表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
駅員探偵ー駅から始まる私の恋ー  作者: 佳景(かけい)
2/8

第二話 アイスクリーム

 紀之定さんと別れた後、私は予定通りに大学に着いた。


 私が通っている大学の周りはマンションや団地ばかりの住宅街で、近所にお店はほとんどない。


 食事ができる所と言えば大学の学食くらいしかないけど、安いし、美味しいと評判だ。


 キャンパス内の図書館の近くに建つ、のっぺりしたビル一つが丸ごと学食になっていて、中には定食屋やカフェなど、いろいろな飲食店が入っていた。


 私はビルの一階に入ると、出入口の近くにある階段を上って、先に着いている友達からのメッセージ通りに、二階の出入り口近くにあるカフェに向かう。


 カフェの出入口横には食券の自動販売機があって、その隣にはメニューの写真が何枚も掲示されていた。


 私はトートバッグの中から淡いピンクの財布を取り出すと、ミートソースの食券を買う。


 これはサラダとドリンク付きのセットメニューで、好きなドリンクを選ぶことができる。


 ミートソースにはあまり合わないけど、ちょっと甘い物が飲みたい気分だったから、私はメロンソーダを注文することにした。


 出て来た食券を手に、ガラスのドアをくぐると、まず真っ先にカウンターに並んだ焦げ茶色のトレイやスプーンやフォーク、ストロー、紙ナプキンが目に飛び込んでくる。


 私はトレイの上にフォークと紙ナプキンを乗せると、木製の四角いテーブルとそれを挟む椅子を横目に、カウンターの前の列に並んだ。


 もう昼休みの時間だからカフェはそれなりに混んでいて、私の前には四人並んでいる。


 それ程広いお店じゃないけど、店内が外から丸見えになる程大きな窓の向こうにはテラスがあって、開放感があった。


 食券を差し出してメロンソーダを頼み、出来上がりを待っていると、少ししてミートソースセットがトレイの上に並ぶ。


 私がトレイを傾けないように慎重に歩いてテラスに出ると、手前には黒っぽい丸テーブルと椅子、奥には長方形の茶色いテーブルと長方形のベンチが並んでいた。


 友達二人はテラスの一番奥にある丸テーブルを囲んでいて、私が軽く手を振ると、二人も手を振り返してくれる。


 右手に座っている黒髪のショートカットの子が東雲釉しののめゆうさん。


 目鼻立ちがくっきりした美人だから、化粧したらもっと綺麗だろうけど、化粧をしているところは見たことがなかった。


 黒っぽいライダースジャケットに、黒いワンピースとぴったりとした黒いパンツ、踵が平らなシルバーの靴というピリッとした服装は、クールな釉さんによく似合っている。 


 そして左手に座っている、肩に付かないくらいの長さで黒髪を切り揃えた子は月待絃花つきまちいとかちゃん。


 釉さんがツリ目系の顔立ちなら、絃花ちゃんはタレ目系だろう。


 優しげで可愛らしい顔立ちに加えて、ぽわんとした雰囲気で、実際性格もおっとりしていて付き合い易い。


 黒いボーダーのトップスに、藍色のオーバーオール、白いスニーカー。こういうだぼっとした服は一歩間違えるとだらしなくなりそうだけど、いつも可愛く着こなしていた。


 二人共私と同じ、文学部文学科の国文学専攻コースの学生で、この大学に入ってからできた友達だ。


 釉さんも絃花ちゃんも現役入学の同い年だけど、大人びた雰囲気の釉さんは何となくちゃん付けでなく、さん付けで呼んでいた。


 二人とはかれこれ一年の付き合いだけど、今のところ特に喧嘩をすることもなく、仲良くやっている。


 二人は私を待っていてくれたみたいで、二人のドリアとカレーには手を付けた様子がなかった。


「ごめんね、お待たせー」


