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駅員探偵ー駅から始まる私の恋ー  作者: 佳景(かけい)
3/8

第三話 忘れ物

 もうすぐ四月が終わる。


 私は主に週末に短期のアルバイトをしていて、ゴールデンウィーク後半はとあるイベントの手伝いに行くことになっているけど、ゴールデンウィーク前半の四月末は特に予定がない。


 そこで、私は釉さんと絃花ちゃんと浅草寺に行くことにした。


 関東圏に生まれ育った私と釉さんは行ったことがあったけど、上京組の絃花ちゃんはまだ行ったことがなくて、テレビで何度も見たことがあるあの浅草寺に一度行ってみたかったらしい。


 私と釉さんも久し振りに行ってみようかという話になって、三人で行くことにしたのだった。


 十時五十五分――待ち合わせ時間の五分前に私が雷門に着くと、ゴールデンウイークだけあって、辺りは人でごった返している。


 雷門の正式名称は「風雷神門」と言うだけあって、灰色の瓦屋根を戴く朱塗りの門の両端を、厳しい顔の風神と雷神が静かに守っていた。


 門の中央には「雷門」と大きく書かれた赤い提灯が提がっていて、その向こうには仲見世通りが見えている。


 近くのお店から漂ってくるお菓子の甘い香りが、私の鼻孔をくすぐった。 


 私が釉さんと絃花ちゃんを捜して視線を彷徨わせると、先に来ていた絃花ちゃんは傍目にもわかる上機嫌で、スマートフォンを手に何度も雷門を撮影していた。


 浅草寺に来られたのが余程嬉しいのだろう。


「おはよう」


 私がそう挨拶すると、おっとりした絃花ちゃんには珍しく、ハイテンションで挨拶を返してから続けた。


「ねえ、見て見て! 雷門だよ! この提灯、テレビとかで見るよりおっきいんだね!」


 こういうテンションの高い絃花ちゃんを見たのはこれが初めてじゃないけど、いつもの絃花ちゃんとは別人みたいで、ちょっとどころではなく違和感があった。


 多分どっちの絃花ちゃんが本当で嘘かなんてことじゃなくて、どっちの絃花ちゃんも本当なのだろうけど。


 私は絃花ちゃんに手を差し出して言った。


「撮ってあげよっか?」

「うん! ありがと!」


 絃花ちゃんは私にスマートフォンを私に手渡すと、雷門を背にして立った。


 私は笑顔でピースをする絃花ちゃんから少し離れて、スマートフォンを構える。


 人が多いからどうしても他の人まで映り込んでしまうけど、これはもう仕方がなかった。


「じゃあ、撮るよー」


 私がシャッターボタンを数回押してから、スマートフォンを絃花ちゃんに返すと、絃花ちゃんはスマートフォンを受け取って、嬉しそうに笑った。


「ありがとう!」


 絃花ちゃんが撮った写真を確認する横で、私も自分のスマートフォンで雷門を撮っていると、いつの間にか来ていたらしい釉さんの声がした。


「おはよー」


 振り返った私と絃花ちゃんが釉さんに挨拶を返すと、釉さんは言う。


「二人共早いね。待った?」

「全然、私もさっき来たところだもん」


 私がそう答えたところで、絃花ちゃんが近くにある雷おこしのお店を指差した。


 お店の一部はガラス張りになっていて、雷おこしの職人さんが実演販売をしている。


 そのお店の前にはお客さんが作るちょっとした行列ができていたけど、絃花ちゃんは並ぶことなんて全然気にならないみたいで、目をキラキラさせて言った。


「あれって雷おこしだよね! 食べてみたいなあ!」

「あ、じゃあ私も食べよ。やっぱ、浅草と言えば雷おこしだよね」


 釉さんの言葉に、私も頷いた。


「だね。こういう時でもないと、なかなか食べないし」


 私達は揃って列の一番後ろに並んだ。


 少しして順番が回ってくると、それぞれ紙コップ一杯分の雷おこしを買う。


 雷おこしは四角く切ってあって、歩きながら食べてもぼろぼろこぼす心配はなかった。


 私が出来たての雷おこしの一つを口に放り込むと、ピーナッツとお米、砂糖の甘味が口の中に広がる。


 温かくてサクサクで、ほんのり優しい甘さで美味しい。


 これで値段は百円なのだから、結構お得感があった。


 絃花ちゃんは満面の笑みで雷おこしを頬張ると、感慨深そうに言う。


「あー、これが雷おこしの味なんだあ。いかにも日本のお菓子って感じの、控えめな甘さだね。ちょっと甘さが物足りない気もするけど、これくらいの方が食べ飽きなくていいかも。買って帰ろうかな」

