第六話:最後の希望
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ドゴッ!
喫茶「オリンポス」に、鈍い音が響きわたった。
烈が、思い切り流を殴りつけたのだ。
「おい烈!」
「な、なにも殴らなくても!」
聡太と一男が、烈をたしなめるが、
「流!テメェ、目の前で花菜をっ!」
殴られて倒れ込んだ流に、更に追い討ちをかけようとする烈を、二人がしがみつくようにして止めた。
流は何も言わず、ゆっくりと立ち上がると、静かに烈を睨み付けた。
「なんだよ、その目は」
烈が言うと、流は烈から目を背け、ゆっくりと口を開く。
「・・・確かに、花菜がさらわれたのは俺のせいだよ。でも」
そう言うと、流はまた烈を睨み付ける。
「元はと言えば、お前が吹っ飛ばされたからじゃねーか!」
「なっ、なんだと!?」
突然の流の罵倒に、動揺と激昂を見せる烈。
「一発でKOされやがって!なんだよあの体たらくは!それでもゴッドファイブのリーダーなのかよっ!」
確かに、操られたマリアと瀬名の、あの一撃で、起き上がれない状態になったのは、烈にとっても屈辱的なことだった。
「あれは、油断してたんだ!まさかあの人形たちがマリアと瀬名で、“オムファロス“まで俺たちに攻撃してくるなんて・・・」
「だからお前は詰めが甘いってんだよ!」
珍しく感情的になる流。
先ほどとは、完全に形成が逆転し、止めに入った聡太と一男も、どうすれば良いかわからなかった。
「油断、傲慢、理屈抜きの根性論。お前のやり方には前から付いていけなかったんだ!」
正論をつかれ、烈はやり場の無い怒りを露にするしかない。
「なんだと、テメェ!」
いよいよ収拾のつかない事態になり始めたそのとき、
『仲間同士で争うのは、おやめなさい、ゴッドファイブ』
まるで、天使の歌声のような、どんなに荒んだ心も洗い流されるような、美しい女声が響きわたる。
烈たちが声の方を向くと、ルビッチがピカーと目を光らせ、空中に、一人の女性の姿を映し出していた。
流れる水のようにサラリとした髪に、神々しい銀色の衣で、真珠のような素肌を包んだ女性。
ゴッドファイブを束ねる“善の女神“、アフロディーテだ。
「アフロディーテ様!」
彼女の姿を見た瞬間、烈、流、聡太、一男は片膝を付いて跪く。
『マリアや、そのご友人、そして花菜までもが敵の手に落ちてしまったのは、他でもなく、わたくしの責任です。貴殿方が争い合っては、敵の思う壺なのですよ』
アフロディーテは、冷静に、しかしどこか温かみのある声色でそう諭す。
「アフロディーテ様、でもよぉ」
烈は、依然として悔しさを滲ませる。
『彼女たちを連れ去った、そのサーカスの支配者の男。それは恐らく、邪神軍“ギンヌンガ・ガップ“の知将、テュポーンでしょう』
「“ギンヌンガ・ガップ“の知将、テュポーン!?」
初めて聞く名に、四人は驚きを隠せない。
「ハデスとペルセポネ以外に、まだ幹部がいたと?」
流が訪ねると、アフロディーテは憂いを表した表情で頷いた。
『彼は間違いなく、ハデスとペルセポネと並ぶ、ヘラの右腕。おそらく、ハデス達との戦いでは、身を隠していたのでしょう。そういう男です』
「その、チャポーンってやつが、今回の黒幕なんだな!」
烈がそう言うと、聡太が「テュポーンだよ、烈!」と小声でツッコミを入れた。
『そうです。ですが、「ソイツをブッ飛ばせばいい!」という、貴殿のいつもの考えは、今回ばかりは推奨できません』
アフロディーテは、珍しく厳しい目を烈に向ける。
『テュポーンがマリアだけでなく、ご友人達も狙った理由。それは、“オムファロス“を触れない自分たちに代わって、“オムファロス“を保持する役目を持つ人間を手に入れることです』
アフロディーテの説明に、烈はチンプンカンプン、という様相をていする。
「マリアちゃんが“オムファロス“を持っていれば、全てを浄化してしまう。だから、『“オムファロス“に触れるけど、その力を使えない人間』を手に入れたということですね」
流が、アフロディーテに答える、というより、烈に説明するつもりで言った(その証拠に、流はずっと烈に冷たい視線を送りながら言っていた)。
アフロディーテは頷く。
『そうです。そして、花菜を手中に収めた理由、それは、彼女の魔力を浄化する力でしょう』
「そっか」
アフロディーテの言葉に、聡太が頷く。
「魔力を浄化する力を持つ花菜を無力化させて、マリアちゃんたちを操って、“聖なる力“を自分たちの武器にする。これが、テュポーンの狙いだったんだ」
「まてよ、それじゃなにか?ポヨーンの目的が達成された今、俺たちには太刀打ち出来ないってのかよ!?」
そう声を張る烈に、「だから、テュポーンだよ!」と聡太がツッコミを入れた。
「事実、そうだったろ」
流が冷たく言うと、烈の脳裏に、“オムファロス“から放たれた光の玉に吹き飛ばされた時の光景が、まざまざと蘇った。
『残念ながら、わたくしの力が完全に戻らなければ、“オムファロス“なくして貴殿方を“神覚醒“させることは不可能です』