 私がそう謝ると、釉さんが言った。


「いいよ、そんなに待ってないし」

「座って座って。早く食べよ」


 絃花ちゃんに促されるまま、私はいそいそとテーブルにトレイを置いて、二人の向かいに腰を下ろした。


「頂きまーす」


 私は軽く手を合わせると、早速フォークを手に取りながら切り出した。 


「ねえ、最近何か変だなとか、不思議だなって思うことなかった?」

「そう言う莉緒が変だよ。何でそんなこと訊く訳?」


 ストローをアイスティーに差しながらそう訊いてくる釉さんに、私はフォークでスパゲッティを巻き取りながら答える。


「前に、ちょっと気になってる駅員さんがいるって話したことあるでしょ? 今日その人と話してみたら、ミステリー小説に出てくる探偵みたいな感じで、ちょっとした謎を解いてもらったんだ。で、また何か謎があったら教えて欲しいんだって。せっかく話すきっかけができたんだから、協力してよ。お願い!」


 私が顔の前で手を合わせて頼むと、絃花ちゃんがスプーンを手に取りながら言う。


「そういうことなら協力してあげたいのは山々だけど、いきなりそんなこと言われても、ちょっと思い付かないなあ……」


 困り顔になる絃花ちゃんの横で、釉さんは意外にも口元に手を当てて考える素振りを見せた。


 これはひょっとしたら、ひょっとするかも知れない。


 私が期待を込めて釉さんの言葉を待っていると、釉さんは少し躊躇いがちに訊いてきた。


「……ホントに大したことじゃないって言うか、はっきり言ってつまんない話なんだけど、それでもいい?」

「うん。話してみて」

「じゃあ、話すだけは話すけど……ホントにしょうもない話だからね」


 釉さんはそう前置きしてから、語り出した。






「私、一昨日バイトの帰りにコンビニに寄ったんだ。飲み物だけ買うつもりだったんだけど、好きなカップアイスの新作が出てたから、それも買って帰ったの」

「それってもしかして、あの桜もち味のやつ?」


 絃花ちゃんの問いかけに、釉さんは浅く頷く。


「うん。あそこのアイス好きで、新しいのが出るとつい買っちゃうんだ。ちょっと高いけどね」


 釉さんのお気に入りのアイスは、私もお気に入りだ。


 小さめの赤い紙カップに、茶色っぽいプラスチックの蓋の、どことなく高級感があるパッケージ。


 百円そこらで買えるアイスもある中、倍以上の値段で売られているし、サイズも小さめだから、かなり割高だけど、口当たりがまろやかで美味しい。


 私も新しい味が出る度に、体重を気にしながらも買っていて、勿論桜もち味ももう食べている。


 桜風味のアイスの上に、これまた桜風味のお餅が乗っていて、優しい味で好きだった。 


 釉さんはドリアを飲み下してから続ける。


「私、まだあれ食べたことなかったから、食べるの楽しみにしてたんだけど、上がりが二十二時だったから、そんな時間に食べたら太るじゃん? それで、とりあえず冷凍庫に入れておいて、昨日大学から帰ったら食べるつもりだったんだ。でも、昨日の朝いつも通りに水筒に入れる氷を出す時に見たらちゃんとあったのに、帰って来て冷凍庫を開けたら、無くなってたんだよ」


 私はメモ帳にシャープペンシルで釉さんの話を書き留めながら、言おうか言うまいか迷って、結局言った。


「ごめん。話してもらっておいて何だけど、これって謎でも何でもなくて、ただ単に家族の誰かが食べただけだよね? 釉さんって実家暮らしでしょ?」


 絃花ちゃんは上京組だけど、私と釉さんは実家から通っている。


 私は釉さんと違って県境を越えないといけないから、通学は結構大変だけど、わざわざアパートを借りて家具や家電を一式揃えるお金と定期券に払うお金を比べれば、一時間半近くかけて大学に通った方が良かった。


