禁忌
チャンドラ、お前だけが頼りだ。オルドイン家の再興はおまえの肩にゆだねられているんだ」
お父様がそう言っている。やさしく肩に手を置いて。
「学院で結果を出せ。そうすることが、ロッサール家を学院長の座から追い落とし、我が家が再び魔法界の頂点に立つ第一歩だ」
そうだ。他の兄弟と自分は違う。自分ならできるはずだ。お父様の期待に、応えられるのは自分だけだ。
目の前が暗くなる。
「オルドインの末娘はだめだな。凡庸な素質しかない。目立った成績を上げられるとは思わんね」
誰かが言っている? なぜ? なぜ自分を認めてくれない?
「あそこの兄弟はどれも微妙だな。なにしろ父親があれでは……」
「オルドイン家も落ちぶれたものだ」
「賢人長の座は、当分ロッサールが持ったままだろうな」
「滑稽だな。あれではいくら頑張ろうが……」
「なんといってもあれの父親は……」
「一族の面汚し……」
「そんな」
知らず、叫んでいた。誰にも聞こえないのに。誰も聞いていないのに。
「わたしがんばります。がんばって、我が一族と、お父様の名誉を」
*
「やめて!」
金切り声を浴びて、はっとネスカールは棒立ちになった。
チャンドラがこちらの手を振り払い、その場にへたりこんだ。両手で耳を押さえ、火のついた赤子のように泣いていた。ネスカールは言葉を失い、その場に立ち尽くしていた。寒い。ふるえが止まらない。
塔の扉が開き、マハードが顔を出した。彼は、明るい日差しに端正な顔をゆがませたあと、その場にいるふたりの少女を見下ろして、小声で何かをつぶやいた。それが呪いの言葉であったとしても、ネスカールは驚かない。
*
学院長室は、飾り気のない長方形の部屋だった。片面の壁に大きく窓がとられ、高価な透明の硝子がはめ込まれて、秋口の澄んだ日差しを室内に取り入れていた。敷かれた緑色の絨毯も、複雑な魔術文字で彩られたタピスリーも、それなりに値の張るものではあったけれど、華美を主張して部屋を飾るためのものではなかった。実際のところ、飾る必要はいっさいなかった。
学院長は大きな机の後ろで、椅子に浅く腰掛け、組んだ両手を机の上においていた。まなざしは厳しく、口元は結ばれて、言葉を両顎の力で封じているように見えた。その前に立つネスカールは、力なく肩を落とし、うなだれて、一切の言葉を持たなかった。
「話は聞きました」
学院長が切り出した。「ネスカール。私は初日の挨拶で、皆に言いましたね。この学院の掟を。ひとつ、許可なく人に向けて魔法を使ってはならない」
「はい」
自分でも情けなくなるくらい、その声は小さかった。
「あなたはその掟を破った。例えどのような事情があろうとも、懲罰の対象となります」
アメジスト色の瞳が鈍く光り、ネスカールを見つめていた。「何か、言いたいことはありますか」
「いいえ」
ネスカールは小さく首を振った。「ああ、でも、ひとつだけ」
「なんです?」
「あの子は、大丈夫ですか?」
誰のことを言っているのか、分からない学院長ではなかった。両手を組み直し、「さほど大きな問題はないでしょう。もっとも、心の中に無理矢理に踏み込まれることは、誰であっても非常な苦痛を伴います。ましてや、年若い子であればなおさら」
学院長の視線から逃れたくて、ネスカールは顔をうつむけ、ほとんど真下を向いた。学院長は続けた。
「心の内側を覗く術は、非常に高度なもので、みだりに使うことは院生にも許可しておりません。あなたはあの術を、誰に習ったのです?」
ネスカールは首を振った。「誰にも」
「まさか。初等課の一回生が扱える術ではないのですよ」
学院長は椅子から身を乗り出した。「あなたの母親から教わったのではないですか」
「違います」
それだけははっきりと、大きな声で、ネスカールは言った。「わたしと母は、会ったことも、話したこともありません。わたしと母親は違う人間です。同じように扱うのは、やめてください」
言葉の途中から心が高ぶって、声が少し裏返ってしまった。そのあとに後悔した。なんといっても自分は、懲罰を受ける立場だ。その上で学院長に逆らうような言葉を使って、はたして無事でいられようか。
おそるおそる視線を上げると、両手を組み合わせ、険しい表情ながら、どこかさびしそうな学院長が目に入った。学院長は、呟くように言った。
「そうでした。あなたはエイルロードではない。そのことを、みな私たちは忘れているんじゃないかしら」
「え?」
小声で呟くと、学院長は席を立ち、机を回り込んでこちらへ歩いてきた。
「あなたのお母さんと私は同期でした」
学院長は言った。「私の方が年は上でしたが、魔法使いとしての腕は、彼女の方が上だった。なんといっても彼女は、年若くして大エイルロードと呼ばれる、最高の魔法使いだったから」
学院長の言葉を、ネスカールは何も言うこともできず、ただ口を開けたまま聞いていた。
「私は彼女に憧れ、彼女を羨み、彼女を疎んでいた。彼女はとても優秀だったけど、同時にとても問題の多い人だったから。だからといって私たちが、彼女を避けていたわけじゃない。むしろみな、彼女のことをとても好いていた。だからこそ、あんなことになってしまって、私たちは残念がったのだけれど」
学院長の手が、そっとネスカールの肩にそえられた。「ネスカール、あなたは確かに彼女の娘ではあるけれど、彼女とは違う。その通りだわ。でも、違わないこともある。優秀な魔法使いは、そのぶん、力をきちんと制御することを求められる。あなたはそれをしなくてはならない。何よりもまず先に。
自分の力を磨き、それを正しく使えるようにしなければ」
それだけ言うと、学院長はきびすを返し、再び机の向こう側に戻った。そして言った。
「ネスカール、あなたを一週間の謹慎処分とします。寮から外に出ず、今回の件について反省すること。そしてきちんと、チャンドラ・オルドインに対し、自らの行為を謝罪すること」
「……はい」
「私からは以上です。下がってよろしい」