第八話:新たな魔獸
***
夕方。
「じゃあ、また明日〜」
一人の少女が友達に手を振り、別れた。
ツインテールの少女は、赤いチェックのスカートに、紺のブレザー。”かわいい”と評判の、都内の女子高の制服姿だった。
一人、自宅へと帰る道を歩いていると、ふと、前方を歩く女性の様子がおかしいことに気がついた。
女性はフラフラと、おぼつかない足どりだ。
ピンクのカーディガンに、白いスカートという清楚な出で立ち。黒く長い髪が、彼女の危うい足どりと共に、ユラユラと不規則に揺れている。
そうして見ているうち、女性はフラリと体勢を崩し、地面に膝をついた。
「大丈夫ですか!?」
少女は慌てて、女性に駆け寄った。
「す、すみません・・・」
女性は言いながら、さらにガクリと脱力する。
女性の肩を支えると、少女には、洋服越しでも、女性の体がとても冷たいことが感じられた。
肌も青白く、目も虚ろで、体調が悪いことは明らかだ。
「どうしよう、救急車を呼んだ方がいいのかな?」
少女は困って、スマホを取り出した。
「だ、大丈夫です。よく、貧血を起こすの。少し休めば良くなりますから」
女性はそう言って、少女が救急車を呼ぶのを制した。
「あ、じゃあ」
と、少女は思い付いたように言う。
「すぐそこに公園があって、座れる場所もありますから、一緒に行きます」
少女はそう言って、女性に肩を貸した。
「ありがとう・・・」
女性は小さく呟いた。
***
「なるほどな」
小さな少女の見た目に相応しくない、アグラをかいたポーズで、アテナは頷いた。
「”ゴッドファイブ”というのに四人しかいないと思ったら、仲間の一人が敵の手に落ちていたとはな」
アテナが言うと、烈たちは悔しそうに顔をしかめた。
「まぁ、起こってしまったことを悔やんでも仕方ないだろう。この四人で戦うしかないのだ。さっきも言ったが、アタシはお前たちのことを気に入った。色々と面白いからな」
アテナはそう言うと、烈の顔を見て、ププッ、と笑いをこらえた。
明らかに、先ほど地面にめり込んだ烈の姿を想像している。
「な、なんだよ」
烈がイライラと言うが、流がそれを制す。
「それじゃあ、俺たちに力を貸してくれるんですね?」
流が言うと、アテナは、うん。と頷いた。
「邪神軍が再び世にのさばるのも気に食わんしな。協力はしてやろう」
アテナの言葉に歓喜の表情を浮かべる四人。
「ただし」
しかし、アテナは、やや厳しい顔で続けた。
「アタシは”戦いの女神”。戦いには正義も悪もない。つまり、アタシの立場はあくまで中立だ。アタシの力を使って、その顛末がどうなるか。それはお前たち次第だということを、忘れるなよ」
そう言って、アテナは燃えるような赤い髪をかき上げた。
***
少女が住む団地からほど近い場所に、小さな公園があった。
団地の住人たちの憩いの場であったが、子供が減ったこともあり、ここで遊ぶ人影は、めったに見なくなった。
それでも、木陰に置かれた長いベンチは、夏場でも涼しい。
一休みするにはうってつけだ。
そのベンチに女性を座らせ、少女は様子を見ていた。
「具合、どうですか?」
少女が言うと、女性は弱々しく笑った。
「ありがとうございます。お陰様で、少し良くなりました」
女性は言うが、まだその顔は青白かった。もう少し休んでいた方が良さそうだ。
「あの、アタシの家、ここの近くなんで、お水でも何でも、持ってきますね。なんなら、アタシの家で休んでもらっても」
少女が言うと、女性は少女の手をスッと握った。
「それじゃ、ひとつ、お願いしてもいいかしら?」
「はい、なんでも」
そう返事をしたとき、少女は女性の白い手から、何かがスラリと伸びていることに気付いた。
(糸・・・?)
