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君がいた虹の夏に  作者: ほしがひかる
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9/10

 会場は県内の自然公園のなかにあるバーベキュー場だった。昼前のいまこそ晴れているが、昨晩の夜から今日の朝にかけて雨が降っていたため、芝生の上を歩けば下から舞い上がる湿気がひどかった。ただ今年は冷夏というだけあって、まだ熱気がない分、過ごしやすい環境で助かった。

 メンバー全員が漏れなく集まるというのは、瀬名がコミュニティに入ってから一度もなかった。十八人も一カ所に集うと、改めて人数の多さを実感する。この十八人は性の悩みを抱える同士なのだ、ひとりも除くことなく。部活動やクラスメイトとは違う、方向性が一致している団結力と言うのだろうか──確かな安心感がここにはあった。

 そして本日の主役と言ってもいい十九人目は、最後に到着した。

麦わら帽子に白のワンピースで登場した彼女の顔は、帽子の唾に隠れていてまだ見えない──緊張して、あえて隠しているのかもしれない。背中の中程まで伸びた髪が風で揺れていた。

 全員の視線は新人の彼女へ集まっていた。瀬名の目にも、メンバーの視線が矢印となって可視化している気がした。

 

 アユムが彼女の隣に、寄り添うように立った。「それじゃ、みんな聴いてくれ。今日から新しくうちのコミュニティ──SMクラブに参加することになった、ハルさんだ」


 歓迎の拍手が送られる最中、ハルという仮名の彼女は麦わら帽子を外した。


「ハルっていいます。みんな仲良くしてくれると、嬉しい、です」


 細くも芯のある声で彼女が自己紹介を終えたときには、拍手は消えていた。誰もが唖然としていたのだと思う。瀬名自身も例外ではなかった。

 端的に言って、ハルは精巧に制作された人形みたいな、綺麗な顔立ちをしていた。丸過ぎず、細すぎない輪郭。高すぎず、低すぎない鼻。厚みの薄い唇。目はやや切れ長で、まつ毛の下から覗かせる()(こく)色の瞳が美しく、しかし異彩を放っていた。

 軽々しく綺麗と口にする人はいなかった、できなかった。その中で「美人さんだ」と高揚を隠しきれていない声色で発言したのが、瑞樹だった。瀬名は素直にスゴイな、瑞樹と思った。


「ありがとう」ハルが微笑を浮かべた。作り物のような笑みだった──やはり人形みたいに。


 次いで、アユムが言う。


「知ってる人もいるとは思うが、ハルさんはメンバーの中で唯一の高校三年生だ。つまり、年長者。けど、それで隔たりを作っちゃあいけない。みんな理解しているとは思うけど、俺らコミュニティは来る者拒まず精神、どんな人でも快く迎える」ひと呼吸の間を置いて。「そして、虹色に輝く。それがSMクラブの方針のひとつだ。要するに、仲良くしようぜって話だ」


 メンバーの誰かがからかうように言った。「それが乾杯前のひと言か?」


「長くて悪かったな」アユムは笑いながら返した。「みんな、ハルさんに積極的に声を掛けよう。まだ入ったばかりで不安もあると思うから」


 そこで、瀬名はアユムに一瞥された気がした。わかってるよ、という意味で苦笑してみせた。


「そんじゃ、ハルさんも来たことだし、バーベキューを始めよう」


 アユムの合図に、うえーい、とメンバーの全員が一気に盛り上げた。各自がジュースの入った紙コップを片手に持って、三つあるバーベキューコンロを囲うように大きな円を作った。瑞樹が隣にハルを入れてあげているのを目にして、瀬名は最初のうちは瑞樹に任せようと思い見た。

 今度こそ乾杯の音頭をアユムが担う。


「ハルさんに加えて、セナもコミュニティに馴染んできたことだし、新しいSMクラブの門出を祝って」


 乾杯、と冷夏を熱くさせる勢いの声量で言った。間を置かずして全員がコップを空に向かって上げて

「かんぱーいっ」と続けた。隣に並ぶ者同士でコップを合わせたりして、みんなが次に向かったのはハルと、瀬名だった。加入が遅かった人を改めて歓迎してくれるという待遇に、瀬名は胸が熱くなって笑みを零してしまいそうなほど、嬉しい気持ちになった。

