チョコボールと、異邦人
「やすなちゃん、あんまり遠くまで行っちゃダメよ」
「はーい」
「それと、この辺りには最近、大きな黒い野犬が出るそうだからね。気をつけるのよ」
「わかった!」
元気よく返事をすると、やすなちゃんは外に飛び出して行きました。
やすなちゃんは、とっても元気な女の子です。かけっこは、男の子にも負けません。また、鉄棒やドッジボールも得意です。
今日は夏休みのため、おばあちゃんの家に遊びに来ました。パパとママは、旧い知り合いのところに挨拶に行っており、夕方になるまで帰って来ません。
そこで、やすなちゃんは田舎を探検することにしたのです。ポシェットに大好きなチョコボールを二箱入れて、外に飛び出して行きました。
森に来たやすなちゃんは、改めて周りを見回してみました。
目の前には、都会とはまるで違う風景が広がっています。絵本やテレビでしか見たことのない大自然でした。
やすなちゃんは、森の中をゆっくりと歩いていきます。アスファルトとは違う、柔らかい土の感触を足に感じました。どこからか、鳥の鳴き声も聞こえます。いったい、どんな鳥でしょうか。
歩いていくにつれ、周囲の緑がますます濃くなっていきました。さらに、目の前を虫が飛んでいきます。見たこともない大きな虫でした。ひょっとして、カブトムシかも知れません。
その時、がさりという音がしました。見ると、茂みから茶色の小さい生き物が顔を出しています。これは、タヌキのようですね。
「あ、タヌキだ!」
思わず、大きな声を上げてしまいました。その声に驚いたのか、タヌキは走って逃げていきます。
「待ってえ!」
やすなちゃんも、走って追いかけました。何せ、本物のタヌキを見たのは生まれて初めてです。
でも、タヌキはとても速く、追いつくことなど出来ません。あっという間に、森の中に消えていきました。
彼女は、がっかりして立ち止まりました。ところが、その時になって、ようやく気づいたのです。いつのまにか、森の奥深くまで来ていました。夢中になって走っていたので、ここまでどうやって来たのかわかりません。
心細くなり、周りをキョロキョロ見回しました。
その時です。前の方から、ガサガサという音が聞こえました。やすなちゃんは怖くなり、少し後ずさります。
やがて、茂みの中から男の人が出て来ました。とても背が高く、不思議なデザインの服を着ています。髪も肌も、見たこともないような色の人です。映画で見る外国人に似ていました。
でも、やすなちゃんはパパとママから、いつも言われていました。知らない大人のひとには気をつけなさい、と。目の前にいるのは、知らない外国人の大人です。気をつけないといけません。
外国人は黙ったまま、じっとこちらを見ています。優しそうな人には思えません。むしろ、怖い人に見えます。背はパパよりも高く、とても冷たい雰囲気を漂わせていました。近くにいると、こちらまで寒くなりそうでした。
やすなちゃんは怖くなり、後ずさりました。すると、外国人も一歩進みます。
この人、怖い……やすなちゃんは、パッと向きを変えて走り出しました。早く逃げないと、何をされるかわかりません。
ところが、すぐに立ち止ました。数メートル先に、黒い犬がいたのです。とても大きな体で、こちらをじっと睨んでいます。やすなちゃんは恐怖のあまり、その場に立ちすくんでいました。
一方、黒犬はウウウと唸りました。どう見ても、友好的な態度ではありません。しかも、口には鋭い牙が生えているのが見えます。
あの牙で噛まれたら、腕がちぎれてしまうかも知れない……そんなことを思ったら、恐ろしさのあまり立っていられなくなりました。やすなちゃんは、その場にペタンとしゃがみ込んでしまったのです。体をがたがた震わせ怯えながら、ただただ黒犬を見つめるだけでした──
その時でした。目の前に、大人の人が現れたのです。その人は、やすなちゃんを守るように、黒犬と彼女の間に立っていました。どうやら、先ほどの外国人のようです。
黒犬は、じっと外国人を見ていました。ウウウと唸りつつ、低い姿勢で睨みつけます。外国人のことも、敵だと思っているようです。
外国人も、じっと黒犬を見ています。怖がっているようには見えません。怒っているようにも見えません。冷たい表情のままです。
両者は、じっと睨み合っていました。か、先に動いたのは黒犬でした。敵意に満ちた表情が、見る見るうちに変わっていきます。ピンと立っていた耳が下がり、尻尾をだらりと下げ少しずつ後ずさって行きました。