ワイヤーのようなしっかりとした糸が、女性の手だけでなく、肘、脚、胸・・・体中からびっしりと伸びている。
「な、なにこれ」
ギギギギギと、不愉快な”軋み”を響かせながら、女性は少女の顔を見上げた。
女性は無機質で無表情な顔になり、まんまるに見開かれた目は、宝石を埋め込んだように、紫色の光を帯びている。
「アナタモ、ニンギョウ、ニ、ナッテ?」
女性が、機械のような、抑揚のない声で言った。
少女は驚いて後ずさりすると、女性の後ろに、何かがいるのに気付いた。
それは、彼女たちの倍はあろう背丈の、歪な姿のバレリーナだった。
真っ白な顔に、まるで目と鼻と口を表すように、丸い穴が空いている。
陶器のように白く、細長い右手から、先ほどの無数の糸が伸びていて、それが女性の全身に巻き付いている。
バレリーナがその糸を引っ張ると、女性はギギギギギと、不自然な動きで立ち上がった。
「アナタモ、ニンギョウ、ニ」
女性は口をパクパクさせて言った。それも、バレリーナが糸を操って言わせていることだった。
「い、い・・・」
少女が叫ぼうとしたその瞬間。
シュバッ!
女性が、およそ人間とは思えない速さで少女の後ろに回り込み、少女の体を締め付け、口を塞いだ。
「・・・むぅ!」
人間の、しかも女性の力とは思えないほどの力で締め付けられ、少女は意識が飛びそうになる。
女性は、少女を巨大なバレリーナの前へと連れていく。
「〜〜〜!」
間近で見る巨大バレリーナの姿は更におぞましく、少女は塞がれた口の中で悲鳴をあげる。
「コォォォォォォ」
バレリーナは吐息のような声を漏らすと、左手を差し出した。
左手にも、女性を操っているのと同じ、無数の糸が付いているが、その先にある”ニンギョウ”は見当たらない。
そこで、少女は察した。
その”ニンギョウ”は、自分なのだ。
「〜〜〜〜!!!」
少女は塞がれた口で必死に叫び、体を動かして抵抗するが、声を漏らすことも、女性の拘束から逃れることも叶わない。
ヒュン!
バレリーナの手から、糸が少女の方へ飛びかかる。
ドドドドドド
糸は、少女の胸、肩、肘、手首、膝、足・・・
少女の全身に取り憑いた。
少女はガクン、と全身を脱力させる。
「・・・」
女性が離れても、少女はもう逃げようとはしない。
いや、体が動かせないのだ。
声すら出すこともできない。
彼女の体の支配権は、体に取り憑いた糸によって、完全にバレリーナに奪われてしまった。
バレリーナは糸を持ち上げると、少女の体は宙に浮かび上がり、バレリーナの眼前でプラプラと揺れた。
少女は虚ろな目で、バレリーナの不気味な顔を見つめることしか出来ない。
「コォォォォォォ」
バレリーナが何か言うと、バレリーナの目の穴から、紫の光が放射される。
それに呼応するように、無表情な少女の目も、紫の光を放ち始める。
(女王・・・様)
少女は頭の中でそう呟くと、少女の意識は完全に消滅した。
数分後、少女と女性は、誰もいない公園に、並んで立っていた。
少女も女性と同じく、青白い素肌になり、紫色の虚ろな目を宙に向けている。
「コレデ、ニタイ、メ」
少女が、機械のような声で言った。
「ゴシュジンサマノ、オノゾミヲ、カナエルニハ、マダ、タリナイ」
女性も同じような声色でそう言う。
「モット、ニンギョウ、ヲ」
少女が言った。
「ゴシュジンサマノ、タメニ」
女性が言った。
「コォォォォォォ」
二人の背後には、姿を見えなくしたマリオネットクイーンが、糸を握っている。
マリオネットクイーンが糸を動かすと、まるでオモチャの人形のように、少女と女性は、足並みを揃えてギクシャクと歩き出した。
***
数日後。
「ビビビッチィ〜!!」
純喫茶「オリンポス」に、ルビッチの叫び声が響くと、烈たち4人は喫茶のカウンターに集合した。
「どうした、ルビッチ!」
烈が言うと、ルビッチは小さな手で、必死にテレビを指差した。
テレビには昼のニュース番組が映され、数人の少女たちの写真が映し出されていた。彼女たちは、黄色いジャケットに黒い蝶ネクタイ、同じく黄色を基調とした、チェックのスカートを履いて、それぞれが手に持った楽器を掲げ、笑顔をカメラに向けていた。
ニュースのタイトルは、「白昼の怪事件、女子高生集団失踪〜連続失踪事件と関連か〜」とあった。
流が、テレビのボリュームを上げた。