 釉さんの場合、通学時間は一時間くらいだから、尚の事わざわざ家を出る理由がないだろう。


 釉さんはスプーンでドリアをすくいながら、少し決まりが悪そうに言った。


「だから言ったじゃん。しょうもない話だって。でも、家族の誰かが食べたのは確かでも、誰が食べたのかわからないんだよ。ウチはお父さんとお母さんと私と弟の四人家族で、お父さんは甘い物が苦手だから、食べたのはお母さんか弟のどっちかなんだけど」


 釉さんの家族構成は前々からざっと把握していたけど、改めてちゃんと教えてもらっていた方がいいだろう。


 何が紀之定さんの推理に役立つかわからない。


 ミステリー小説の探偵は、些細なきっかけで犯人に気付いたりするものだし。


 私はメモ帳にシャープペンシルを走らせながら尋ねた。


「一応みんなの年とか仕事とか、一通り教えてもらっていい?」

「いいよ。お父さんは確か今年五十二歳で会社員、お母さんは五十一歳で近所のスーパーでパート、弟は十六歳で高校一年生。特に何てことない、平凡な家族構成だよ」


 私が大急ぎで釉さんの言葉を書き留めていると、絃花ちゃんが小さく首を傾げて言った。


「四人家族なら、別に大家族って訳でもないよね? 怪しいのが二人だけなら、突き止めるのはそんなに難しくないんじゃないの?」


 カレーを口に運びながらの絃花ちゃんの言葉に、私は手を止めずに小さく頷く。


「そうだよ。一緒に住んでるなら、何時頃に帰って来るとか、家を出るとか、大体知ってるでしょ? 普通冷凍庫に鍵なんて付いてないから、家にいればお母さんにも弟さんにもチャンスはあっただろうけど、全然見当付かないの?」


 


 私がそう尋ねると、釉さんはドリアを頬張りながら難しい顔になった。


 頭の中の情報を整理しているのか、すぐには返事をしなかったけど、ドリアを飲み下すと、ゆっくりと言う。


「お母さんは太るのを気にして、夜遅い時間には食べないようにしてるんだ。だから夜食べたんだったとしたら食べたのは弟だけど、朝冷凍庫を開けたらアイスはまだあったから……弟は朝にあんまり強くなくて、いつも出掛ける三十分前にやっと起きて慌てて支度して出て行く感じだし、多分朝は食べてる暇なんてなかったと思う。まあ、昨日はお父さん、私、弟、お母さんの順番で家を出たから、私より後に出た弟が絶対食べてないとは言い切れないけど、最後に家を出たお母さんが見てない訳だしね。弟もお母さんがアイスを食べてたなんて言ってなかったけど、単純に考えたら最後まで家にいたお母さんが怪しいじゃん? でも、お母さんがそんなことしたことなんて、今まで一度もなかったんだ。もしかしたら魔が差したのかも知れないけど、ちょっと引っかかるんだよ。アイスって、あんまり朝から食べたくなるような物でもないしさ。これが弟だったら、似たようなことは今までにも何回かしてるし、納得が行くけど、弟には時間的に無理だろうし……何か変なんだよね」


 釉さんの話は確かにちぐはぐなところがあって、妙な感じがした。


 多分何かを見落としているのだろうけど、それは一体何だろう。


 少し考えてみたけど、私にはさっぱりわからなかった。


 この謎なら、紀之定さんも喜んでくれるかも知れない。


 私が張り切ってメモを取り続けていると、釉さんは続けた。


「お母さんにしても弟にしても、とにかく自分はやってないの一点張りだから、アイスを食べたのはどっちか突き止めて欲しいんだ。今のままだとどっちも弁償してくれそうにないし、ケンカになっちゃってさ……ちょっと困ってるんだよ」


 こんなにクールな釉さんが、たかがアイスのために家族とケンカしているというのも微笑ましい話だけど、釉さんからすれば楽しみにしていたアイスが食べられなくなった上に家族とケンカまでする羽目になった訳で、笑ったりしたら悪いだろう。


