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29話 彼のお願い

 今日は終業後にエンディミオン卿との用事があるため、その用件が終わり次第すぐに帰れるように帰り支度をしていた。


 すると、医務室の扉がガラガラと開き、エンディミオン卿が顔を覗かせた。


「クリスタ様、大変お待たせいたしましたっ……!」

「ちょうど帰る支度をしていたところなので、待っていませんよ」


 まるで待ち合わせに1時間遅れてきた人のように大袈裟なエンディミオン卿に、そう声をかけた。


 ――そこまでしなくても良いのに……。

 何だか悪い気がしてきちゃうわ。


 そんなことを思っていると、ふと背後から横へと影が抜けていった。


「クリスタさん、今日はお疲れ様。気を付けてね」

「はい、先生もお疲れ様です」


 アルバート先生だった。そして、先生がしてくれた去り際の挨拶に、私も言葉を返し見送った。そんなタイミングで、エンディミオン卿が声をかけてきた。


「それでは、行きましょうか」

「はい」


 そう返すと、フッと微笑みを見せ、エンディミオン卿は案内するかのように歩き出した。


 私はそんな彼にトコトコとついて行き、2人で第3騎士団長室へとやって来た。


 到着し室内に入ると、エンディミオン卿はすぐにココアを出してくれた。


 コクコクとココアを口にすれば、甘ったるい砂糖とほろ苦いカカオの香りが広がり、一日の疲れた身体が癒されるのを感じる。


 しかも、エンディミオン卿が入れてくれるココアはなぜか特に美味しいのだ。だから、ついほっこりした気分になって、自然と笑みが零れてしまう。


 だが、エンディミオン卿は話があって私を呼んだのだ。プロポーズですらそこら辺でする人が、こうして改まってする話なんて、かなり大事な話に違いない。


 そう考え、緩みかけて気を引き締めて、目の前の椅子に座っているエンディミオン卿に問うた。


「ところでエンディミオン卿。一体どういったご用件で、私にお話があるのでしょうか?」


 そう訊いたところ、優しい笑顔は真面目な顔に切り替わり、エンディミオン卿はゆっくりと口を開いた。


「騎士団の大会についてお願いしたいことがあるんです」


 剣術大会で私にお願いだなんて、一体どんなことなのだろうか……。


 私が大会当日、治癒士として働かなければならないことを知っているエンディミオン卿だからこそ、余計に疑問符が浮かぶ。


「どのようなお願いなのですか?」


 この質問を受け、エンディミオン卿の表情が一際真剣なものへと変わった。


「私は絶対に勝ち抜いて決勝に出ます。クリスタ様がお忙しいのは承知ですが、どうか決勝だけ見に来ていただけないでしょうか?」


 決勝を見に来てほしい……そう言うことだとは理解した。もちろん、行けるのであれば行くこと自体には何の問題も無い。


 ――だけど、大会の怪我人ってどれくらい出るのかしら?


 それが分からないと、期待させるようなことは言えない。


「決勝までに治療が間に合えば行けますが、その時の患者さんの数や、怪我の重症度にもよって変わってくるので、必ず行くとはお約束できません」


 今のところ、騎士団に配属されてから大怪我という大怪我の治療を要する人が来ていない。


 そのため、レベルMAXの神聖力による治癒力がどれくらいかも未知数だし、神聖力の消費量も不明だ。


 だからこそ、正直にはっきりと告げたところ、彼は残念だという気持ちが見え隠れしているような、力無い笑みで微笑んできた。


「そう……ですか。でも、仕事は大事です。もちろんそちらを優先してください」


 何て物分かりの良い人なんだろう。そう思っていると、エンディミオン卿は少し前のめりの姿勢になり言葉を続けた。


「ですが、もし来られそうだった場合は、観に来てほしいですっ……」

「もちろんです。行ける場合は観に行きますね」


 私もいつも治療をしている人たちが、活躍して戦っている姿を観てみたいという気持ちはあった。そのため、行けるのであればもちろん行く、そんなつもりで答えた。


 すると、エンディミオン卿はとても嬉しそうな表情になり、「ありがとうございます!」と喜びを顕にした。


 しかし、すぐに私の様子を窺うような態度になり、躊躇いがちに話しかけてきた。


「クリスタ様、実はあともう1つお願いしたいことがあるんです」


 彼は軽く呼吸を整えると、少し緊張した面持ちで声を発した。


「もし私が優勝した暁には、1つお願いを聞いて欲しいのです」


 優勝の対価に見合うお願いだなんて、一体どんなことを言われるのだろうか。これで安易に良いと答えて、結婚と言われても困る。


「何でもかんでもは無理ですよ」


 そうはっきりと告げた。すると、エンディミオン卿は然知ったりという様子で口を開いた。


「もちろんそこは分を弁えております。……お願いできないでしょうか?」


 エンディミオン卿が弁えている分とやらが、一体どんなものなのかは分からない。だが、ここ半年で私のエンディミオン卿に対する見方は変わっていた。


 ――話しをしてみると飛び切りおかしいときもあるけれど、エンディミオン卿は意外とまともな人だと分かったわ。

 それに、好意を無理やり押し付けるようなことはしない人だわ……。


 最初は送り迎えすると言っていが、断ればその意見をちゃんと受け入れてくれた。


 それに朝馬車の前で出待ちするのも、こちらが嫌がると察して最初のうちから辞めてくれていたと後で知った。


 ダメと言われればきちんと折衷案を出し、私が良いと言わないと絶対に無理強いはしなかった。


 少なくとも、彼は私が本気で嫌がることは絶対にしない人だと、ここ半年を通じて理解した。だからこそ、ちょっとくらいなら良いかもしれない、そう思った。


「良いですよ。エンディミオン卿が優勝した場合、1つだけお願いを聞きましょう」

「――っ! 本当ですか! 嬉しいっ……。絶対に優勝しますねっ」


 そう言って、彼は今日1番幸せそうな顔で微笑んだ。


 その後話しは終わり、エンディミオン卿はいつものように私を馬車まで送ってくれた。


 そのときの彼の足取りは、喜びを隠しきれないほどに軽やかだったため、つい笑ってしまいそうになった。


 こうして、私がエンディミオン卿と約束を交わした日から数日後、ついに騎士団の剣術大会の日がやってきた。


 大会当日の今日、私とアルバート先生は準備のため少し早めに医務室に来ていた。するとそこに、これから大会に出るはずのエンディミオン卿がやって来た。


「エンディミオン団長、もう演練場に行かなければならない時間じゃないんですか?」


 先生がそう声をかけたところ、エンディミオン卿は肯定しながらも私に向かって宣言してきた。


「クリスタ様、必ず優勝してきます。私は必ずあなたに勝利を捧げると誓います」

「別に捧げなくても良いですが、実力を存分に発揮して頑張ってください」


 そう告げると、エンディミオン卿は嬉々とした様子で破顔した。


「クリスタ様から応援していただけるとは……。好きです、結婚して――」

「お断りいたします」


 こうしていつも通りの調子で会話をした後、名残惜しそうにエンディミオン卿は剣術大会の会場へと向かった。


 そして、しばらくすると開会の音が聞こえてきた。剣術大会の幕が、今ここに上がった。

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