『昨日、都内のお祭りで、○○女子高等学校の生徒十数人が集団失踪しました。生徒たちはブラスバンド部で、お祭りで演奏を披露する予定だったということです。
顧問の先生が、待機室に様子を見に行くと、楽器以外の全ての持ち物を残して、全員が忽然と姿を消したそうです』
「こ、これって・・・」
一男が言うと、流が黙って頷いた。
「最近多発している失踪事件といい、邪神軍の仕業に間違いなさそうだ」
「でも、こんな大規模に市民を連れ去って、どういうつもりだ?」
烈が言うと、
「誘っているんだろう」
そう言って、炎の中から姿を現したのは、数日前から「オリンポス」に滞在している、アテナだった。
「ビッチィィ」
ルビッチが、驚いてカウンターテーブルから転げ落ちた。
「ま、まだ、女神さまが二人も『オリンポス』にいる状況に、慣れないっチ・・・」
「誘ってる?俺たちを?」
烈が言うと、アテナはテレビを睨み付けたまま、黙って頷いた。
「明らかに邪神軍の仕業とわかる所業を働き、お前たちを誘い出す。そこで、お前たちを迎え撃つつもりだ」
「逆を言えば、俺たちを迎え撃つ準備が、向こうには出来ているってことか」
流が冷静に言った。
「どんな準備が出来てるって言うんだよ!この前は”偶然”負けたけど、俺たちはヨルムンガンドって魔獣を倒してるんだかんな!」
烈が言うと、アテナは強めの口調で言葉を挟んだ。
「その魔獣を、どうやら召喚したようだ」
アテナの言葉に、ゴッドファイブたちの顔から、一斉に血の気が引く。
「な、なんだと!?」
「また、あんな魔獣がこの街に!?」
「やはり気付いていなかったか。数日前から、この街の至るところに、魔獣の気配がうごめいている」
アテナが言うと、烈は俯いて、少し黙った。
だが、やがて、
「行こう」
烈がそう言って、顔を上げた。
その目は決意に満ちていた。
「その魔獣を倒しに!」
「れ、烈、正気なの?」
一男が、心底不安そうな表情を見せる。
「また、”あの時”みたいな、大変な戦いが始まるんだよ?」
「一男。それでも、その魔獣を倒せるのは、俺たちしかいないんだ」
烈が言うと、流も頷いた。
「そうだな。このままじゃ、もっとたくさんの人たちが、邪神軍の手に落ちてしまう」
二人の言葉に、一男もパン、と自分の顔を叩いて喝を入れる。
「そうだね、ごめん。弱気になって。僕たちで、みんなを助けよう!」
勢い付くゴッドファイブの面々を横目に、アテナは渋い顔でテレビ画面を見つめる。
(この気配。やはり、ただの魔獣ではないようだ・・・)
アテナは、烈たち四人の姿を見て、思案を巡らせた。
(いずれ分かることだが、まだコイツらには言わない方がよさそうだな)
***
ブンチャン、ブンチャカ♪
ブッパッ、ブッパッ♪
人を小馬鹿にしたような、陽気な音楽が流れ始めると、傀儡たちはゆっくりと体を起こす。
焦点の合わない、紫の光を帯びた目を、誰もいない客席へと向けると、虚ろな表情のまま、カクン、と上体を倒してお辞儀をする。
全員が若い女性で、ドリームサーカスの練習用レオタードに身を包み、カクカクと踊る。
音楽に合っているのかいないのか、ある者はバレリーナのように、頭上で腕を丸の形にし、つま先立ちでコトコト歩く。
またある者は、客席に目線を向けたまま、足を開いたり閉じたりしながら、跳びはねるようにして舞台上を行き来する。
レオタードのVラインの股間が、足を開く度に客席に向けておっぴろげられる。この光景を見たら、観客たちはどのようなリアクションを取るだろうか。
そんなことを考え、テュポーンはニヤリと口角を上げた。
彼の座する玉座の目の前、特設ステージで踊っているのは、”マリオネット・クイーン”がこの数日で集めた傀儡たちだ。
マリオネット・クイーンの魔力に魅了され、彼女の操るままに動く、意思の無い人形たち。
ツインテールの女子高生も、サラサラとしたロングヘアーの女子大生も、素朴で健気な若奥様も、今や前髪をピッタリとアップにし、キツいお団子髪にまとめた、シンプルな髪型で、肌色のレオタードを着て踊る、個性や特徴もすべて消された、ただのデク人形だ。
そして、後ろで彼女たちが踊る音楽を演奏する楽団。
彼女たちも、昨日、マリオネット・クイーンが、その辺のお祭りにいたブラスバンドを丸ごと傀儡にして連れてきた少女たちだった。