 次々に肉が焼かれ始めるとメンバーは適当なコンロに位置して、落ち着いた。詰まる所、三つのグループに分かれて、瀬名の属するグループには瑞樹、アユム、ハジメがいた。ハルは別のグループに歓迎されていて、ここにはいない。


「久し振りじゃん、セナくん」瀬名の隣に立つハジメが声を掛けてきた。

「だね。ハジメ、少し焼けた?」


 半袖を着ているハジメの二の腕の中間あたりから、肌の色が僅かに変わっていた。


「うん。今年は涼しいから結構外に出てたんだ」

「旅行とかに行ったのかな」


 性的少数者の集まりということを忘れる、他愛ない話ばかりしていた。映画、アニメ、プロスポーツ、旅行、挙げればきりがない。誰もがそんな感じだっただろう。とにかく、話題が途切れることはなかった。焼けた肉や野菜を突き始めた頃から、各々流れに身を任せてグループを変え始めた。瀬名も比較的新しいメンバーであったから、主に交流が少ない人から話し掛けられることが多かった。

 ようやく瀬名も落ち着いてきたところで、少し焼き過ぎてウェルダンになった肉を選んで食べていると、ふらっと瑞樹が寄ってきた。


「ね、ね、ね。瀬名」


 彼女はどこか興奮気味の様子だった。


「どうしたん?」肉を口に含んで、瀬名は返す。「なんかニマニマしてるよ、葵」(あおい)


 コミュニティ内では本名で呼ばないことが暗黙の了解だったので下の名前で呼んだが、それを気にも留めない様子で瑞樹が口早に言う。


「ハルちゃん、めちゃ綺麗じゃない?」

 瀬名は肉を嚥下して訊く。「もう、ちゃん付け?」


 瑞樹は勢いよく首肯する。この短時間でハルと結構親しくなったようだった。


「やばくない?」

「いや、やばくはないでしょ」


 思わず苦笑してしまったが、瑞樹が興奮するのも、わからなくはなかった。それくらいにハルは、綺麗だった。顔立ちだけでなく、自然に放っている雰囲気が。近寄りがたさは微かに感じるけれど、それを帳消しにするような、人を引き寄せる魅力も彼女から感じられた。


「僕まだ話してないんだけどさ、どんな感じの人だった?」


 うーんと瑞樹が唸って、数秒経ってから。


「なんだろ、歳がひとつしか違わないのに、お姉さんって感じだった。けど、すごく話しやすくて、優しい人だったよ」

「へえ」

「あ、えっとね、深窓(しんそう)の令嬢、だっけ? それがぴったり」

「それって、話しやすくない人の印象が強いんだけど」瀬名は苦笑いした。「言葉選びとか、話し方が上品なの?」

「なんて言うのかなあ。ま、瀬名も話してみればわかるよ」


 そう言って、瑞樹は焼き目のついたピーマンを手に取った。「うわ、ちょっと焦げてる」と言いつつ息で少し冷まして口へ運んだ。「でも、おいしー」

 表情が豊かだな、と改めて思った。それから他のグループにいるハルを見やった。彼女はすでにメンバーと打ち解けているようで、歓談しながら楽しそうに笑顔を浮かべている。

 もう少ししたら僕から話し掛けに行こうかな、と考えた瞬間、ハルと目が合った。

 それが、なにかしらの合図に思われたのかもしれない。

 ハルが片手に紙皿を持ったまま、瀬名のグループへ向かってきた。白のワンピースを着ているからか、もしくは彼女の雰囲気がそう感じさせたのかは定かではないけれど、歩み寄って来る彼女の姿は映画のワンシーンのようだった──なにをしても華になるとは彼女みたいなことを言うのだろう。

気づかぬふりで待っていると「あの」と、瑞樹との間を割って声が聴こえた。間違いなく、ハルのものだった。


「君がセナくん、かな?」ハルが続ける。「よろしくね」


 飴玉みたいな声だな、と思った。

 澄んでいて甘い、アルトに近いソプラノの声。


「こちらこそ、ハルさん」瀬名は柔和に微笑んだ。

「呼び捨てでいいよ、ニックネームなんだから。それに一個しか歳が違わない。他になにか、さん付けで呼ばなくちゃいけない理由が、ある?」


 ハルが小さく首を傾げて、悪戯を企む少女のように口角を上げた。

 