 私はあくまで真面目な顔をして言った。


「わかった。今度駅員さんに会えたら話してみるよ。ありがと」






どうやら駅員さんというのは、「毎日規則正しく九時から五時まで」みたいな働き方をしている訳ではないようで、紀之定さんを見掛ける曜日も時間も定まっていなかった。


 田舎なら終電も早いだろうけど、首都圏だと大抵始発から終電まで二十時間くらいあるのが当たり前だし、普通に考えてその辺の会社員みたいな働き方はとても無理だろう。


 いざ話をしようと思っても、なかなかその機会がなかった。


 運良く駅にいてくれても、他の駅員さんの前で業務に関係ない話をしていたら、紀之定さんが怒られてしまうし、紀之定さんに迷惑を掛ける訳には行かない。


 そんな感じでメモを拾ってもらった時以来、紀之定さんとはちゃんと話せていなかったけど、お互い姿を見掛けた時には挨拶くらいはするようになっていた。


 挨拶なんてほんの一言だけだし、遠くてお互いただ頭を下げるだけの時も多い。


 でも、ちょっと前までその他大勢の人と同じ扱いだったことを思えば、挨拶してもらえるようになっただけでもかなりの前進だろう。


 でも、一つ前進すると人間欲が出て来るもので、もっと話せたらなあと思わずにはいられなかった。


 只のお客さんと駅員さんの関係でこれ以上のことを望むのは、贅沢過ぎるとわかっているけれども。


 結局私が紀之定さんとちゃんと話せたのは、釉さんの話を聞いてから一週間くらい後のことだった。


 今日は午後から大学に行く日で、私は駅の改札を通る時にいつものように精算所を覗いてみたけど、紀之定さんの姿はない。


 でももしかしたら、あの日みたいにホームにいるのかも知れなかった。


 私は微かな希望を持ってエスカレーターに乗ると、下り電車のホームに下りる。


 平日の昼間だから、電車を待っているお客さんは少なかった。


 紀之定さんはいないかなとホームを捜して歩いていると、あの日と同じように階段の辺りを箒とちり取りで掃除している紀之定さんを見付ける。


 近くに他の駅員さんもいないし、今なら大丈夫だろう。


 私は控えめに紀之定さんに声を掛けた。


「こんにちは」


 紀之定さんは手を止めると、顔を上げた。


 私を見た紀之定さんがにこりと笑って、それだけで私は今日が最高の一日だと確信する。


 我ながら単純だなあと内心苦笑していると、紀之定さんは笑顔のまま挨拶を返してきた。


「こんにちは。これから大学ですか?」

「そうなんです。この間はどうもありがとうございました。実はまたちょっと推理して欲しいことがあるんですけど、見てもらってもいいですか?」


 私はトートバッグのポケットからメモを取り出すと、紀之定さんに差し出した。


「拝見します」


 メモを受け取った紀之定さんは、興味深そうにメモに目を通していたけど、少ししてメモを折り畳むと、「ありがとうございました」と言いながら私に返してきた。


 私はメモを受け取りながら、紀之定さんに問いかける。


「あの、どっちが食べたかわかりました?」

「はい。きっと弟さんでしょう」


 たったあれだけの情報でどうしてわかったのか不思議だけど、紀之定さんには確信があるみたいで、その口調に迷いはなかった。


 訳が知りたくて、私は問いを重ねる。


「どうして、弟さんだと思うんですか?」

「弟さんの仕業だと考えた方が自然だからですよ」


 紀之定さんはそう言ったけど、弟さんの仕業だとしたら、一体いつアイスを食べたんだろう。


 アイスは釉さんが朝冷凍庫を開けるまであった訳だから、弟さんは朝アイスを食べた筈だけど、起きてからたった三十分程度で慌てて出て行くような弟さんにアイスを食べる余裕があったなんて、ちょっと考え難かった。