アフロディーテが悲しげに言う。
「“レガリア“も呼べねぇってことか・・・」
烈にしては察しが良くそう言ったのだが、タイミングは最悪だったらしく、場の空気はさらに重くなった。
『方法がないわけではありません』
アフロディーテがそう言うと、四人は期待をもってアフロディーテに視線を集める。
しかし、その言葉とは裏腹に、アフロディーテの表情は雲っていた。
『全ては、貴殿方次第、そして』
やや貯めて、アフロディーテは言った。
『“彼女“次第、ですが・・・』
***
アジトに戻り、くつろぐテュポーンに、ハデスはイライラも限界、というように目を血走らせていた。
「ええい!テュポーン!“オムファロス“を手に入れた。ゴッドファイブの“厄介者“も手中に収めた。ならば、なぜ女王陛下の元へ戻らぬ!」
激昂するハデスとは正反対に、玉座に座るテュポーンは、余裕の笑みを浮かべている。
そんな二人の元へ、カタカタと音を立てながら、一人の女性がやって来た。
花菜だ。
花菜は、何の飾りも付いていない、肌色の、サーカスの練習用レオタードを着せられて、お盆に乗せたティーカップを運んで来た。
どうやら彼女は、テュポーンの作り出したサーカスにおいて、衣裳やメイクも許されない、“見習い“という位置付けらしい。
その目は常にグルリと白目を剥き、完全に正気が失われている。
「オチャ、オッ、ドーゾッ!」
花菜は、ギクシャクとした動きで、お盆に乗ったカップを、テュポーンとハデスに渡していく。
「ゴッドファイブを、こんな“お茶汲み人形“にして遊んでいる場合なのか、アチィッ!」
小声を言いながらティーカップを受け取ろうとしたハデスだったが、花菜がギクシャクとティーカップを動かすので、ハデスの腕に大量の紅茶がかかってしまった。
それを見て、テュポーンは「ンフッ♪」と笑う。
「言い忘れていました。彼女がお茶を運ぶと、ほとんどこぼれてしまうのですよ」
彼がわざと“言い忘れた“ことを察したハデスは、憎々しい目をテュポーンに向ける。
「それでは“お茶汲み“をさせる意味が無いではないか!」
ハデスがそう言うと、テュポーンは、チッチッ、と人差し指を振ってみせた。
「考えてもごらんなさい、アナタの目の前にいるのは、つい先日、アナタがたの傑作魔獣、“ヨルムンガンド“を打ち倒した、ゴッドファイブの一員なのですよ?そんな彼女が、今ではこのような格好で、恭しくもお茶を運んでくれるのです。しかも、それが致命的に下手くそときた!こんな、“デク人形“と化した彼女の姿を眺めることこそ、
最高の娯楽ではありませんか」
饒舌に話すテュポーンに、「相変わらず悪趣味な」と軽蔑の目を向けながら、ハデスは紅茶のかかった腕を拭った。
「それで、質問の答えはなんなのだ?ゴッドファイブを“カラクリ人形“にして、そのような娯楽とやらに府抜けられる状況でいながら、女王の元へ帰らぬ理由とは?」
ハデスが問うと、今度はテュポーンが、心底見下したような目を彼に向ける。
「彼女は“カラクリ人形“ではありません。もっと下。“傀儡“です。」
花菜は、人形にされた当初は、瀬名の持つ光の糸によって操られていたが、今はその糸は、“オムファロス“の力によって花菜の頭上でまとめられ、それらが動くことによって花菜は動かされていた。
結局のところ、花菜には意識も自我も存在せず、ただ、光の糸が動かされるままに操られるという状況には変わり無い。
「フン。どちらでもよいわ」
そう一蹴するハデスに、テュポーンはンフッ♪と鼻を鳴らす。
「ハデス。アナタ、将棋やチェスはご存知で?」
テュポーンの問いに、ハデスは怪訝な顔をする。
「うん?ああ、人間どもの、それこそ娯楽だろう。それがどうした?」
「将棋やチェスでは、勝負を決めるのは手駒たちです。我らが女王陛下が手を下すまでもなく、ゴッドファイブ、ひいては、彼らを率いる“善の女神“アフロディーテをも亡き者にすることこそ、女王陛下の忠臣としての至極の所業では?」
自信たっぷりに言い切るテュポーンに、ハデスは思わずゴクリと生唾を飲む。
「まぁ、確かにそうだが、しかし、女王陛下の力無くして、アフロディーテまでも討ち取れるのか・・・なッ!?」
疑問を投げ掛けるハデスの首筋に、一瞬にして、剣の切っ先が当てられていた。
いつのまにかテュポーンの横に現れたカラクリ人形、瀬名によって操られ、花菜はレオタードから取り出した“花弁剣“を、ハデスの首に向けていたのだ。
言葉を失うハデスに、テュポーンは愉快そうに笑みを向ける。
それは、先ほどまでの笑みと違い、殺意に満ちた邪悪な笑みだった。
「どうです?ワタクシの人形たちにかかれば、この数秒でアナタを殺すことなど、造作もないのですよ?しかも、お人好しのゴッドファイブにとって、彼女たちは傷付けることが許されない存在。しかし、ワタクシの人形となった彼女たちは、彼らに容赦なく襲いかかる。おもしろいでしょう!?ンフッ、ンフフフフッ♪」
狂気じみた笑いをあげるテュポーンに、もはやハデスはかける言葉もなかった。