第一話、『四大迷宮』
『封印の迷宮』編 【1/5】
僕より少し背丈の低い女の子の手を引きながら、目に付いた酒場に足を踏み入れた。
酒臭さに空気が淀み、酔っ払った男たちの喧嘩や野次によって中は喧騒としている。
そんな所に子どもが二人。
当然視線を集め、嘲笑を買った。
『おいおい、いつからここはガキの遊び場になったんだ!』
ガハハハ、と大口を開けて笑い飛ばされる。
気にせずカウンター席に座るが、やはりうるさい。
僕は耐えられるが、ソフィアが怯えてしまっている。
「マスター。冒険者ギルドの場所を教えて欲しい」
「……この街にはないよ。ここから10キロほど東にシスタムっていう街がある。そこに行きなさい」
「ありがとう」
僕たちは出されたミルクで喉を潤す。
酒場の連中がつまらなそうにその光景を見つめている。
「そうだ。『四大迷宮』について知ってることはないか?」
その単語を口にすると、喧騒とした酒場が静まり返った。
そして、時間遅れで一層大きな嘲笑が飛び交った。
『おいおい、嘘だろ! まさかまだそんなお伽噺信じてんのかよ! 傑作じゃねぇか!』
夢も語れない大人が喚いている。
やっぱりか。アリストリアは作り話だと思われてる。
「まあ、そうだよな。もう行くよ」
『おい待てよ、ルーキー。何なら、俺が一緒についてやってもいいぜ』
立ち去ろうとすると、先程まで嘲笑ってた男の一人が俺に声をかけてきた。
当然、無視だ。
こういう軽薄な男が一番信用ならない。
『無視してんじゃねぇぞ、おい!』
その態度に腹を立てたのか、男が僕の肩を掴んだ。
フードがはだける。
そのせいで、黒髪が周囲の目に晒された。
黒髪黒眼。この世界でそれが意味するのは一つだ。
『……お前、東和民か? 炎龍によって村が全滅したって……』
肩に乗った剛腕を斜めに引っ張る。
すると男が体勢を崩して膝をついた。
『おいおい。何、子どもに転ばされてんだよ』
『いや……あれ? 今、何しがった』
転んだその男を俯瞰し、再びフードを目深に被って酒場を飛び出した。
最悪の気分だ。あの噂のせいで、どこに行こうと好奇の目に晒される。
東和民は、長年に渡って迫害された民族だからだ。
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僕たちは宿をとり、その街に一泊した。
街に活気はなく、夜は静かだ。
蝋燭の火だけが辺りをぼんやりと照らしている。
「ねえ、大丈夫? ルノ、疲れてない?」
部屋に入ると、ソフィアがローブを脱いだ。
肩ほどで整えられた空色の艶やかな青髪が揺れる。
「これくらい大丈夫だよ」
「でも、あたしルノばかりに負担かけて……」
「気にするなって。お前は僕は妹みたいなものなんだから」
ソフィアは本当の妹ではない。
小さい頃、森で倒れていたのを父さんが保護したのだ。
それから一つ屋根の下、家族として暮らしてきた。
それに母さんには『ソフィはルノアが守らないとダメよ』と常々言われていたので、感覚的には妹に近い。
とは言っても、ソフィアは気に食わないようだが。
案の定、膨れっ面で睨まれた。
そしてニコッと可愛らしく笑って、拳を突き出してきた。
「無理すんなよ、兄貴。頼りにしてるぞ」
「おう、まかしけ」
ソフィアとグータッチを交わす。
僕たち兄妹の挨拶のようなものだ。
「まあ、心の底からルノのことお兄ちゃんだなんて思ったこと一度もないけど」
「おいおい……」
今、ちょっといい流れだったのに。
「ルノはあたしにとって、ずっと王子様だったから」
と、ソフィアはボソッと呟く。
何を言っているかは聞き取れなかったが、こうして顔を真っ赤にさせているのを見ると、きっと恥ずかしいことを言ったのだろう。
でも敢えて聞こう。
「何か言った?」
「何も言ってない!」
「急にツンデレになるなよ」
「ツンデレって言うなし!」
空色の髪が大きく揺れた。
漂ってきた香りは、世間一般に良い匂いとは言えないだろう。
何せここ数日は野宿続きで、水浴びすらしていなかった。
でも、心が安らぐ。嗅ぎなれた匂いだ。
「それで、これからどうすんの? やっぱり、迷宮に入るつもり?」
「興味があるのも事実だけど、やっぱり手っ取り早く稼ぐなら、多少危なくても迷宮に潜る必要があるんだ」
手持ちの金で食いつなぐのも難しくなってきた。
迷宮に挑むには、まずは冒険者登録を済まして、どこかのパーティに入れてもらわなければならない。
それにパーティに入れば、人数や実績に応じてギルドから報奨金が入り、給料が貰えるはずだ。
「でも、ルノみたいな駆け出し冒険者をパーティを入れて、迷宮に入ろうなんてバカいないんじゃない?」
「いや、まさにその通りなんだよなぁ……」
はっきり言って、荷物持ちに落ち着くのが関の山だ。
「まあ最悪、この腕輪を売るよ」
「ダメだよ。大切なものなんでしょ」
右腕の古い腕輪を触りながら呟く。
村を出る数日前、父さんが僕に託した大切な腕輪だ。
奇妙な紋様がびっしりと刻まれている。
「とにかく迷宮に入るのは決定事項ということで、今日は疲れたしもう寝よう。あ、ベッドは一つしかないから、僕は床で寝るよ」
ベッドを譲って、硬い床に腰を下ろすと、ソフィアが不満げな表情で見つめてきた。
「……なんでさ。一緒に寝ればいいじゃん。兄妹なんでしょ」
「でもお前4年前くらいに一緒に寝たくないって」
「あ、あの時は状況が違うでしょ。女の子には色々あるの。――じゃなくて、ん!」
言葉にはせず、鼻音で指示するソフィア。
どうやら、隣に寝ろということらしい。
まあ、これ以上渋るのも野暮ってものだ。
ベッドは狭く、子どもがギリギリ二人入れるくらい。
仰向けになれば手が触れ合い、隣を向けばすぐ側に顔がある。
「こっち見んななし」
指で頬を突かれ、壁側に向く。
やはりソフィアも恥ずかしいのだろう。
頬がほんのり赤らんでいる。
という僕も、先程から胸が高鳴る。
この高揚は男女ゆえのものか。
血が繋がっていれば、こんな気持ちにはならなかったのだろうか。
「おやすみ」
「……おやすみ」
可愛らしい、鈴のような声が鼓膜を震わせる。
この声をずっと傍で聞きたいと、そう思う。
『いいか、我が息子ルノアよ! 漢たるもの、浪漫と矜恃を忘れちゃいかん! 好きな女のケツを追いかけ、惚れた女は命をかけて守れ。英雄になれ、浪漫を追求しろ。ホラ吹きも笑われてもいい。世界を動かせるのは、そういう奴だけだ!』
父さんの言葉が脳内に響き渡る。
僕にとって、迷宮は浪漫そのもの。
そして、ソフィアを守るのは僕の矜恃だ。