第一話 サルでも分かるクッキー泥棒
俺、ゼイルは昨日、仕事から帰ってきて家でクッキーを焼いた。
冒険者ギルドの美人受付嬢ナタリアさんのために、心をこめてハンドメイドクッキーを焼いたのだ。
初めて作ったクッキーだが、かなり上手くできたと思う。焼いたクッキーはガラス瓶に入れて、ちゃんと金属製の蓋もしめた。
そして、棚の高いところに置いておいた。
そのあと、俺の所属するパーティ《辺境の風》のリーダー、ガイナが誘いに来たので夕飯がてら飲みに行った。
かなり酔っ払って帰宅し、起きたら昼だった。
そして気がついたのだ。
「クッキーが、一枚も残っていないだとぉ!?」
俺は慌てた。ひどく慌てた。
あれは俺が心をこめてつくったクッキーというだけでなく、材料も特別なのだ。
昨日の仕事の依頼主は、街外れにある牧場だった。
この辺境の地で牧場を営むのは難しい。野獣や魔物が、牧場で飼われている家畜を狙ってくるからだ。
その上、牧草地に植えてある栄養価の高い牧草を、スライムが食べてしまう。
最弱の魔物スライムだが、辺境の牧場では忌み嫌われている。栄養価が高い牧草を食べたスライムは、すぐに分裂するからだ。
一匹が二匹になり、二匹が四匹になり……一晩で広い牧草地が全滅することも、ままあることだという。
『一匹見つけたら、百匹になると思え』
辺境の地の牧場に伝わる格言だ。
そういったわけで昨日の依頼は、牧草地にはびこるスライムの退治だった。
牧草地を荒らされ、落ち込む牧草主を励ましながら、俺は冒険者パーティ《辺境の風》のみんなとスライムの駆除に励んだ。
無事に依頼を完了すると、牧場主はいたく喜んでくれた。俺たちの励ましが嬉しかったのかもしれない。
そして牧場でとれた品を、特別に格安で売ってくれるという。
新鮮なミルク
濃厚なバター
そして産みたての新鮮な玉子
ここは辺境なので、新鮮な食料はとても貴重で値段も高い。そしてそれを買える機会も少ない。
誰もが欲しがるのですぐに売り切れるのだ。だから俺達は牧場主に感謝しながら、それらの品を買った。
そして俺はナタリアさんのために、クッキーを焼こうと思いついたのだ。
『ナタリアさんは、クッキーが大好き』
俺のナタリアさんへの気持ちを知っているガイナが、他の受付嬢から彼女の好みを聞き出してくれたのだ。
「クッキー?いいんじゃねーの?ナタリアもクッキーが好きらしいしな。ゼイル、お前は見た目は強面なのに料理できるだろ?《ギャップ萌え》ってやつだな。ライバルが多い上に、お前はナタリアより三つも年下だ。頼りがいより《ギャップ萌え》で押していけ!まっ、無理かもしれねーけど、頑張ってみろ」
受付嬢のナタリアさんは、いつも笑顔で俺たちに対応してくれる。厳しく俺たちを指導することもあるが、そのアドバイスは的確だ。
上手く依頼をこなすと、一緒になって喜んでくれる優しい一面も持つ。
そんなナタリアさんに俺が心惹かれるまで、そう時間はかからなかった。
ただ、ライバルが多い。
俺はどうも口下手で、いままで事務的な事以外でナタリアさんと話せていない。
なので、この現状を打破すべく、ガイナのアドバイス《ギャップ萌え》とやらに賭けてみることにした。
少しでも話すきっかけになれば……そう思ってのことだ。
それなのに、肝心のクッキーが一枚も残っていないなんて……。
クッキー泥棒、ぜったい許さん!
・・・+・・・
今、俺の目の前に、クッキー泥棒の容疑者が二人、並んで立っている。
いや、容疑者が二人立って、一匹が座っている。
今回の事件現場は、いつも飯を食ってるキッチンテーブル。
ガラス瓶の蓋は開けられ、テーブルの上に横倒しになっていた。
残っていたのはクッキーの欠片だけ。
キッチンテーブルと床にクッキーの欠片が、これでもかと撒き散らされている。
焼いたクッキーの数は合計二十枚。
クッキーのサイズは大きめ。
さて、勝手に食べたのは誰なのか?