直後、向きを変えて逃げて行きました。すると、外国人も動きました。黒犬の後を追いかけ、森の中へと入って行きます。
黒犬と外国人は、あっという間に消えてしまいました。
しばらくして、やすなちゃんは立ち上がりました。早くおばあちゃんのうちに帰りたい……でも、ここからどうやって帰ればいいのかわかりません。
その時、茂みがガサガサと鳴りました。やすなちゃんは、ビクリとなります。
姿を現したのは、さっきの外国人でした。怖い黒犬を追い払ってくれたようですね。本当は、いい人なのでしょうか。
「あ、ありがとうございます」
やすなちゃんは、お礼を言いました。ところが、外国人は何も言いません。さっきと同じ、冷たい表情でじっと見下ろしているだけです。言葉がわからないのでしょうか。
どうやって、お礼をすればいいのだろう……と考えた時、ポシェットの中に入っている物を思い出しました。やすなちゃんはチャックを開け、中にある物を出します。
それは、チョコボールの箱でした。ひとつぶ取り出し、口に入れます。
甘くて、美味しい味が口の中に広がりました。やすなちゃんは、思わず笑みを浮かべます。
次いで、もうひとつぶ取り出しました。それを、外国人に差し出します。
外国人は首を傾げました。
「どうぞ」
やすなちゃんは、にっこり微笑みました。すると、外国人はぎこちない動きでチョコボールを手に取り、パクっと口に入れます。
直後、ウンウンと頷きました。気に入ってくれたようですね。やすなちゃんは、嬉しくなりました。
「助けてくれて、ありがとうございます。これ、食べてください」
そう言って、チョコボールを一箱渡しました。外国人は、またぎこちない動きで受け取ってくれました。ちょっと怖そうですが、とてもいい人なのですね。
外国人と手を繋ぎ、やすなちゃんは森の中を歩いていきます。この人は日本語が話せないようですが、こちらの言わんとしていることを、ちゃんと理解してくれたようです。外国人のおかげで、やすなちゃんはおばあちゃんのうちに帰ることが出来ました。
家の前に立つと、ドアを勢いよく開けます。
「ただいま! おばあちゃん、この人に助けてもらったの!」
言いながら、やすなちゃんは振り向きました。ところが、外国人の姿は見えません。
どこに行ってしまったのでしょうか。
「せっかく仲良くなれたのに……」
ちょっと悲しくなりました。でも、仕方ないですね。大人は忙しいのですから。
・・・
「この星は、もう末期的だな」
ギッザーは、ひとり呟いた。
この男は『ダイゾック』という宇宙組織のエージェントである。現在、惑星ビラルにて調査中だ。もっとも、ビラル星人は己の住む星をチキュウと呼んでいるらしいが。
「ビラル星人は、滅ぼさなくてはならない」
もう一度、ギッザーは呟いた。調べれば調べるほど、この星の住人は救いがたい。これまで、数多くの生物を絶滅させているのだ。しかも、同じ星の知的生命体であるにもかかわらず、ビラル星人同士で未だに争い続けている。挙げ句、自然環境をも崩壊させてしまう兵器を大量に保有している始末だ。その威力は、惑星そのものを数十回破壊できるだろう。
さらに、この惑星の自然には狂いが生じていた。大気は汚染され、人工的に作り出したものが環境を侵し、天候も著しく乱れているのだ。百年前の調査に比べると、あらゆる数値がおかしくなっている。
言うまでもなく、ビラル星人のせいだ。この星の科学技術は、いびつな形で発達している。いずれは、ビラル星に生物は住めなくなるだろう。
その場合、何が起きるか……間違いなく、彼らは他の惑星に移住するだろう。結果、宇宙の静かな平和を乱す存在になるのだ。
そんな存在を、放っておくわけにはいかなかった。
間もなく、母船が到着する。そこで、ギッザーは調査結果を報告することになっている。
彼は、ビラル星人の絶滅を上層部に進言するつもりであった。
その時、彼は異変を感知した。こちらに、何者かが接近している。
このあたりに住む野生動物か……いや、ビラル星人である可能性の方が高い。ギッザーは、様子を見ることにした。異変の源へと、自ら近づいていく。
予想通りであった。目の前には、ビラル星人がいる。まだ小さい幼年型だ。びっくりした顔で、こちらを見ている。
さて、どうすべきか。
この幼年型を消すか、あるいは見逃すか。だが、見逃したところで何の得にもならない。何より、自分を目撃したことをあちこちに触れ回られても困る。
