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君がいた虹の夏に  作者: ほしがひかる
SMクラブ
5/10


「一過性の性的倒錯(せいてきとうさく)?」


 瀬名はそう口にした。

 テーブル越しに座るアユムが頷いた。


「よくある話なんだ。ホルモンバランスが関係しているらしい」


 彼は市外の高校に通っている、瀬名と同じ高校二年生であり、『SMクラブ』の設立者でもある。出会い頭、自らがバイセクシュアルだと明らかにした。精悍な顔立ちをしていて、初めは信じられなかったのが本音だった。

 土曜日の今日、会合に選ばれた場所は取り留めのないファミレスだった。てっきりどこかの公共施設──市営の図書館や公民館を借りて仰々しく催されるものだと瀬名は思っていた。そういう日もあるらしいが、今日に関しては本当に集まって雑談したり、近場のショッピングモールへ行ったりするだけ、つまりコミュニティのメンバーで遊ぶという話だったのだ。参加者は瀬名を含め、全員同い年の四人。瑞樹とアユム、あとハジメという女子がひとり。どうやらコミュニティ内では仮名やハンドルネームが基本となるらしかったが、瀬名はセナという名前のまま自己紹介した。

 初見で感じた所、やはり性的少数者とは思えないような一般の、自分と同じ学生だった。

 アユムが続ける。


「中学生や高校生で、自分が同性愛者なんじゃないかと懐疑する人は意外と多いんだ。ある男の子は女子が恋愛対象であるのは確かだけど、なぜか身近な男子にも恋と似たような感情を抱いてしまう。それで同性愛なのではないかと不安になるんだ」


 瀬名は理解を示すように数回、小さく頷いた。


「でも一過性ってことは一時的なもので、思春期を過ぎればヘテロセクシュアル──異性愛者に戻るってこと?」

「そう。けれど、だからこそ当事者の周囲にいる人の理解度が低くなってしまうんだ。本当の同性愛者や両性愛者がアウティングしたとしても、一時的なものだと思われてしまいがちになる。結果、精神的な負荷に繋がってしまう」


 コミュニティの設立者ということだけあって、瀬名が事前に調べた性的少数者の情報を圧倒的に凌駕する情報量を、アユムは備えていた。

 だけどなあ、と言って彼はソファに背中を預けた。


「俺も初めて対面したよ、無性愛の人とは」

「いままで、コミュニティにいなかったの?」

 アユムは首を振った。「いなかった。うちのコミュニティのメンバーは高校生限定のセクマイ。みんな歳が近いっていう安心感と引き換えに、どうしても参加者の幅が狭まるんだ」


 話を聴けばLGBTのひと通りはいたが、瀬名のような無性愛者はいなかったという。


「一応、無性愛者についても調べたことはあるけどな」アユムがドリンクバーの麦茶を飲んで言った。「無性愛者は定義が曖昧っていうのは、アオイから聞いたんだっけ?」


 瀬名は頷くのと同時に、瑞樹を見やった。彼女も小動物みたいに頷いている。


「自認的な性的指向だからなんとかって」

「だな。無性愛者は自認しないと、どうしようもない。でもセナの話を聴いてる限りじゃあ、無性愛者にカテゴライズしていいかもな」


 自己紹介の際に、瀬名は自分の好き嫌いがない性格、中学の一件を簡潔にまとめて話しておいた。


「一口に無性愛って言ってもいろんな形があるんだ」アユムは続けた。「恋愛感情を持つ人もいるし、恋愛感情がない人もいる。共通してるのは性的関心がないってことくらいだな。そこんところはセナも同じだろ?」

「そうだね。あまりっていうか、ほとんどないと思う。友達がそういう話してても興味が湧かなくて会話に混ざれない。いつも話を振られても適当にやり過ごしてる」


 サッカー部へNBAの話題を振るように、文系にアインシュタイン方程式について訊くように。瀬名にとってはそれくらい関心がない、というより、自分とは無縁なものだと考え切ってきた。


