2.ともちゃんを助けて
病院からの帰りだった。
あまり良くない状態だと診断されたばかりだった。
静かだった。
いつもは音楽が流れている車の中も、今日はステレオのスイッチさえ入ってなかった。
ともちゃんは、黙って前を見て運転をしていた。
まるで車の一部になったかのように。
その横顔は、ぴくりとも動かなかった。
窓の外は、華やいでいた。
桜の花が咲き始めて、お花見の季節になっていた。
ここまで来る間にも、五分咲きの桜を何本も見た。
桜。
私の一番好きな花。
ともちゃんは、そんな桜さえ目に入らないようだった。
ショックだよね。
そう、だよね。
ともちゃんの横顔を見ながら思う。
覚悟はしてたけど、さすがに堪える。
自分の膝に視線を落としたとき、
膝に乗せた左手の薬指の指輪が目に入った。
早かったなぁ。
もうお別れなんてさ。
もっと一緒にいたかった、な。
銀の指輪の輪郭が、だんだん滲んでくる。
ぎゅっと目を閉じてから再び開く。
でも、でもさ
私がここで、真っ暗になっちゃってたら、ともちゃんが困るよね。
そう思っても、何を言っていいのかわからなかった。
それでも、何か言わないといけないような気がして、
「あのさ・・」
と、言いかけたときだった。
左側に唐突に何か大きい物体が急速に近づいてくるのが目の端に見えた。
「みなみ!」
ともちゃんの叫ぶ声をかき消して金属音が響いた。
私、死んだんだ。
目の前が歪んだ。
そのままよろけて、道路に手をついた。
夢じゃなかった。
現実、だったんだ。
あと何年後、もしかしたら何ヶ月後には死ぬと言われたばかりだった。
それが、言われた『その日』だとは思ってもみなかった。
周りの景色は何も変わってない。
感じた違和感は、『私』が肉体から離れたから、だった。
「みなみ・・」
ともちゃんが私を呼ぶ声が聞こえた。
弱々しい、小さな小さな声だった。
「おいっ!生きてるぞ!」
「救急車!もう呼んだって?もう一台呼んでくれ!」
「パトカーはまだなのか?」
「これじゃあ助けられないぞ!そっちの車をどかせ!
現場保存?そんなこと言ってる場合じゃないだろ!
早くしないと死んじまう!」
「そいつが突っ込んできたんだよ!見ただろう?
こんだけ人が集まってるんだ、目撃者だって沢山いる!」
「ドライブレコーダーがある。
俺はこの軽の後ろを走ってたんだ。」
「わかっただろう?どけろ!」
口々に叫びながら、人々はともちゃんを助けようとしてくれていた。
ありがとう、ございます。
ふらつきながら立ち上がり、
皆に聞こえないのも忘れてお礼を言ってから、頭を下げた。
「みなみ、大丈夫か・・・」
弱々しい声が言った。
それが聞こえたのは私だけではなかった。
近くにいた人々は、一様に悲しそうな顔になった。
だが、すぐに険しい顔に戻って、
「早く!早くどけろ!このままだと死んじまう!」
と、叫んだ。
・・・死ぬ?ともちゃん『も』?
私の脳裏をよぎったものがあった。
このまま、ともちゃん『も』死んだら。
まだ一緒にいられるんじゃないだろうか。
ともちゃんと一緒に、あの世にもいけるんじゃ・・・
「手を貸せ!胴体がはさまって。」
「ここ!押さえてろ!」
人々の叫ぶ声で我に返った。
私は、今、何を考えて。
ともちゃんが死ねばいい、って?
まだ生のある人々が、口々に大声で叫びながら、
ともちゃんを助けようとしてくれている。
その横で、自分がとんでもないことを考えていたことに気がついた。
体が震えた。
それを止めようと、自分の体を抱いた。
なんてことを。
ともちゃんが、死ねばいいと、願ってたなんて。
私が!
一番に、ともちゃんの無事を願わなきゃいけない私が!
目を堅く瞑り、両指を組んで、神様に願う代わりに
ともちゃんを助けようとしてくれている人々に願った。
ともちゃんを助けて。
お願いしますお願いします。
ともちゃんを、助けて。