるはずだ」

「そう」

 ネスカールはうなずいた。「その召喚者が誰なのか、あたしは知ってると思う」

「ならば早くしろ」

 人影のいらえは早く、素っ気なかった。「お前がいかに粗末な魔法の使い手だろうと、時間さえあればいずれ答えに辿り着くはずだ」

 本当だろうか。

 ネスカールには分からなかった。なんといっても、母が追放されてから二十年経っている。その間。誰も母を探さなかったのだろうか。母は遠い西の彼方にでも去ったのか。それとも、身を隠しどこかでひっそりと生きているのか。

 分からなかった。分からないが、やってみようと思った。自分と母には親子という紐帯がある。探索の魔法には、それが重要に作用するとネスカールの知識にもあった。もしかしたら、本当に母の行方が分かるかもしれない。

 陣の中心で、ネスカールは深く息を吸った。精神を集中し、そっと呪文を唱えて、意識の根を世界の端々に伸ばした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