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君がいた虹の夏に  作者: ほしがひかる
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 上坂(かみさか)()()の青春は、まったく水色をしていなかった。

 曇り空みたいな、かなり淀んだ色だった。

 でもそのことに後悔という感情が添うことはなかった。

 あくまで輝かしい高校生活だったと自認している。

 思えば到底(とうてい)ありふれているとは言えない三年間だった。いくつかの出会いと別れ、珍奇な人たちをこの目で目の当たりにしてきた。あの「性旬(せいしゆん)」がなければ、上坂瀬名は上坂瀬名というアイデンティティを得られないまま、この先何十年も陰鬱(いんうつ)な人生を送っていたことに間違いない。

 今日の空に浮かぶ虹は、あの日を想起させる。

 瀬名は虹を見上げ、祈るように、胸中で呟く。

 ──願わくは、自分に変化を与えてくれた彼女に幸せが訪れていますように。


          *


「アレキサンダーのあんたい?」


 と瀬名は十八年の人生で初めて耳にした言葉を繰り返した。


「そう」隣の少女は頷いて続ける。「暗い帯って書いて、暗帯(あんたい)。もしくはアレキサンダーの帯って呼ぶの。ほら、あれ」


 雨宿りしていた書店の店先から頭を覗かせ、彼女が指した方角へ視線をやった。雲の切れ目から深みを増した青色が顔を見せる東の空にふたつのアーチが顕現(けんげん)している。巨大な虹だ。先ほどまで頭上に停滞していた雨雲が通り過ぎ、置き土産としてふたつの虹を見せてくれた。


「内側にある、少し小さめの濃い虹を(しゆ)(こう)」彼女が続ける。「主虹の外側にある、主虹よりも大きい目で淡い虹を副虹(ふくこう)っていうの」

「小さいのに〝主〟なんだ」

「そっちの方がハッキリと見えるからね。そして、主虹と副虹のあいだにある領域、わかる?」


 瀬名は頷いた。ようやく暗帯という言葉の意味が理解できた。とにかく言葉の通りなのだ。なぜか、主虹と副虹の狭間に見える半円帯状の空が暗く見える。まるでそこだけ暗雲でも存在しているかのようだ。主虹の内側に見える空はとても明るく見えるのに。

 相対的に暗く見えてしまうのだろうか、と瀬名が抱いた疑問を察したように彼女が継続した。


「私もあまり詳しくはわからないんだけど、あのあいだの部分だけは大気中の水滴の光の反射がないんだって。だから暗く見えちゃう。けれどあの暗帯に見える空の色は、本来の空の色らしいよ」


 まあ、理屈はわかった。


「でも、瑞樹。なんでアレキサンダーなんだろう」


 瀬名が指摘すると彼女──瑞樹みずき(あおい)は小さく声を上げた。そこを突かれるとは予期していなかったのだろう。


「最初に発見した人がそういう名前だった、とか?」言って、首を傾げた。

「知らないんだ」言って、笑った。

「さすがに私もそこを訊かれるなんて思ってなかったよ。勉強不足でした。サド──意地悪だなぁ、瀬名は」


 わざわざ言い直さなくても、と瀬名は胸中で苦笑した。だから瑞樹の言う通り、意地悪のつもりで、おどけて言った。


「僕はサドスティックでもマゾスティックでもないよ」──それ以前の問題だ。


 なにせ自分の性的嗜好(せいてきしこう)の皆無こそが、瑞樹との接点を持つ(たね)となったのだから。

 返答がなくて瀬名は隣を見やった。瑞樹は自責の念に駆られているような、少し憂いを含んだ表情をしていた。

 冗談──いや、あらゆる性的嗜好がないのは本当なのだけど──のつもりだった一言が彼女をへこませてしまったのかもしれない。どうして自分の問題なのに瑞樹がここまで反応するのか、わからなかった。

 とりあえず、だ。


「ごめん、言っちゃ悪い冗談だった」


 とりあえず、瀬名は謝罪の言葉を口にした。苦笑すると、瑞樹も同じようにぎこちない微笑みを浮かべた。何気ない気まずさに居た堪れなくなり、先ほどの会話を掘り返す。


「アレキサンダーの暗帯は、まるで僕らみたいな人たちを明確に示唆しているよね」

「どういうこと?」


 瑞樹が僅かに首を傾げる。同時にシフォンショートの髪先が彼女の肩にパサリと落ち着いた。


「虹と虹のあいだにあるのは暗くてどんよりした色である、ということ。世間一般からすれば、そういう風に思われてるんだよ」

「やっぱり」瑞樹は目を伏せた。「そう、だよね。ましてやここはヨーロッパじゃないし、カナダでもない。私みたいな存在が認められてない、日本だもん」


 気まずさを晴らすどころか、かえって一層、沈殿した泥みたいな空気になってしまった。瀬名は自分の女心の汲み取りの不器用さを認知していたけれど、こういう時はその不器用さがいささか恨めしく思える。普段はあまり、というか滅多に気にしないのに。

 でもさ、と彼女が続けた。


「ようは法律上の問題であって、(せき)を入れなければいい話なんだと思うんだ、私は。少なくとも、そうやって同棲している人は日本にもいるわけだし」

「そうだね」瀬名は頷く。「結婚っていうのは愛の象徴ではない。あれは法の力が及ぶことになるっていうだけの話であって、結婚イコール永遠の愛を誓うっていうわけでもない。揺るぎない、たしかな愛をお互いが認め合ってるなら別に籍を入れなくなっていいんだ。同じ屋根の下で一生、ともに過ごすだけでいいんだよ、きっと」


 現実問題、日本は恋愛に関して世知辛い国である。欧州のように寛大さを持ち合わせていない。おそらく、もっとグローバルな社会になっていけばこの国も変化を許容できるだけのゆとりが生まれてくるに違いない。しかしそれでは遅すぎるのだ──まさにいま、俗に言う青春時代を過ごしている瑞樹のような人にとっては。

 さて、と瑞樹が切り替え、切り出した。


「そろそろ行こうよ、私たちの居場所に。みんなが待ってる」


 瀬名は頷いて、書店から離れた。

 ──僕らがこんな話をできるのは、きっと僕らのあいだに恋愛感情がないからだ。

 そう、思っていた。


前作の「なきものねだり」を読んでくださった方、お初の方、今作を読んでいただきありがとうございます。仕事の都合上、小説更新のスパンが空いてしまうと思われますが、どうかご理解のほどよろしくお願いします。

性的少数者セクシュアルマイノリティに焦点を当てた話となります。

とてもデリケートな上に複雑な話かと思われます。

それでもどうか、最後までお付き合いいただければ幸いです。


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