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71話 不意打ち作戦

 想いを通じ合わせたエンディミオン様との甘い時間を過ごしていると、唐突に医務室の扉が開く音が聞こえてきた。


「もう帰って来たんですね。せっかく独り占め出来ていたのに……」


 残念そうにそう呟くエンディミオン様の声を聞き、思わず笑ってしまう。


「ふふっ、これからはいつだって出来るじゃないですか」

「っ! そんな夢みたいなことがこれから――」

「おや? だいぶ体調が戻ったみたいだね」


 エンディミオン様が目を輝かせながら何かを言おうとしたが、戻ってきたアルバート先生が顔を覗かせそれを遮った。その後ろには、どこで出会ったのかギル様もいる。


「はい。お陰様で起きてしばらく経ったあたりから、これといった不調も無くなるくらい回復しました!」


――エンディミオン様が傍にいてくれた効果も大きいわ。

 想いも伝えられたし、キスまでして……。


 先程までの出来事を思い出し、余韻もあっていつもよりずっと心が高揚しているのが分かる。だが、その心の高ぶりを二人には気付かれたくなかったため、何事も無い感を出すよう意識をしながら返事をした。


 すると、先生は気付いた様子は見せず「それなら良かった」と言い、私とエンディミオン様に交互に視線を向け、再び口を開いた。


「じゃあ、今日からお家に帰っても良いよ。心配だったら、もちろんここにいてくれても構わないですし。どうする?」


 そう提案され、私は家に帰るという選択肢をとることにした。


 ◇◇◇


 先生に別れを告げ、私は帰るためにギル様も連れて馬車の前へとやってきた。



「ギル様、お手をどうぞ」

「うむ、感謝する」

「クリスタ様。お手をどうぞ」

「ありがとうございます」


 いつものように、エンディミオン様が馬車の中へギル様と私を導く。その後、別れを告げてから扉を閉じるという流れになるが、今日はいつもと違う。

 私が馬車の中に入り席に座ったのを確認すると、エンディミオン様も乗り込んできた。


 そうというのも、先生に帰ると告げた際、エンディミオン様が家まで送って行くと申し出てくれたのだ。


 ここ数日の彼の心身のことを考えると、断って休ませてあげた方が良いのは分かる。だが、せっかく結ばれたばかりの彼と離れがたく、私はエンディミオン様の送るという言葉に、今日は有難く甘えることにした。


――騎士団から家まではすぐだから、エンディミオン様との時間も一瞬ね。


 なんて思っていると、馬車が動き出してすぐに、対面に座ったエンディミオン様がコソコソと話しかけてきた。


「クリスタ様。ギル様にお伝えしてもよろしいでしょうか?」


 そう言うエンディミオン様は、表情に薄らと緊張を漂わせている。ギル様が見極め役をするなんて言ったから、そんな表情になっているのだろう。


 だけど、何も心配はいらない。ギル様は、エンディミオン様のことを非常に気に入っている。そのため、私は笑顔でエンディミオン様に頷きを返し、座面に寝転がっているギル様に声をかけた。


「ギル様。お話したいことがあるので、聞いていただけますか?」

「うむ。どうした?」


 私の声掛けによりムクッと起き上がると、ギル様は私の目をジッと見つめてくる。


――そんなまじまじと聞かれるなんて、何だか緊張してきたわ。


 そう思いながらエンディミオン様に顔を向けると、ギル様も釣られるようにエンディミオン様に視線を移した。

 すると、真面目な表情をしたエンディミオン様が、一呼吸を置いて口を開いた。


「ギル様にご報告があります」

「ん? 報告?」

「はい。実は本日、クリスタ様が求婚に応じてくださいました」


 その言葉を聞くと、ギル様はエンディミオン様に向けていた視線を、再び私に戻し問いかけてきた。


「クリスタはそれで良いのか? エンディを、ちゃんと愛しているのか?」


 その問いに、私は迷いなく答えた。


「はい。結婚相手はエンディミオン様しか考えられません。それくらい、私は彼を愛しております」


 そう告げ、私はエンディミオン様の横隣に移動し、彼の手に自身の手を重ねた。すると、その手をエンディミオン様がそっと包み込むように握り返してきた。


 驚きエンディミオン様を上目で見れば、にっこりと微笑む彼がそこにいる。それだけで、フッと気が緩み笑みが零れ、不思議と幸せな気持ちが湧き出てくる。


 そして、そのまま正面のギル様に視線を戻すと、ポカーンとした様子のギル様が目に映った。かと思えば、ギル様は途端に輝かんばかりの笑顔を浮かべ、歓喜の声をあげた。


「クリスタっ……! 良かったな! 何とめでたいことだ! エンディも良く努力したな。われは嬉しいぞ! 愛しいそなたたちが結婚するとは、われにとっても幸せなことだ!」