「帰りにした方が荷物にならなくていいと思うよ。とりあえずお参り行こう?」


 釉さんの提案に賛成した私達は、雷門をくぐると、本堂を目指して歩き出した。


 途中にある仲見世通りには和菓子屋さんや民芸品屋さん、おもちゃ屋さんなど、本当にいろいろなお店があって、見ていて飽きない。


 お客さんは日本人だけじゃなく、外国人も多くて、あちこちからいろんな言葉が聞こえていた。


 絃花ちゃんは物珍しそうにあちこちにスマートフォンを向けて、シャッターを押しながら、しみじみとした口調で言う。


「テレビやスマホの画面でしか見たことなかった場所に自分がいるって、何か不思議な感じだよね。本や映画の中に迷い込んじゃった人って、みんなこんな感じなのかな」

「そうかもね。絃花ちゃんって、実家岩手だったっけ?」


 私の問いかけに、絃花ちゃんはお店に向かってスマートフォンを構えながら答えた。


「うん、そうだよ」


 そう答える絃花ちゃんには、特に訛りがなかった。


 初めて会った時からずっとそうだから、絃花ちゃんから岩手生まれ岩手育ちだって聞くまで、地方出身だとは全然わからなかったくらいだ。


 絃花ちゃんが言うにはお年寄りは方言で話している人が多いけど、おじさんおばさん世代から下はそうでもないらしい。


 中には訛りがある人もいるし、絃花ちゃんも相手が方言で話していれば方言で話したりもするそうだけど、いざ「方言で話して」と言われても、咄嗟に出て来ないくらい意識せずに話しているということだった。


 テレビやネットの影響なのだろうけど、こうしてその土地ならではの物が失くなっていくのは、ちょっと勿体ないような気もする。


 私が少しだけ寂しい気持ちになっていると、釉さんが言った。


「北国生まれだけあって、絃花って寒さに強いよね」

「そうそう、何だか人間の皮をかぶったペンギンとかシロクマみたいだった」


 私と釉さんが十一月の半ばに冬用のコートを着て「寒い寒い」と言っていても、絃花ちゃんだけは平気な顔で、まだ秋物のコートを着ていた。


 流石に全然寒くない訳じゃないみたいだったけど、真冬でもあまり寒がっていなかったと言うか、どこか余裕があった気がする。


 マフラーや手袋もいつも着けていた訳じゃなかったし、それらに加えて帽子や耳当てを使っているところなんて、一度も見たことがなかった。


 絃花ちゃんは雷おこしを頬張りながら、苦笑する。


「別に寒さに強い訳じゃないよ。もっと凄い寒さを知ってるだけ。やっぱりこっちの方があったかいし、向こうとは寒さの質が全然違うから。盛岡だと、最高気温が一日通して氷点下なんて日もあったしね。氷点下って、冷蔵庫より寒いんだよ? 雪はそんなに降らなくて、せいぜいふくらはぎの辺りまでくらいしか積もらなかったけど、冷たい空気が肌に突き刺さってくる感じの、殺人的な寒さなの。白鳥にとっては丁度いい寒さみたいで、毎年越冬に来てたけどね」


 白鳥は日本だと北海道にだけ来るイメージだったけど、岩手にも来るらしい。


 私が本当に寒い所なんだなあと感心していると、釉さんは言った。


「そこまで寒いと冬は大変そうだけど、反対に夏は涼しくて良さそうだよね」

「流石に昼間に長袖でいられる程涼しくはないけど、日陰にさえいれば風はひんやりしてて結構快適だったし、夏にエアコンなんてほとんど付けたことなかったよ。扇風機は使ってたけどね」