「弟さんは友達が思ってたよりも早起きして、アイスを食べたってことですか?」


「その可能性はないとは言えませんが、多分弟さんは夜寝る前にこっそりアイスを食べて、空のパッケージをそのまま冷凍庫へ戻して置いたんでしょう」


 私はきょとんとして目を瞬かせた。


「何のためにですか?」


「疑いを自分から逸らして、お母さんに罪を着せるためにですよ。弟さんは毎朝お友達が冷凍庫を開けるのを知っていて、それをアリバイ作りに利用したんです。多分、台所から人がいなくなった隙に冷凍庫からアイスのパッケージを取り出して、ゴミ箱に捨てたんでしょうね。朝はみんな支度で忙しい時間ですから、きっと誰にも見られずに冷凍庫を開けるのはそれ程難しくはなかったと思いますし、それくらいならギリギリに起きる弟さんにも十分できるでしょう? お友達に朝冷凍庫を開けるまでアイスがあったと思わせて、お友達が帰って来た時にアイスがなくなっていれば、疑いの目は自然と最後に家を出るお母さんに向きます。自分の支度で手一杯の弟さんに、朝アイスを平らげる時間があるとはお友達も思わないでしょうしね。多分お友達も自分の支度で忙しくて、パッケージを見ただけでアイスがそこにまだあると判断したのでしょう」


 釉さんは具体的にどういう方法でアイスを確認したのかについては言及していなかったけど、まさかアイスの中身が空なんて思わなかっただろうから、紀之定さんの言うようにいちいち中身を確かめたりはしなかったに違いない。


 きっと私でも釉さんと同じようにするだろう。


「確かに筋は通ってると思いますけど、どうしてそう思ったんですか?」

「だって、お母さんは遅い時間に甘い物は食べない人なんでしょう? 食欲に負けてアイスを食べてしまった可能性はありますけど、だとするとお友達が朝冷凍庫を開けた時に、アイスが入っていたのは辻褄が合いません。食べ終わったアイスのパッケージは、普通ゴミ箱行きですからね。勿論、お友達や弟さんが出掛けた後に食べることはできますが、その場合お母さんがアイスを食べたことを否定する必要があるでしょうか? 状況的に一番怪しいのはお母さんですから、否定したところでバレバレでしょう? 重い罪に問われるなら白を切り通すのもわかりますが、アイス代なんて大した額ではありませんし、食べてしまったことをお友達に謝って、新しいアイスを買って来れば済む話です。お話を聞く限り、お母さんは人の物を勝手に食べてしまうようなタイプの方でもないようですしね」


 言われてみれば、確かに紀之定さんの言う通りだった。


 お母さんなら実の子供に怒られることなんて、大して煩わしいことでもないだろうし、釉さんも大目に見てくれそうな気がする。


 でも、今までも何度か勝手に釉さんの物を食べた前科がある弟さんへの対応は、またちょっと違ってくるだろう。


 釉さんはあれで結構性格がキツイところがあるから、弟さんがクロだとわかったら、結構容赦ない仕打ちをしそうだった。


 それが嫌で弟さんがあんな細工をしたのだとしたら、納得はできる。


「でも、その細工をしたのが弟さんとは限らないですよね? 家にいる人なら誰でも冷蔵庫を開けられる訳ですし、同じことはお母さんにもできます」

「確かにそうですね。でも、弟さんに罪を着せるつもりがあるなら、お母さんはお友達が家を出た後に、弟さんがアイスを食べているのを見たと証言する筈でしょう? そうでなければ、最後に家を出る自分の方が疑われてしまいます。でも、お母さんからそんな証言はありませんでした。お母さんは細工をしていないと考えた方が自然です」