 ──なるほど。


 瑞樹が言いたかった、ハルがどういう感じの人なのか、今のやり取りだけでなんとなく理解できた気がする。言葉で言い表すのは、確かに難しい。


「じゃあ、お言葉に甘えて。丁寧語も、ダメな感じですかね」

「よくわかっているね。私としても、その方が接しやすくて助かるな」


 近くで見ると、ワンピースに負けないくらいの肌の白さだった。病的とまではいかないものの、とても白い。透けて血管が見えてしまうのではないだろうか。


「私、君に会うの、楽しみにしていたんだ」ハルが続ける。「コミュニティに入るために、アユムくんと直接会ったんだ、こないだ。その時に君の話を彼から聴いたの」


 少しだけ、肺が収縮した気がした。


「僕の、話」

 彼女は頷いた。「ごめんね、本人がいないところで。でも重要なことだったから」


 今日中にその話をするとは思っていたけれど、まさかこんなすぐに切り出されるとは予想していなかった。ハルが僅かに声のトーンを下げた。


「セナくんも、性欲がないんでしょう?」


 ジュースを飲んでなくてよかったと瀬名は心底思った。きっと、吹き出していただろうから。


「だいぶストレートな言い方するね」笑って、動揺を誤魔化した。「そうなんだけどさ」

「無性愛って言うんでしょう? 私も自分で調べたの」


 確かに、どうしようもなく、無性愛者であることに違いないのだけれど、性欲がないイコール無性愛と決めつけてはならない。性欲がないとひと言で表しても、掘り下げれば区分の行き先が異なってくる場合もある──無性愛、非性愛、無性欲など。

 よく、無性愛と無性欲を混同されがちである。両者が酷似しているのは否めないけれど、無性愛は精神的な面に焦点を当て、無性欲はもっと医学的なカテゴリーだと考えてもらえれば、判別しやすいかもしれない。そういえば無性愛と非性愛を、米国では一緒に考えていると瀬名は見聞したことがあった。

 ちなみに、とハルが訊いていた。


「セナくんは恋するタイプ?」

「どうだろう」瀬名は箸でつまんだピーマンを見つめた。「僕、昔から好きとか嫌いっていうのが、よくわからないんだ。まだ恋をしたことがないだけなのかもしれないけど」

「なら、いまのところわかっているのは、性欲がないってことなんだ」

「まあ、そうだね」


 ハルは明け透けに「性欲」という単語を口にする。瀬名はそこにまだ、若干の抵抗があった。それは思春期だから、という理由もあるけれど、異性相手という方が要因としては大きい。抵抗、より、配慮という表現が正しいかもしれない。


「ハルは、どうなの?」

「私は恋愛したこと、あるよ」


 即答だった。

 瀬名が言うよりも先に、彼女は続ける。


「きっと、基準みたいのが私の中にはあるんだよね」

「基準?」瀬名は訊き返した。

「そう。あの人と旅行に行ってみたいなとか、一緒に映画観に行ったりしたいなとか。エッチなことを除いた、そういう恋人らしいことをしてみたいなって思える基準。その基準を超えた人が、たぶん、私で言う恋愛感情の好き、なんだと思う」


 そういう考えもあるのか、と瀬名は胸中で得心する。

 実際のところ、ハルほどの美貌であれば男に言い寄ってこられる頻度は高いように思える。恋愛においては、こと欠かないだろう。ただし、愛は愛でもプラトニックな愛に限られてくるだろうが。


「セナくんも、少し打算的な考えを持てるようになればいいんじゃないかな?」

「打算的」まさか同じ高校生からそんな言葉が出てくるとは思ってもいなかった。「そうなのかもしれないけど、もう打算的な恋愛は勘弁だよ」

「もうってことは、したことあるんだ?」

「まあ、一回だけ」


 瀬名は中学生の頃に一度、ハルで言うところの打算的な恋愛を経験済みだ。相手を泣かせる結末に終わってしまったのは、打算的な恋愛であるのなら不可避の悲劇だろう。あれを恋愛と呼べるのか定かではないけれど、好き嫌い云々を考慮しなくても、自分のために誰かを傷つける手段は、できることなら避けたい。