「へえ、いいね。私岩手には行ったことないし、夏休みにでも行ってみたいな」


 私がそう言うと、絃花ちゃんはにこりと笑った。


「私も岩手の中でもまだ行ったことない所あるし、みんなで行きたいね。食べ物は美味しいし、自然がいっぱいで景色は綺麗だし、いい所だよ。電車やバスは本数少ないし、遊ぶ所はそんなにないけど」

「じゃあ、今年の夏休みは岩手旅行で決まりだね」


 釉さんがそう言った時、私達は仲見世通りを抜けた。


 その先には宝蔵門と呼ばれる山門が聳えている。


 雷門より一回り大きな門で、こちらも灰色の瓦屋根に朱塗りの立派なそれだ。


 「浅草寺」という、淡い緑色の扁額がかかっているけど、高い所にあって少し読み難い。


 雷門と同じように赤くて大きい提灯が提がっていて、「小舟町」と書かれていた。


 その両脇には金色の飾りの付いた黒い提灯。


 そして門の両端には、険しい顔で虚空を睨む仁王像があった。


 絃花ちゃんは宝蔵門の写真を撮ると、今度は三人で一緒に撮ろうと言い出して、私と釉さんは絃花ちゃんを真ん中にして並ぶ。


 絃花ちゃんが自撮りモードにしたスマートフォンを構えて、何回かシャッターボタンを押すと、私と釉さんも代わる代わるスマートフォンを出して、絃花ちゃんと同じように写真を撮った。


 とりあえず三人共満足の行く写真が撮れたところで、私達は宝蔵門をくぐる。


 何気なく後ろを振り返ると、門の両端には何故か大きなわらじが貼り付けられていて、なかなかシュールな光景だ。


 謎と言えば謎だけど、これはきっと調べれば誰でもちゃんとした理由がわかる類の謎だろう。


 わらじにくっ付いている木の板には、山形県村山市の人達から奉納された旨が書いてあるし。


 できればもうちょっと頭を使って解くタイプの謎を見付けたいところだけど、なかなかそう簡単には行かなくて、紀之定さんとはもう一週間以上まともに会話をしていなかった。


 普段来ない場所に来れば、何か面白い謎が見付かるかも知れないと、ちょっと期待していたのだけれど、やっぱりそう簡単には行かないみたいだ。


 私が心の中でこっそり溜め息を吐いていると、絃花ちゃんが訊いてくる。


「ねえ、そう言えば、例の駅員さんとはどうなってるの?」

「特に何もないよ。新しい謎も見付からないし」


 おみくじやお守りを売っている寺務所に挟まれた参道をゆっくりと歩きながら、私はそう答えた。


 絃花ちゃんの手は相変わらずスマートフォンをしっかりと握っていて、あちこちパシャパシャと撮りまくっている。


 私も同じようにスマートフォンで写真を撮っていると、今度は釉さんが言った。


「謎が見付からないなら、いっそ自分で作っちゃえば? 私ミステリーはあんまり読まないから、ミステリーのことはよくわかんないけど、莉緒はミステリー好きなんだし、いろんな謎のパターンも知ってるでしょ? その気になれば、その駅員さんが信じるような、もっともらしい話だって作れるんじゃない?」

「読むのと自分で話を作るのは別だよ。それにあの人鋭いから、下手な作り話なんかしても、きっとすぐにバレちゃうもん。プロが書いてる小説にだって首を傾げちゃうようなおかしいところがあったりするのに、作家志望でもない素人がいきなりそんな完成度の高いミステリーなんて作れないよ」 