さっそく、尋問を始めよう。
一人目の容疑者はケン。六歳になる俺の甥っ子だ。
俺の姉貴は二人目の子を妊娠中だが、どうも体調が思わしくない。
義兄さんも仕事が忙しく、ケンの世話まで手が回らない。
俺たちの両親はすでに他界しており、義兄さんの実家も遠く離れた場所で頼りにできない。
なので俺がしばらく預かることになった。
最初は辺境の土地に、都会っ子のケンが馴染めるかどうか心配したが、いらぬ心配だったようだ。
元気いっぱいに毎日過ごしているし、友達もたくさんできたようだ。
俺にも懐いてくれ、俺のことを「ゼイルにい!」と呼んでくれる。俺の甥っ子は、なかなか愛嬌のある悪ガキなのだ。
将来は俺のような冒険者になると言って、毎日木の枝を振り回している。本人的には剣の稽古のつもりらしい。
さて、そのケンだが、今は俺の目の前で口いっぱいにクッキーを頬張り、容疑を否認している。
リスのように膨らんだ頬は可愛らしいが、ぼとぼと口の端からクッキーの欠片を落とすのは勘弁して欲しい。これは後で掃除が大変だな。
「ケン、お前が俺のクッキーを食べたんじゃないのか?」
ケンはぶるんぶるん首を横にふる。クッキーで口が塞がっていて話せないのだ。
「お前は食べてないんだな?分かった。疑ってすまない。ところで、いま食べているクッキーは美味いか?」
ニッカと笑って、ウンウンと大きく首を縦にふるケン。
そうか、旨いか。
俺は一人暮らしが長いので、料理もそこそこできる。今回、初めてクッキーを焼いてみたが上手くいったようだ。
まあ、もう一枚も残ってないが。
二人目の容疑者はアンナ。隣の雑貨屋の娘。
ケンと同じく六歳。くりくりした目と、真っ赤な丸い頬が可愛い女の子だ。
アンナは頭が良く、もう文字が読めて簡単な計算もできるらしい。両親の代わりに、雑貨屋の店番に立つこともあるそうだ。
勉強が苦手だったケンも、こちらに来てからはすっかりそんなアンナに感化された。アンナには負けたくないらしい。
そんなわけで、ケンとアンナは午前中は近くの幼年学校に一緒に通っている。
午後になると、また一緒に帰ってきて俺が作り置きしておいた昼ごはんを二人で食べ、宿題をすませてから遊びに出かける毎日だ。
ケンがちゃんと育っているのもアンナのおかげだな。アンナ様様だ。
アンナの両親、隣の雑貨屋夫婦には、俺がこの辺境の地に来たときから大変世話になっている。
ひょんなことから仕事でこの地に訪れた俺は、荒々しくも雄大な自然と、その中で暮らす陽気な人々が、すっかり気に入ってしまった。
仕事や人間関係で荒んだ心が癒やされるような気がしたのだ。
俺の心を癒やしてくれた人々の中には、アンナの両親ももちろん含まれている。
そのアンナだが、口のまわりにクッキーの欠片をいっぱいつけて、俺の前に立っている。
可愛い女の子が口のまわりに、泥棒ひげの形にクッキーの欠片をつけている様は、かなり可愛らしく、そして面白い。
その上、かじっていないクッキーを一枚ずつ、しっかり両方の手に握っているのも笑える。
そうか、そんなに美味かったか。
雑貨屋一家は、俺の心をいつも癒やしてくれる。
「アンナ、お前が俺のクッキーを食べたのか?」
小首を可愛らしく傾げて、「んー」と考えるアンナ。顔が傾いたせいで、こいつもぽろぽろとクッキーの欠片を床に落としている。
「アンナね、食べてないと思う!」
「ふむ、そうか、食べてないのか。疑って悪かったな。またクッキーを焼こうと思うんだが、アンナはどんなクッキーがいいんだ?」
「アンナね、このクッキーも好きだけど、ジャムが乗ってるクッキーも好き!」
両手に持ったクッキーを掲げるように持ち上げ、ぴょんぴょん飛び跳ねるアンナ。なるほどな、ジャムが乗ったクッキーは確かに女の子に好まれそうだ。
アンナ、情報提供ありがとな。