 想像とは異なり、驚くほどに喜んでくれるギル様の反応からは、無償の愛を感じ取られた。そしてそれは、私の心に充実と嬉しさの波を引き寄せた。


 するとそんな中、冷静になったギル様が、エンディミオン様にとある質問を始めた。


「それで、いつじゃ!?」

「何がですか?」

「結婚の挨拶に決まっておろう! 人間にはそのような文化があると聞いた。ならば、エンディの両親にも挨拶せねばなるまい。いつだ? なるべく早くにしよう!」

「早くと言うなら……珍しく二人とも明日は家にいるようですが……」


 その言葉に、私は驚きを隠せなかった。


――明日ですって!?


 急すぎる。そう思っていると、隣にいるエンディミオン様が顔を覗き込むようにして訊ねてきた。


「明日、クリスタ様の家に両親を連れて行ってもよろしいですか?」

「い、いきなり!?」

「無理でしたら遠慮なく仰ってください。心の準備もあるでしょうし、クリスタ様のご都合に合わせます」


 そうは言うが、公爵夫妻は忙しい人。それくらい、貴族でなくとも知っていることだ。

 そんな二人が、偶然予定が無い日があることの方が滅多にない。


――ただ一つ懸念はあるけれど……私は交際でなく、結婚をすると決めたんだもの。

 いつかは通る道でしょ。

 そのいつかが、偶然明日ってだけよ!


 そう心で復唱して、私は言葉を返した。


「無理ではないですよ。いつかはお会いしなければなりません。ただ……あまりにも急だったので少し戸惑ってしまったんです」

「それはその通りですね。ですが……何か心配ごとがおありなのでは?」


 やはり、エンディミオン様には隠し切れないようだ。私の反応を見て、何かを感じ取ったのだろう。


「気付いてましたか……」

「クリスタ様をずっと見てきましたから、それくらい分かります。思ったことは何でも仰ってください」

「はい……。ええと、私の家は子爵家じゃないですか。だから、公爵様なんて立場の方がいらっしゃることを考えたことが無くて、無事おもてなしできるかどうか心配で……」


 そんな懸念を伝えると、エンディミオン様はきょとんとした表情を一気に緩め、穏やかに笑い始めた。


「大丈夫ですよ。人間同士ですし、本当に何も気にすることはありません。それに、うちの両親がクリスタ様に何かするなんてまずあり得ませんから」

「そう……なんですか?」

「はいっ! ですので、そのことに関してはご安心ください」


 ね? と言いながら微笑みかけてくる彼。そんな彼の言葉は、なぜか説得力がある。

 他の人の大丈夫や安心という言葉は信用しきれなくても、エンディミオン様がそう言うなら本当に大丈夫なのだろうと思えてくる。


 なんてことを考えていると、ギル様がエンディミオン様の加勢を始めた。


「クリスタ。エンディが大丈夫と言えば大丈夫なんだ。それに、仮に何かあったらわれが守ってやる!」

「ふふっ。ギル様、ありがとうございます」


 任せておけとでも言うように胸を張るギル様に、思わず笑いが零れる。その光景を見て、エンディミオン様も笑っている。そんな中、私はそっと独り言ちた。


「でも、そうですよね。大丈夫だと思います。なにより、エンディミオン様のご両親ですしね」

「そうですよ。だから、明日はぜひ楽しんでください!」


――楽しむ!? 


 なんて驚いたが、エンディミオン様のとびきりの笑顔が炸裂し、それと同時に私の不安も自然と弾け飛んで行った。


 ◇◇◇


「それでは、明日お伺いしますね」

「はい。よろしくお伝えください」


 あっという間に家に到着し、私はギル様と共にエンディミオン様の見送りをしている。

 明日直ぐに会えると分かっているのに、この一瞬の別れにも物悲しさを覚える。


――もう少し一緒に居たかった。

 って……私どれだけ自分の気持ちに素直じゃなかったの?