 既存のミステリーをアレンジする手もあるけど、よっぽどマイナーな作家の作品でもないと、ミステリー好きならすぐに元ネタがわかってしまう可能性が高い。


 下手に作り話なんかして、それを見破られてしまったら、もしかしたら嫌われてしまうかも知れないし、やっぱり地道に謎を探すべきだろう。


 せっかく紀之定さんとの接点を持てたのだから、万が一にもこれを失くしてしまう訳には行かなかった。


 私達は本堂の右手にあるお水舎で手を清めると、そのすぐ近くにある常香炉で煙を浴びてから本堂へと向かう。


 本堂は両端が緩く反り返った灰色の大きな屋根に、朱塗りの柱や壁の立派な建物だ。


 正面には大きな赤い提灯が提がっていて、黒く太い字で「志ん橋」と書かれていた。


 提灯の奥には赤い賽銭箱があって、その奥は暗く、吊り灯籠のぼんやりとした明かりだけではよく見えない。


 階段はそれ程長くないけど、参拝客が賽銭箱から階段の下まで続く行列を作っていた。 


 私達は列に並ぶかどうか相談した結果、せっかくだからと列の後ろに並ぶことにする。


 多分十分そこらで順番が回ってくるだろう。


 私は見るともなしに辺りの景色を眺めながら、絃花ちゃん達に訊いてみた。


「ねえ、二人は何お願いするの?」

「うーん、今特に困ってることとかないしなあ……ちょっと先の話だけど、『無事に就職できますように』かな」


 釉さんは思案顔でそう言った。


 こういう時に恋愛の「れ」の字も出て来ないところが、いかにも釉さんらしいなあと思っていると、絃花ちゃんが言う。


「私は最近バイト先にちょっといいかなっていう男の子が入ったから、『彼氏ができますように』。莉緒ちゃんもそんな感じでしょ?」


「まあね」


 やっぱり今一番お願いしたいことと言えば、『紀之定さんともっと話せますように』だろう。


 もし紀之定さんと恋愛関係になれたら嬉しいだろうけど、本当にちっぽけな接点しかないのに、そんな大それたことを望むのはおこがましい気がするから、あくまで控えめなお願いにしておくことにした。


 特に信心深い訳じゃないのに、都合のいい時だけ頼って無理難題をお願いするのも、仏様に悪いし。


 少しして階段を上り切った私達は、赤い賽銭箱の前で足を止めると、お賽銭を投げ入れて手を合わせた。


 そうして軽くお辞儀をしてから目を閉じて、心の中で『紀之定さんともっと話せますように』と願う。


 ご利益があればいいなと思った。


  浅草寺の近くにある浅草演芸ホールで寄席を見たり、人力車で浅草見物をしたりして、あっという間に十六時になった。


 釉さんは今日も夕方からバイトがあるから帰らないといけなくなって、私と絃花ちゃんは特に予定はなかったけど、釉さんが帰るなら私達も帰ろうかということで、雷門の前で解散になった。


 電車に乗って最寄り駅まで戻って来ると、期待と緊張で胸が高鳴り始める。


 今朝は紀之定さんに会えなかったけど、もしかしたらお参りのご利益があって、帰りは会えるかも知れない。


 落ち着きなく髪を弄ったり、自分の服装をチェックしたりしてから、私は前の人に続いて電車を降りた。


 きょろきょろと辺りを見回しながら、近くの階段に向かって歩き出したけど、下りホームの端から階段に行くにはホームに建っている駅事務室の脇を通るしかなくて、人の流れがちょっと詰まり気味になっている。