 それもそうだった。


 お母さんの行動には、弟さんに罪を着せようとする意図は特に感じられない。


 でもまだ引っ掛かることがあって、私はもう一度紀之定さんに問いかけた。


「お母さんがわざと自分に疑いが向けられるようにして、逆に弟さんに罪を着せようとしてる可能性はありませんか?」

「犯人がわざと疑われるような言動をして、探偵の疑惑をかわそうとするミステリーはありますけど、あれはフィクションだからこそ成り立つものですよ。普通に考えたら、只のボロを出しまくっている頭の悪い人でしょう? あれを本当にやったら、真っ先に疑われて犯人だとバレるだけだと思いますけど」

「ああ、なるほど。確かに意味がないですね」


 今まで特に考えたことなんてなかったけど、自分に疑いが向くようにして『まさか犯人がそんなことをする筈がないだろう』という心理トリックを仕掛けるのは、ほとんど自滅もいいところだった。


 相手が穿った見方をしなければ引っ掛からないし、実際自分が犯人な訳だから、詳しく調べられて動かぬ証拠を押さえられたらそれまでだ。


 被害者を装った方がよっぽど罪を免れられるだろう。


 私がそう納得していると、紀之定さんは続けた。


「お母さん犯人説より、弟さん犯人説の方が無理なく辻褄が合います。弟さんとしては怒られるのが嫌だったことに加えて、限られたお小遣いから余計な出費をしたくなかったのでしょうが、下手に小細工をして墓穴を掘った感じですね。お母さんに罪を着せようとせずに、アイスのパッケージをそのまま捨てていれば、どちらが食べてしまったのか判断することはできなかったでしょうに。お友達には、弟さんからきちんと弁償してもらって下さい」

「わかりました。友達にはそう伝えておきます」


 私はトートバッグのポケットに入れてきた自分の連絡先を書いた紙を渡そうか迷って、結局やめた。


 いつでも連絡を取れるようになったら、謎が見付かった時にすぐに知らせることができて便利だけど、ついこの間知り合ったばかりで連絡先を教えるなんて図々しいと思われるかも知れない。


 当面はこんな風に何とか時間を見付けて、話を聞いてもらうことにしよう。


「どうもありがとうございました。きっと友達も喜ぶと思います」


 私がお辞儀をすると、紀之定さんも丁寧に腰を折った。


「こちらこそ、謎解きができて楽しかったです。また何か謎がありましたら、よろしくお願いします」


「はい、絶対またお知らせします。お仕事頑張って下さいね。それじゃ」


 私はもう一度紀之定さんに頭を下げると、紀之定さんに背を向けて歩き出した。





 次の日は一限から講義がある日だった。


 足を踏み入れた教室は、白くて細長いテーブルが三列に、二十程並んでいるだけの小さなそれだ。


 正面の壁にはそれ程大きくない黒板があって、その前には白い教卓が置かれていた。


 講義が始まる十分くらい前でも、席はまだ半分近く空いている。


 この講義は全員揃っても席が三分の二程度しか埋まらないから、これでもそれなりの出席率だった。


 しっかり者の釉さんはもう先に来ていて、窓側の一番後ろ――窓際の席に一人で腰掛けている。


 廊下側のテーブルは二脚しか椅子がないけど、真ん中と窓側は三脚あるから、釉さんは鞄を自分の隣の席に、そのまた隣の席の前にはペンケースを置いて、場所取りをしてくれていた。


「おはよう」


 私が挨拶すると、釉さんはスマートフォンに落としていた視線を上げて私を見た。


「おはよ」


「弟さんの件、どうなった?」


 私は釉さんの隣の席に腰を下ろしながら、そう問いを口にした。


 昨日、釉さんに紀之定さんの推理を話すと、釉さんは紀之定さんの推理に納得した様子で「あの野郎、まだ言い逃れするようだったらブチ殺す!」と言っていたから、あの後どうなったのかとても気になっていた。