「恋愛しなくたって、別に死ぬ危険性が高まるってわけじゃないし、将来孤独死するかもしれない可能性が極めて高まるだけだよ」

「自分は一生、誰も好きになれず、誰とも家庭をはぐくめずに死ぬって思っているの?」

 ややあって、瀬名は小さく頷いた。

「そういう人生なんだって、とうに諦めてる」

「それは違うと思うな」ハルがコンロから肉を取り上げた。まだ生っぽい肉だ。「セナくんはいささか卑屈で、自己犠牲的で、諦めているって思い込んでいるだけじゃない? 諦めるには早急すぎるよ」

「そうかな?」

「本当は諦めているんじゃなくて、我慢しているんでしょう?」


 瀬名は箸の動きを止めた。ハルは構わず半生の肉を頬張る。彼女の一挙一動が長い年月かけて鍛錬されているように見える。良家の出身と言われてもすんなり納得できるくらいに。


「僕が諦めてるって?」

「ええ。私にはそう見える。ね、アオイちゃん」


 ハルがずっと緘口していた瑞樹に共感を求めた。


「そうかも。瀬名は我慢してると思う」

「アオイまで、僕がそういう風に見えるの?」

「うん。たぶん、どうしても頭の中に例の女の子に対する罪悪感みたいなのがこびり付いちゃってるんじゃないかな」

「例の女の子?」ハルが訊き返した。 

「さっきハルちゃんと瀬名が言ってた話にあった、瀬名の虚ろな恋人だよ。たしか中学生のときだよね。瀬名は優しすぎるから、その女の子が忘れられないんだって」

「ちょっと待って、アオイ」間髪入れず、瀬名は指摘する。「その言い方は、語弊がある。まるで僕が純情な乙女くらい、女々しいみたいじゃないか」

「優しい男の人と女々しい男の人も、そんなに変わらないよ」ケタケタとからかうように瑞樹が笑う。「まあ、詰まるところ瀬名は優しすぎるって話なんだよね。だから、もう誰も好きにならないよう無意識に自制してるのかも」


 そうだろうか。瀬名自身、我慢しているという感覚も、自覚もない。瑞樹の言うように、たとえ我慢と諦めを履き違えていたとしても、その両者に明確な差異があるのだろうか。どちらも悲観的である姿勢に変わりない。


「仮に僕が我慢しているとして、それでなにか変わるのかな」

「全然違う」ハルに指摘される。「諦めているなら望みはないけれど、我慢なんてものはエゴに等しいの。周りが求めているのに、それを自ら拒んでいる」

「つまり?」

「セナくんにはまだまだ機会があるってこと。誰かを好きになれるチャンスがあるの」


 そう言われてもピンとくるものはなかった。瀬名にとって「好き」というものは、あまりに抽象的過ぎるのだ。白と黒、と言われて連想するのはパンダかもしれないし、オセロかもしれないし、囲碁かもしれない。人によって異なるものではあるけれど、もっと根本的な部分──そもそも好きという概念を理解できてない以上、瀬名が誰かに好意を寄せることなんて、あり得ない。白と黒でも色自体を理解できていなければ、連想することもできないのだ。


「どうだろうね」他人事みたいに、瀬名は呟いた。

 ハルが瀬名の顔を覗きこむように首を傾けた。「セナくんはやっぱり興味ないのかな、恋愛に」

「ないな。断言するよ」

「勿体ない。せっかくの青春が輝かずに終わってしまう」

「そんなことないよ。現に青春を謳歌してる。性に悩みがある同年代の人たちが集まって、仲良くバーベキューしてる。疑いようもない青春じゃない?」


 虚を突かれたようにハルは一瞬だけ目を瞬かせて硬直した。それから綻びを見せて、小さく微笑んだ。


「たしかに、せいしゅんね」ハルの言い方は、どこかずれていた。「青い春じゃなくて、きっと、私たちは性の旬を過ごしている」

「僕たちならではのセイシュンってことか」


 何をもってして青春と呼ぶのか。その基準は人の性と同じく、人によるところだろう。


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