 ここはそれ程大きな駅ではないけど、それでも降りる人は結構多かった。


 人の流れに乗ってベンチの横を通りかかった時、ベンチの上に白いビニール袋に入った何かが置かれているのが目に入る。


 ベンチに腰掛けている人はいないし、きっと忘れ物だろう。


 改札へと向かう人達は、みんな忘れ物には関心を払ってないみたいで、ベンチの横を素通りしていく。


 私はどうしようか少し迷って、結局ビニール袋の前で足を止めた。


 私は必ずしも忘れ物を拾って届けるようなタイプの人間じゃないけど、これを届けに行ったら紀之定さんに会えるかも知れないという打算が、私に足を止めさせた。


 私は早速袋の取っ手に手を掛けようとしたけど、袋の中身が気になって、出しかけた手を慌てて引っ込める。


 まさかとは思うけど、危険物が入っていないとも限らなかった。


 テロを仕掛けるなら、もっと大きな隣の駅を狙うだろうし、きっと何てことない忘れ物だろうけど、大丈夫という確証もない。


 映画やドラマで忘れ物を届けようとした善意の一般市民が爆発に巻き込まれて死ぬなんて、よくあるパターンだし。


 私は少し悩んでから、とにかく中を確かめてみることにした。


 案外、何てことない物が入っているだけかも知れない。


 私がそっとビニール袋を開くと、中に入っていたのは新聞紙に包まれた、平たくて細長い何かだった。


 数は四つ。新聞紙にはセロハンテープがいかにも乱雑に、でもしっかりと巻き付けられていて、簡単には開けられそうになかった。


 タイマーらしき物は見当たらないし、爆弾ではなさそうだけど、何だか得体が知れなくて、持ち運ぶのはちょっと怖い。


 とにかく駅員さんを呼ぼう。「不審な物を見かけた時には、手を触れずに知らせて下さい」って、前にどこかのポスターに書いてあったし。


 私はビニール袋から離れて駆け出すと、駅事務室を回り込んだ。


 丁度その時、紀之定さんが引き戸を開けて、駅事務室から出てくる。


 白い帽子。


 白地に灰色のストライプの入った半袖シャツの胸ポケットには、エンブレムが付いていた。


 黄色のレジメンタルタイに、グレーのズボン。


 最近結構暑いから、夏服に衣替えしたんだろう。 


 ただ紀之定さんの姿を見ただけで心がふわりと浮き立って、ご利益があったことを素直に喜んでいると、私に気付いた紀之定さんが愛想良く挨拶してくる。


「こんにちは」


 私は紀之定さんに挨拶を返してから、私は続けた。


「あの、そこのベンチに忘れ物があるみたいなんですけど、中身がわからなくて……」

「では、ちょっと中を検めてみましょうか」


 紀之定さんはつかつかとベンチに歩み寄ると、興味深そうにビニール袋を開けて、新聞紙に包まれた細長い何かを一つだけ取り出した。


「危険があるかも知れないので、念のため少し離れていて下さい」

「わかりました。気を付けて下さいね」


 私が数歩後ろに下がると、紀之定さんは早速白い手袋を外して、新聞紙に巻き付いているセロテープを剥がしにかかった。


 幸い、さっきの電車から降りたお客さん達は行ってしまって、近くには私と紀之定さん以外の人はほとんどいないし、万一何かあってもお客さんを巻き込む可能性は低いだろう。


 少ししてセロテープが外され、新聞紙が開かれる。そうして露わになった物を見て、私は小さく身じろぎした。


 出て来たのは、包丁だったのだ。


 傷があったり、刃が少し欠けていたりするところを見ると、それなりに使い込まれているようだった。


「……随分、変わった忘れ物ですね」


 私の言葉に、紀之定さんは小さく頷いた。


「同感です」

「駅に刃物だなんて、この包丁の持ち主はテロでもやらかす気だったんでしょうか?」


 急に事件っぽくなってきて、私は少し不安になったけど、紀之定さんは意外と度胸があるのか、平然と言った。


「この包丁が本当にテロに使われる予定だったとしたら、持ち主の方は余程そそっかしい方なんでしょう。とてもそんな大それた犯罪に向いているとは思えませんから、是非考え直すことをお勧めしたいです」


 事を起こす前に凶器をベンチに置き忘れてしまうような、間抜けなテロリストがいるとも思えないけど、いくら考えても私には「テロを仕掛けようとした」以外に、この包丁がここにある理由は思い付かなかった。