 どう考えても、完全に恋よね……。


 一日や二日でこんな感情なんて生まれない。結局のところ、抑制力が強かっただけでずっと前から好きだったのだろう。


 そんな思いにひしひしと気付かされていると、エンディミオン様が私の左手をそっと掬った。


「すぐにご用意しますので、少しだけ待っていてくださいね」


 そう言って、彼はごく自然に私の左の手の薬指にキスを落とした。


 その瞬間、私の薬指は急速に熱を帯び、そこを中心に全身に熱が広がり始めた。そして、その熱はあっという間に頬まで巡った。


「っエンディミオン様……」


 ときめきや恥ずかしさがごちゃ混ぜになり、情けない声が出てしまう。


――もう完全に彼の掌の上で翻弄されてしまっているじゃないっ……!


 そう思っていると、エンディミオン様は楽しそうな表情に少し悪戯な笑みを浮かべ、言葉を続けた。


「赤らんだ顔も可愛らしいですね。クリスタ様、愛しております」


 そんなことを言うと、彼は当たり前のように私の頬に本当に軽く口付けた。

 そして、極上の笑みを浮かべながら、距離を取りように一歩後ろに下がり、何事も無かったかのように、私たちを家に入るよう促した。


――何でそんなに平然と余裕でいられるの?

 さっきから、私ばかりがドキドキさせられているじゃない。

 何だかちょっぴり悔しいわ。


 まんざらでもないにせよ、私ばかりが翻弄されている状態。だからか、つい、余裕な笑みを浮かべ、挙句頬にキスを落とした彼のその余裕を少し崩したくなってしまった。


 その結果、必死に頭を巡らせある一つの作戦を考え付いた。

 その作戦を実行するため、まず私は素直にエンディミオン様に見送られるふりをしながら、玄関へと続く庭の道を歩き始めた。


 そして、もうすぐで玄関に到着し、かつエンディミオン様から完全に死角になったというところで、私の作戦は開始された。


「ギル様、先に中に入っていていただけますか?」

「どうしたのだ?」

「ちょっと、馬車の中に忘れ物をしたみたいで……」

「うむ。分かった」


 その返答を聞き、私はギル様にちょっぴり罪悪感を抱えながら、急いで馬車へと引き返した。すると、ちょうど馬車に乗り込み扉を閉める寸前のエンディミオン様が視界に入った。


「エンディミオン様!」


――間に合って良かった。


 そう思いながら声をかけたところ、ほぼ閉まりかけだった馬車の扉が勢いよく開かれた。そのため、気付いてくれたのだと分かり、私は急いで扉に近付いて、耳を貸してと言わんばかりにちょいちょいと彼に合図を送った。


 すると、エンディミオン様はそれは素直に、扉の直ぐ傍まで私に顔を寄せた。


「クリスタ様! どうされましたか?」

「馬車の中に忘れ物をしちゃって……」

「え、何を……んっ!」


 真面目に探し物を探そうとする彼の唇に、少し背伸びをして軽いキスを落とした。


「ク、クリスタさまっ……」

「……っ馬車が行ってしまう前で良かったです。では、明日お待ちしております。お気をつけてっ……」


 そう言い残し、私は振り向くことなく急ぎ足で家の中へと入った。最後の方に至っては、駆け込んだと言っても過言ではないだろう。

 そして、家に入って一直線で自室に戻るなり、私は腰から力が抜けたように座り込んだ。


――あんな顔、反則でしょう……!


 忘れ物と称し、不意打ちでキスをする。そしたら、彼の余裕の崩れた顔が見られると思ったのだ。


 しかし、キスした直後の彼の顔があまりにも色っぽ過ぎて、自身の心臓の加速を感じ思わず逃げ出してしまった。

 ドキドキさせるはずが、私の方がドキドキしてしまった。これでは本末転倒である。


「恥ずかしいし、私がただの変態みたいだわ。……やっぱり、慣れない下手な仕掛けなんてするものじゃないわね」


 そう呟いた私は、馬車の中で林檎のように顔を真っ赤にし、私以上に身悶えている彼の様子を知る由も無かった。

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