やはり消すべきだろう……と思った時、幼年型はくるりと向きを変えた。短い足を動かし、一生懸命に逃げて行く。
無駄なことなのに。
ギッザーは、のんびりと歩いて追いかけた。あの速度なら、すぐに追いつける……と思った瞬間、彼は別の存在を感知する。
あれは、やや大型の肉食獣だ。この星では「イヌ」と呼ばれる生き物だったはず。もっとも、それだけなら放っておいても構わない。仮に幼年型のビラル星人が襲われたとしても、知ったことではない。むしろ手間が省ける。
だが問題なのは、あの肉食獣が病に侵されていることだ。今はウイルスが体内に潜伏している状態だが、あと一年以内に発症する。そうなった場合、凶暴化し他の生き物を襲うようになる。しかも、この段階ではもはや治療できない。この星では、確か「キョウケンビョウ」と呼ばれている病気だ。
この肉食獣は、殺すしかない。
ギッザーは、ビラル星人の前に立ち肉食獣を睨みつける。すると、肉食獣も彼を睨み返してきた。その瞳には、怒りと憎しみがある。恐らく、少し前までビラル星人に飼われていたのだろう。だが捨てられ、挙げ句に他の生き物から病を感染させられたのだ。
もう、長くは生きられない。
なんと憐れな話なのだろう
ギッザーの中に、微かな憐憫の情が湧いてきた。迷いが生じる。
その時、肉食獣の表情が変わる。今になって、やっと勝ち目がないことを察したらしい。向きを変え、一目散に逃げ出した。
一瞬、放っておこうかという思いが頭を掠める。だが、このままでは、病があの肉食獣を通じて他の生き物にも感染するだろう。やはり、病の連鎖はここで断たなくてはならない。ギッザーは、瞬時に移動した。
すぐに追いつくと、肉食獣の首をへし折った──
まだ、仕事が残っている。あの幼年型ビラル星人を殺さなくてはならない。
元いた場所に戻ってみると、ビラル星人は不安そうに立っていた。ギッザーの顔を見るなり、ペこりと頭を下げる。何やら言葉を発したが、何を言っているのかわからない。
だが、直後の行動には唖然とさせられた。突然、腰に装着した袋から、何かを取り出したのだ。
小さな茶色い粒を手に取り、口に入れる。
さすがのギッザーも、驚き戸惑っていた。こんな時に、栄養を補充しているのか。こちらの怖さを、理解していないのだろうか。
しかし、驚くのはこれからだった。ビラル星人は、その小さな粒をギッザーに差し出してきたのだ。
なんだ、こいつは?
ギッザーは、どうすればいいのかわからなかった。すると、ビラル星人はにっこり微笑む。
こちらを見つめている瞳には、ある感情が浮かんでいた。それは、無視することが出来ないものだった。
気がつくと、小さな粒を受け取り、口の中に入れていた。
懐かしい感覚が、彼の中に広がった。任務の間、ずっと味のない完全栄養食品を食べていたギッザーだったが、これは幼い頃に食べた何かを思い出す。
少なくとも、まずくはない。
幼年型ビラル星人を住居らしき場所まで送り届けた後、ギッザーはすぐに宇宙船へと戻った。
もうじき母船が到着し、故郷の惑星へと帰ることになる。あとは、報告さえすれば任務は終わりだ。上層部に、ビラル星人の絶滅を進言する報告書を出せば、すぐにでも戦闘型メカバーストが多数送りこまれるはずだ。そうなれば、ビラル星人は死に絶え、彼らの作り上げた文明は崩壊する。
結果、ビラル星には元通りの美しい自然が蘇る。
ふと、先ほど会った幼年型の顔を思い出した。その瞳は、とても澄んでいた。握った手からは、暖かいものを感じた。
自分の報告次第では、死ぬことになるが……。
ビラル星人にもらった食品を、じっと眺めた。パッケージには、デフォルメされた幼年型ビラル星人と小型の肉食獣らしき生物の絵が描かれている。
どちらも楽しそうに、彼に微笑みかけている。
そんな絵の描かれた箱から、一粒取り出し口に入れてみる。
栄養面から言えば、自分が普段食べているものの方が遥かに優れているだろう。
しかし、この小さな粒には栄養だけではない何かを感じる。
ふと、窓からビラル星を見てみた。ここからは、青い惑星が見えている。だが、実際に降り立ってみると茶色い土に覆われている。まるで、この小さな一粒のような色だった。遠くから見るのと、近くで見るのとでは印象が全く違っている。
ビラル星人もそうだった。あの幼年型は、とても優しい目をしていた──
ギッザーは、天井を見上げた。
次回の調査まで、もう少し星人たちの様子を見てもいいのではないか。
自分たちダイゾックが手を下さずとも、環境の激変により自滅するかも知れないのだから。