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君がいた虹の夏に  作者: ほしがひかる
one more gray
10/10

 今年の夏は冷夏、というのは今月の中旬までの話だった。冷房要らずの上坂家の生活にもようやくクーラーが必要になった。おそらく七月から鳴いていただろう蝉の声がここにきて、本格的な夏らしさと鬱陶しさを思い出させる。一カ月もしないうちに消えてしまうかもしれない夏の風物詩の訪れは、あまりに遅かった。

 瀬名は冷房の効いた居間のソファに寝そべっていた。高校の課題は今月の中ごろには終わらせていた。加えてバイトもしていないため、持てあます時間に悩んでいる最中である。バーベキュー以来、コミュニティの活動はなかった。メンバーも、コミュニティを取り仕切るリーダーも全員が高校生だからだろう、来年は受験生──ハルを除いて──ということもあって、悠々自適に過ごせる最後の夏をみんなそれぞれに楽しんでいるのだ。

 それにしても暇というのは案外つらい。欲しい時になくて、要らない時にある。世の常のようなもので、誰にも文句は言えない。だから瀬名もなんとかして予定を作ろうとしていた。

 いま個別に連絡をやり取りしているのは三人だ。クラスメイトの船越、瑞樹、そしてハルだった。ハルとはバーベキューをした日に連絡先を交換した。彼女の方から申し込んできたのだ。数少ない同一の性的指向者として、それは必然的な交換だった。もちろん瀬名も快諾して、その場で交換した。

 天井に掲げた携帯電話がクーラーの冷風に寒さを覚えたみたいに、短い震えを二回繰り返した。船越からだった。


『明日なら空いてっから、別にいいよ!』


 数分前に明日遊べないかという内容のメッセージを船越に送った、その返信だ。

 とりあえず、明日は暇にならずに済む。退廃的生活を過ごすと身体的にも精神的にも良くない上に馬鹿になる、という噂を瀬名はどこかで耳にしたことがあった。馬鹿にはなりたくない。

 船越へ返信を打っている最中、また携帯電話が振動した。どうやら船越ではなく、ハルからだ。意外に彼女は返信が早い。瑞樹も早いだろうと思っていたが、彼女は連絡を確認する習慣が常人と比べて乏しく、遅い時は半日も返信が来ない日がある。いい意味でありふれた女子高生の瑞樹より、深窓の令嬢気質のあるハルの方がメッセージの返信が早い。なんとなく、少しだけおかしく思えた。人は見かけによらないものだ。

 船越へメッセージを送ってから、ハルのメッセージを確認した。


『なら、明日に会えないかしら?』


 おっと、と瀬名は上半身を起こした。ダメもとで受験生のハルにも「暇な日、ないかな」と訊いたのだが、まさかのダブルブッキングだ。普通ならここでハルの方を断るというのが常識的だろう。なにしろ船越を誘ったのは瀬名からなのだ。しかし、相手の優先順位というものがある。それは社会に出ればありきたりなことで、部下や同期よりも上司、といったものだろう。でもハルは上司ではない──ひとつ年上ではあるけれど。ハルの場合はまた異なった、優先すべき相手だ。

 瀬名の唸り声は冷房の稼働音にかき消される。冷房が吐く冷気のように、瀬名も口から吐息を漏らした。そして携帯電話の液晶画面を指でなぞり始める。メッセージの送信先は、船越だ。


『ごめん、明日予定があったの忘れてた』


 圭太、申し訳ない。胸の中でそう呟いた。間もなくして圭太から返信が来た。


『えー、なんだよ。せっかく俺のバイト先に行って、四季さんを拝ませてやろうと思ってたのに』


 誰もいない居間で、瀬名は小さく笑みを浮かべる。船越はどうやら、未だに四季さんとやらの本名を知らずにいるようだ。あるいは聞き出せたのかもしれないけれど、四季というニックネームが彼の中でも定着してしまったのかもしれない。まあ、それはいいとして、再度謝罪のメッセージを船越へ送った。それからハルへ返信する。


『わかった。じゃあどうしようか』


 送って、瀬名はしまったな、と思った。男女でどこかへ出かける場合、男の方が待ち合わせ場所や時間を決めるのが定石なのだろう。けど、そこらへんの意識が瀬名には欠けている。それが無性愛者だからなのか、もしくは無性愛者じゃなかったとしても生来欠損している気配りなのかもしれない。たぶん、後者の気がした。