「そうか。息苦しかった、だろう?」

「いや、案外そうでもないよ、僕の場合はね」

「そうなのか」

「うん。こないだ友達がバイト先の人に一目惚れしたっていう恋愛相談されたけど、ああいう──なんだろう、日常が楽しくなるみたいなことは、ちょっとうらやましいって思うけど」


 学校へ通う日々が退屈でしようがない、というのが正直なところだ。


「急な質問なんだけど」


 瀬名とアユムの会話に入ってきたのは、アユムと並んで座るハジメだ。ベリーショートの髪型で、化粧をまったくしていない、FtM──体は女性、心は男性のトランスジェンダー。瀬名と同じ市内の女子校に通っているらしい。


「セナくんは、ぼくたちセクマイをどれくらい理解してる?」


 理解、と瀬名は復唱して首を傾げた。


「ごめん、言葉が足りなかった。んー、セクマイについてどれくらいの知識を備えてる? 今日はアオイに誘われてお試しで来てみた、っていう感じなんだろう?」

「うん」

「もし、だよ。セナくんがぼくらのコミュニティに入るってなったら、もちろん歓迎する。けど、参入する前にある程度は知っていてほしいんだ」

「ハジメ」アユムが発した。「やめとこうぜ。俺が言えた義理じゃねえけど、堅苦しくなる」

「でも」


 ハジメが言いたいことはわかる。瀬名は瑞樹に同性愛者であることをアウティングされた日から連日で図書館へ通い、性同一性障害や同性愛者がどういったものなのか調べた。無論、いまのような事態を想定していたからだ。


「僕が知ってるのは」瀬名は切り出した。「本から得た情報だけ。ようは紙媒体、直接的には知らない。だから、現実のLGBTの人たちがどういう人なのかよく知らない。もしかしたらハジメ、くんが()(ねん)しているようなことを口走ったりしちゃうかもしれない」

「呼び捨てでいいよ」ハジメが言った。「でも前もって調べてくれたんだ」

「一応ね。僕自身のことも調べたかったし」


 どちらかと言えば、無性愛を主に調べたかった。しかし自宅から最寄りの小さな図書館には、無性愛に関する書籍が蔵書されていなかった。あったとしても、LGBTの本に心もとないくらいに載っているだけだった。

 それは無性愛が「多様な性」のカテゴリーに区分されるか明白でないからだろう。同性愛や両性愛、トランスジェンダーの人たちは性的指向の矢印があるのに対し、無性愛は多義的であるため、そこの定義さえも覚束(おぼつか)ないのだ。

 ハジメがぎこちない笑みを浮かべた。


「悪いね、なんか空気を変にしちゃって」

「大丈夫。むしろそうやって言ってくれるほうが助かるかな。あまり勘がいいほうじゃないから」


 ふとハジメが右手を差し出してきた。瀬名も右手を伸ばして彼の手をしっかり握った。


「ハジメはなにかスポーツとか、やってるの?」


 握手したまま訊ねると、ハジメの目が点になった。


「よくわかったね。でも、正しくはやってた」

「なにやってたの?」


 ハジメが手を放して、両手で棒状のものを握って構えるふりをした。

「剣道。知ってる? 剣道の防具って、もうなんとも言えないにおいがするんだよ」


 彼は鼻をつまみながら顔の前で手を反復させた。


「どうしてやめてしまったの?」

「足やっちゃって。剣道ってどうしても上半身が一番大事に思われがちだけど、実は下半身、足の運び方がうまくできていないと上達はしないんだ。ぼくは文字通り支えを負傷しちゃったのさ」


 初耳、と瑞樹。


「ハジメが剣道やってたなんて知らなかった」

「まあ言ってなかったからね」

「やってるところ見たかったなー」


 それにしても、とハジメが瀬名を見た。


「なんで、ぼくがスポーツやってるってわかったの?」

 瀬名は微笑んだ。「そりゃあ、高校生だからなにかしらの部活動はやってるってのもあったし、強いて言えば手のひらかな」


 ハジメと握手したとき、その瞬間まで瀬名は彼を「彼女」として見ている部分があった。視覚的な情報に負けてそう思っていたが、彼の手はおよそ高校生の女の手のひらとは思えない堅さがあった。

 へえ、とハジメが自分の手をしげしげ見つめていた。


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