「謎ですね……この謎、解けそうですか?」

「今はまだ何とも言えませんね。とりあえず、他の包みも開けてみましょうか。もしかしたら、何かわかるかも知れません」

「手伝います」


 私は残り三つの包みの中から、適当に一本を抜き出しながらそう言った。


 見たところ包みはどれも同じような形だから、多分入っているのは似たり寄ったりの物だろう。開けた途端に爆発することはなさそうだった。


 私は苦労してテープを剥がしながら、紀之定さんにいろいろ訊いてみることにする。


 今なら梱包を外している最中だし、よっぽど突っ込んだことを訊かない限りは迷惑にならないだろう。


 私はとりあえず、当たり障りのなさそうなことから尋ねてみた。


「あの、紀之定さんって、いつからこのお仕事されてるんですか?」

「一年ちょっと前からです」


 私と同じくらいの年に見えるし、まあそんなものだろう。


 私は納得したところで問いを重ねた。


「失礼ですけど、今おいくつですか?」

「この間の誕生日で二十歳になりました」

「あ、じゃあ私と同い年なんですね。私は誕生日まだなんですけど……ちょっと意外でした」

「そうですか?」


 ちょっと意外そうにそう訊き返してきた紀之定さんに、私は言った。


「はい、少し年上なのかなと思っていたので。進学には興味なかったんですか?」


 頭のいい人だし、その気になれば結構いい大学を狙えたんじゃないかと思ったけど、鉄道オタクの人にとっては電車に携わる仕事の方が魅力的だったのだろうか。


 私が手を動かしながらそんなことを考えていると、紀之定さんはテープを剥がし終えた新聞紙を開きながら、私の質問に答えた。


「勉強は好きでしたし、それなりに得意なつもりでしたけど、僕は父親のいない家庭で育ったので、母を早く楽にしてあげたかったんです。年の離れた兄がいて、『お金のことは心配しなくていいから、大学に行け』と言ってくれたんですが、やっぱり悪くて……進学に全く未練がないと言うと嘘になりますけど、今は電車に関わる仕事ができて毎日充実していますし、どうしても勉強がしたいなら自分でお金を貯めてから行けばいいだけですしね」


 私と一つしか違わないのに、紀之定さんは私よりずっと大人に思えた。


 私なんて学費も生活費も全部親に出してもらっていて、家の手伝いだって碌にしていないのに。


 一応勉強は真面目にしているつもりだけど、私も紀之定さんを見習って、もうちょっと家の手伝いくらいはすることにしよう。 


 私がそう心に決めていると、紀之定さんが開いた新聞の中からパン切りナイフが出て来た。


 包丁ではないけれど、刃物であることに変わりはない。


 多分こっちも同じような物が入っているのだろうと思いながら、私がテープの外れた新聞紙を開くと、さっきとはちょっと形の違う包丁が入っていた。


 こっちも使い込まれていて、曇りや細かい傷がいくつもある。


 私は最後の包みのテープを剥がし始めた紀之定さんを手伝いながら言った。


「しっかりしてるんですね。借金までして、ただ何となく大学に行く人もいるのに。私だって、別にどうしても大学でやりたいことがあった訳じゃなくて、何となく興味があるからっていう理由で進路を決めただけですし」

「人生の時間の使い方は人それぞれですよ。別に早く就職した人間が優れているとか、偉いとかいうことはありませんし、大学生でないと経験できないこともあるでしょう。どうぞ今を楽しんで下さい」

「はい、ありがとうございます」


 やっぱりいい人だなあと思いながら私がそう言った時、紀之定さんがテープを外して新聞紙を開けた。


 出て来たのはさっきとはまたちょっと違う形の包丁。


 これで包丁が三本と、パン切りナイフ一本が出揃ったけど、何かわかるどころか、ますます謎が深まった気がした。


 私は考えるのを放棄して、紀之定さんに意見を求める。


「どう思います? これ」

「少なくとも、テロの可能性はなくなったと思います」


 妙に自信たっぷりな紀之定さんの言葉に、私はきょとんとした。


「どうしてですか?」

「ここにパン切りナイフがあるからですよ。パン切りナイフはあくまでパンのような柔らかい物を切ることに特化したナイフですから、肉は上手く切れない筈です。人を切り付けるのが目的なら、四本全部が包丁の筈でしょう?」

「ああ、言われてみれば……」


 パン切りナイフも刃物である以上、凶器にならないとは言い切れないけど、本気で人を殺傷するつもりがあるなら、敢えてパン切りナイフを持って来たりはしないだろう。


 紀之定さんが言うように、包丁だけを持って来るに違いない。


 私が納得していると、紀之定さんは言葉を足した。


「それに、これだけきっちり梱包していたところを見ると、持ち主は落ち着ける場所に着くまで、包丁を取り出す気がなかったと考えた方が自然です。もしどこかで人を襲うつもりなら、もっと取り出し易いようにしておいたと思いますよ。この梱包を外すのは少々手間ですし」