 まさか本当に殺したりはしないだろうけど、怖いもの見たさと言うか、どうなったのか単純に知りたい。


 釉さんはスマートフォンをリュックにしまいながら、私の問いかけに答えた。


「弟に昨日聞いた推理を聞かせてやったら、もう言い逃れはできないと思ったみたいで、素直に謝ってきたよ。ちょっと前まではもっと単純だったのに、悪知恵ばっかり働かせてしょうもない奴だよね。罰として一発椅子でぶん殴って、ついでに蹴りも入れて、例のカップアイスのシリーズを五個買って来させたけど」

「そ、そうなんだ……」


 悪役女子プロレスラーかと思うようなバイオレンスな制裁だ。


 きっと「ふざけた真似してんじゃねえぞ! コラアァ!」と雄々しく吠えながら暴れていたのだろう。


 チャラチャラしたところのない釉さんだけど、こう見えて実は元ヤンキーだったりするのかも知れない。


 この大学はそれなりにレベルが高いことで知られているし、釉さんは付属校からのエスカレーター組じゃなくて受験組だから、本当にヤンキーだったとしたら相当受験勉強を頑張った筈だ。


 私が思わず遠い目になっていると、釉さんが言った。


「例の駅員さんって凄いね。ホントにミステリー小説に出てくる名探偵みたい」

「だよね。また何か解いて欲しい謎があったら教えて。やっぱり口実がないと話し掛け辛いし」

「謎なんかなくても、普通に話し掛ければいいじゃん」

「無理無理! 向こうは仕事中なんだし、興味のない話なんて振られても迷惑なだけだよ」


 私が顔の前で何度も手を振りながら言うと、釉さんは軽く首を傾げて見せた。


「そうかなあ? 嫌いな相手だったら、そもそも『謎があったら教えて欲しい』なんて言わないだろうし、全然脈がないってこともないと思うけど」

「そりゃ、そうだったら嬉しいけど……」


 本当に釉さんの言う通りだったら、どんなにいいだろう。


 でも、つい最近やっと会話らしい会話を時々するようになった程度の私が、紀之定さんの恋愛対象内に入っているかも知れないなんて、ちょっと信じられなかった。


「何もいきなり告白しろって言ってる訳じゃないよ。とりあえず世間話でも振って、反応見てみたら?」


 釉さんはそう言ったけど、私は少し考えてから首を横に振った。


「……やめとく。こっちはあくまでお客さんだもん。いくら迷惑でも、仕事中にお客さんに話し掛けられて『迷惑です』なんてはっきり言えないだろうし、悪いよ」

「それもそうだけどさあ、もっと積極的に行動起こさないと、いつまでもお客さんと駅員さんのままかもよ? 真面目な人だったら、自分から職場に来るお客さんに手を出したりしないだろうし」


 こう言うからには、釉さんだったらどんどん紀之定さんに話し掛けて仲良くなれるんだろう。


 釉さんには今彼氏はいない筈だけど、それはそもそも好きな人自体がいないからだ。


 釉さんは美人だし、性格だって悪くないし、きっと好きな人ができたらあっさり彼氏ができるに違いない。


 そんな釉さんをひどく羨ましく思いつつ、私は言った。


「釉さんの言うこともわかるけど、私には私のペースがあるから。今まで人を好きになったことなんて片手で数えるくらいしかないし、こういうのに慣れてないんだよ。私はちょっとずつでいいの」


 呑気にしている間に紀之定さんが誰かに取られてしまうかも知れないけど、それでも積極的に距離を詰めていく勇気は持てなかった。


 もしかしたら、そもそも紀之定さんには彼女がいたりするのかも知れないし、近付き過ぎて嫌われたりするのも怖い。


 少し遠い所から、じりじりと近付いて行くくらいが、私には丁度いいのだろう。


「応援してくれるのは嬉しいけど、あんまり急かさないで欲しいな」

「そっか、ごめんね。余計なこと言って。上手く行くといいね」

「うん、ありがと」


 私がそう言った時、絃花ちゃんがドアを開けてやって来た。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