 座卓に置いていたウーロン茶が入ったグラスを手に取って口内と喉を潤すと、ハルから電話が来た。メッセージとは違う、長いバイブレーションがそれを示していた。通話に迷いがあるわけでもないのに、瀬名は逡巡してから通話ボタンをスライドした。


「もしもし」ハルに似た声が聴こえた。


 受話口からハルの声を聴くのは初めてだった。バーベキュー以来ということもあったが、想像していた彼女の声と若干の差異が感じられる。進化した文明の利器とは言え、彼女の美声を変えることなく瀬名に伝えるというのは不可能だったようだ。


「もしもし」と瀬名も呼応する。「久しぶり」

「連絡ならほとんど毎日取っていたじゃない。久しくはないと思う」

「それでもこうして会話するのは初めて会った日以来だよ」


 メッセージはある程度の時間を置かなければ、連絡し合えない。電話はその瞬間で連絡が可能だ。こういった、同じ時を生きている、という一節が瀬名の脳裏にはチラつかない。


「それにしても、セナくんからデートのお誘いがあるなんて思ってもみなかった」

「あれはデートの誘いになるのかな。そもそも、デートになるの?」

「男子と女子がふたりきりで出かけるなら、それはもうデート以外のなにものでもないと思うけれど」


 もしかするとハルは男とふたりで出かけることに抵抗があったりするのだろうか。瀬名はそう思い至った。だとすれば、他のコミュニティメンバーを誘った方がいいかもしれない。瑞樹から返信はないものの、彼女なら空いているかもしれない。

 他に誰か誘おうか、と瀬名が伝えると、


「ううん。私はいいよ、ふたりきりで」電話越しに彼女の息を漏らすような笑い声が聞こえた。「人数が増えれば増えるほど自由行動しづらくなっちゃうもの」

「ああ、なるほど」と瀬名は得心した。「ハルは、どこか行きたいところ、ある? 受験生だからあまり長い時間、それに遠出は難しいだろうけど」

 またハルが笑う声が聴こえた。「大丈夫、そんな心配しなくても。でも、勉強するってわけじゃないけれど、図書館へ行きたいな」

「図書館?」意外な行き先で、瀬名は僅かに声が上ずった。「読書に耽るのかな」

「それもいいけれど私、図書館が好きなの。あのひっそりとした空間でみんな息を潜むように静かにしているのに、みんなそれぞれの世界に没入している。頭の中はロックが流れているみたいに沢山の情報が行き交っている。それに感化されて、私も現実から離れる。その乖離(かいり)を味わいたいの」

「なんだか、共感できそうで共感しがたい趣味だ」瀬名は苦笑した。「じゃあ明日、図書館に行こう」


 そういえばハルはどこに住んでいるのだろう? ふと思い至って、そのまま訊ねた。


「教えてなかったかな」と瑞樹が言う。「セナくんと同じ市だよ」

「えっ」素っ頓狂な声が出た。「それ、本当?」

「ええ。だから、住んでいる場所もそう遠くはないと思う」


 瀬名はそれから確認するように、市内にあるスーパーや学校名、最寄り駅、市立図書館の場所を言うと、「わかる。あそこのパチンコ店のすぐそばだよね」「なくなった駅前のコンビニ、あったときは便利だったのに」とハルが答えた。なにも疑っていたわけじゃないし、疑う必要性もなかったけれど、彼女がたしかに自分と同じ市内に住んでいることは確認できた。ハルが女子校に通っているというのは聞いたことがあったけれど、その学校も瀬名の家の最寄りのバス停から数分の場所にある女子校だった。偏差値が高く、なにかとレベルが高いという話を恋愛脳の船越から聞かされていた。一体なんのレベルなのか、あえて言うまでもない。

 ともかく、明日は最初に市内の図書館へ集合することとなった。


「じゃあ、また明日」瀬名が言った。

「ええ。また明日」


 ハルが応えて、通話は終了した。

 まだ通話画面の携帯電話を眺めながら、瀬名は思う。

 ──圭太が知ったら、怒りそうだ。

 船越にもう一度、謝っておこう。

 携帯電話を座卓へ置いてソファに横たわり、瀬名は昼下がりの()(どろ)みへ入った。

 根拠はない。

 けれど、いい夢が見られそうな気がした。

 あくまで「気がした」だけだ。


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