「じゃあ、この包丁やパン切りナイフは、どうしてここに?」

「多分、持ち主は引っ越しで新居に移動する途中で、うっかりここに忘れて行ってしまったんでしょう」


 紀之定さんは破れた新聞紙を再び包丁に巻き付けながら、当然のことのようにそう答えた。


 刃の出た包丁をそのまま持ち運ぶのは危ないし、私も紀之定さんと同じように包丁を新聞で包みながら、再び問いかける。


「どういうことですか?」


 包丁を包んでいるのが引っ越し屋さんのロゴの入ったシートだったら、紀之定さんの推理も納得だけど、これはあくまで只の新聞紙だ。


 引っ越しを思わせるような物は特にないのに、紀之定さんはどうして持ち主が引っ越しをしたと思ったのだろう。


 私が紀之定さんの答えを待っていると、紀之定さんは手を動かしながら言った。


「ちゃんとした根拠がある訳ではないんです。ただ、思い付いた中で一番可能性が高そうなのが、引っ越しだったので。包丁を家の外に持ち出す機会なんて、そうあるものではないでしょう? もしキャンプやバーベキューに行く途中で置き忘れられたのだとしたら、包丁だけでなく、調理器具一式が一緒に見付からないのは不自然です。包丁はそう嵩張る物でもありませんから、わざわざ包丁だけを別にして持ち運ぶとは、ちょっと考え難いですし。不要になった包丁やパン切りナイフを誰かにあげようとしたのではとも考えましたが、この雑な梱包からしてその可能性は低そうですしね」

「それで引っ越し、ですか」


 私は梱包し直した包丁をビニール袋に入れると、別の包丁を手に取って、再び梱包を始めた。


 紀之定さんも同じようにパン切りナイフを拾い上げると、破れた新聞紙で包みながら言う。


「引っ越しなら、場合によっては、普段はまず持ち運ばないような物を運んでいてもおかしくはありません。包丁差しは大概台所のシンク下の戸に据え付けられていて、戸を開けた時に死角になりがちですし、包丁は料理に欠かせない道具です。引っ越しのギリギリまで自炊していれば、そそっかしい人ならダンボールに入れ忘れてしまうこともあり得るでしょう。包丁やナイフがどれも使い込まれていたことから、持ち主がそれなりに料理をする方なのは間違いないと思いますし、据え付けの包丁差しに収納できる本数は三本ないし四本程度が多いですから、数も合います。多分持ち主の方は、ダンボールを全部運び出した後、大家さんや管理会社の人と家の中を点検している時に包丁を詰め忘れていたことに気付いて、慌てて包丁を梱包して電車に乗ったんでしょうね」

「なるほど、それなら確かに辻褄は合いますね」 


 紀之定さんの推理が正しいかどうか、確かめることはできないけど、紀之定さんの推理には説得力があった。


 今のマンションに引っ越す前に住んでいたアパートで、ダンボールに詰め忘れた物を新居に運ぶことになったことがあったから。


 あのアパートは洗面所の鏡の裏に収納があって、そこにしまっておいたドライヤーをダンボールに詰め忘れてしまったのだ。


 大家さん達と一緒に部屋や戸棚の中を一通り点検している時に、ドライヤーが見付かって、お母さんが慌ててバッグに入れていた。


 多分この包丁の持ち主も、そんな感じで包丁を家から持ち出す羽目になったのだろう。


 私と紀之定さんが梱包し直した包丁とパン切りナイフをビニール袋に戻し終わると、控えめな女性の声がした。


「すみません。それ、私がさっき置き忘れた物なんですけど……」


 振り返ると、三十代前半くらいの女性が小学校に上がるかどうかといった年頃の男の子と、手を繋いで立っていた。


「お手数ですが、確認のために中に入っている物をおっしゃって頂けますか?」


 紀之定さんの問いかけに、女性は淀みのない口調で答える。


「包丁三本とパン切りナイフです」

「ありがとうございます。間違いないようですね。中身を確認するために、梱包を開けさせて頂きました。申し訳ありません」


 紀之定さんがビニール袋を差し出すと、女性はビニール袋を受け取って、少し不安そうに言った。


「いえ、変な物持ち込んじゃってすみません。梱包してあっても、包丁を持って電車に乗るのは駄目でしたか?」

「包丁は電車に持ち込めない危険物には入っていませんから、大丈夫ですよ」

「そうなんですか? 怒られるんじゃないかって、ちょっとびくびくしてたんですけど」


 女性は拍子抜けした様子でそう言った。


 私も少し意外に思う。


 包丁だって刃物なのだから、危険な物に変わりはない筈だし。


 でも、よくよく考えたらカミソリや包丁を買って電車に乗る人もいるだろうし、その辺の人の旅行カバンを開ければカミソリの一つや二つ出て来るだろう。


 電車に刃物の持ち込みを禁止するというのは、現実的に不可能に違いなかった。


 私が一人で勝手にそう納得していると、紀之定さんが言う。


「電車に持ち込めないのは可燃性の液体や固体、火薬類、高圧ガスなどです。ホームページを参照して頂ければ、電車に持ち込めない物の一覧が詳しく出ていますので、よろしければ一度ご覧になってみて下さい」