他の傀儡と同じく、地味なお団子髪にされた彼女たち。
黄色いタキシードに、黒い蝶ネクタイという出で立ちだが、それらは他の傀儡たちと同じくレオタードになっており、ピッタリとした生地は、女子高生ながらしっかりと女性の体になりつつある彼女たちの胸やお尻の形を、ハッキリ浮き上がらせていた。
黄色いレオタードのVラインはかなりハイレグになっており、これもまた、彼女たちの性器の形をしっかりと露にし、タキシードの燕尾を象った飾りは、彼女らのお尻を隠すには短すぎて、よって、レオタードが食い込んで、彼女たちのお尻の形は完全に黄色い布の上に再現されてしまっていた。
そんなことを気にもせず、少女たちは楽器の演奏を続ける。
彼女たちも例外なく、マリオネット・クイーンに支配されており、クイーンの動かすままに楽器を演奏させられているのである。
彼女たちが着ているレオタードも、当日、彼女たちが着ていた、ブラスバンド部の衣装が、オムファロスの力によって変化したものだった。
都内でも有数の実力を誇るブラスバンドである彼女たちだが、今はマリオネット・クイーンに操られるままに楽器を演奏しているため、その音楽は惨憺たるものだった。
しかし、彼女たちは、もう自分たちがブラスバンド部分
であったことなど、とうに覚えていない。
ただ、女王様に操られるままに動く。それが、彼女たちの唯一の使命なのだ。
ブンチャン、ブンチャカ♪
ブンパッ、ブンパッ♪
ブンチャン、ブンチャカ♪
「ええい、止まれ、止まらんか!!」
野太い号令が響くと、音楽が止まり、踊っていた傀儡も、楽器を演奏していた傀儡も、まるで時間が止まったように、動きの途中でピタリと停止した。
マリオネット・クイーンが、人形たちを操る手を止めたからだった。
叫んだのは、ハデスだった。
魔獣であるマリオネット・クイーンは、邪神軍の幹部の支配下にある。
つまり、ハデスの命令にも、忠実に従うのだ。
「テュポーンよ、『ゴッドファイブを葬る軍勢が揃った』と、そう抜かしたな!」
ハデスが捲し立てると、テュポーンは、ンフッ♪と笑う。
「ええ、”抜かし”ましたとも。ご覧なさい。彼女たちが、『妥当ゴッドファイブ』の軍勢です」
テュポーンは、舞台上で、動きの途中のまま、氷ったように動かない、傀儡たちを指して言った。
「だったら、こんな下らぬ余興などやってる場合かっ!」
ハデスが、更に捲し立てる。
「さっさとゴッドファイブを倒しに行かぬか!」
そんなハデスに、テュポーンはやはり、ンフッ♪と笑いながら、その目は全く笑っておらず、冷たい視線をハデスに向けていた。
「倒しに行くなどと無粋な。強者は、動かずして勝利を待つもの。”あちら”の方から、ワタクシたちの罠に飛び込んでくるのですよ」
テュポーンの説明に、ハデスは目を剥いた。
「ゴッドファイブの方から、こちらに出向いてくるというのか?」
「ええ。そのために、わざわざ目立つ形で、市民を連れ去っているのです」
ハデスは納得したように、ふむ、と頷いたが、すぐに眉間にシワを寄せた。
「では、小娘ばかり人形にしているのはなぜた?屈強な男どもを人形にして、奴らを一網打尽にしてやれば・・・」
ハデスが言うと、テュポーンは、チッチッ、と指を振った。
「ワタクシは、屈強と書いて”むさ苦しい”と読むのです。ワタクシの軍勢に、そのような人物は、一人いれば十分」
そう言って、テュポーンはニヤリと笑ってハデスを見た。
ハデスはすぐにテュポーンの言葉の意味を理解し、憤慨する。
「なんだとテュポーン、貴様、言わせておけばぁ!!」
ンフッ♪と笑いながら、テュポーンはハデスをいなす。
「さぁ、それでは”余興”を続けましょう。”メインイベント”が始まるまでの間、ね」
テュポーンが言うと、マリアピエロは手に持った光の糸を動かす。
それは、”マリオネット・クイーン”と化した花奈を動かすものだった。
マリオネット・クイーンは、人形たちを自在に操る魔獣。
しかし、その実態は、自身も操られるままに動くしかない、悲しき人形なのである。
黄色いレオタードの楽器隊も、練習レオタードの人形たちも、再びその虚ろな目に紫の光が宿ると、彼女たちは何事もなかったかのように演奏し、踊り続ける。
無表情で、ギクシャクとした動きの中でも、”女王様”に操られる喜びを、テュポーンは彼女たちの表情に感じていた。