「わかりました。ご親切にありがとうございます」


 女性が軽く頭を下げて会話が一段落したところで、私は女性に訊いてみた。


「あの、もしかして今日はお引っ越しだったんですか?」


 私がそう尋ねると、女性は目を丸くして驚いた。


「どうしてわかったんですか!?」

「あ、ええと、私じゃないんです。この駅員さんの推理なんですよ。ダンボールに入れ忘れた包丁を運んでる途中に、ここに置き忘れたんじゃないかって」

「へえ、凄いですね。当たってますよ。さっき大家さんと管理会社の人と一緒に家の中を見回ってたら、包丁だけそのままになってて、大家さんに新聞紙やセロテープをもらって、慌てて梱包して持って来たんです。鞄に入れられれば良かったんですけど、私のリュックは小さくて入らなくて……仕方ないからビニール袋に入れて持って来たんですけど、うっかりベンチの上に忘れて電車に乗っちゃったんです。もう何年も使ってましたし、別に高い物でもないですから、わざわざ取りに来なくてもいいかなって思ったんですけど、場所が場所だけにテロと勘違いされて変な騒ぎになったら困りますし、次の駅で降りて引き返して来たんですよ」


 流石紀之定さん、真相をぴたりと言い当てていたらしい。


 一体どういう頭の構造をしているのだろう。 


 私がすっかり感心していると、女性は言った。


「それじゃ、私達はこれで」


 軽く会釈をする女性の横で、男の子が手を振ってくる。


 私と紀之定さんが男の子に手を振り返すと、二人は手を繋いだままホームを歩き出した。


 何気なく女性の背中に目をやると、そこにあったリュックはA5版のノートが入るかどうかくらいの大きさで、確かに包丁は入りそうにない。


 小さな子供を連れたお母さんはそれなりの大きさのリュックを背負っている人が多いイメージだけど、小学生くらいになれば服を汚したりすることも減るだろうし、自分の私物を入れるだけならコンパクトなリュックで十分だったりするのだろう。


 私は女性から紀之定さんに視線を戻すと、頭を下げた。


「お騒がせして、どうもすみませんでした」


 別に悪気があった訳じゃないけど、結果としてつまらない用事で紀之定さんを煩わせてしまったことには変わりない。


 私がすっかり恐縮して小さくなっていると、紀之定さんはあくまで優しく笑った。


「いえ、これも仕事ですから。中身がわからない物に関しては、手を触れずに駅係員を呼んで頂くようにこちらからお願いしていますしね」


 そう言った紀之定さんは特に気を悪くしてはいないみたいで、私は心の中で安堵の溜め息を吐く。


 もしかしたら単に接客中だからにこやかにしているだけで、実は怒っているのかも知れないけど、心からの笑顔であってくれたらと、そう思わずにはいられなかった。


 いくら笑ってくれても、上辺だけの笑顔なんて嬉しくない。


「もしまた何か不審な物を見付けたら、遠慮なくお声を掛けて下さいね」


 笑顔の紀之定さんに、私も笑顔を返して言った。


「わかりました。お仕事頑張って下さいね。それじゃあ、また」

「ええ、お気を付けて」


 私はぺこりと頭を下げると、駅事務室の脇を通って小走りに階段へと向かう。


 別れ際に自然とまた会う前提で挨拶できたことが、ひどく嬉しかった。


 紀之定さんも別に変な顔はしていなかったし、だんだんとお互いに顔を合わせることが当たり前だと思えるようになれたらいい。


 ちょっと時間はかかるかも知れないけれど。


 私は弾む心のままに、階段を駆け上がった。






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