八日目
水島典子氏は『お友達も一緒に行ってくれて構わない』と発言した。
「行ってやろうじゃん」
コウタは受けて立つ気満々で
「行かないとわからないことだらけだから」
龍之介も裏野ドリームランドへ同行してくれることになった。
「ありがとう、アッキー君」
しずりのお礼に、彼は「イイエ」と答えて明後日の方角を向いていた。
裏野ドリームランドへ入る前、龍之介は大きな白い和蝋燭を『家にあった』という古い手燭に立てた。
「もし何か普段と違うことを感じたら俺に言って。寒いとかトイレに行きたいとか、そんなことでも何でも。特にヒナ、お前は絶対この火から離れるな」
手燭の火を渡されたコウタは、責任の重さとその他諸々で震えている。
園内へ入り、三人は懐中電灯と蝋燭を手に一番奥にあるメリーゴーラウンドを目指した。夏の夜空は晴れていて、黒い草むらから虫の声が盛大に響いている。
「メリーゴーラウンドを動かす時間は、指示された?」
数珠を握った龍之介が、前を見たまましずりに訊いてきた。
「特に決まってないわ。でも出発時間や帰りのバスを考えると、大体いつも同じ時刻になっちゃうの」
「日時も計算づくかな……」
龍之介の見立てでは、メリーゴーラウンドの稼動日や時刻も理由があるだろうとのこと。
そうしてメリーゴーラウンドへ到着し、しずりが手順通りに操作をして動き出した白馬と馬車。七色に煌めき走り出した回転木馬を運転室で見つめていた龍之介が、口を開いた。
「止めよう。一回メリーゴーラウンド止めて」
突然の停止指示に、しずりは急いで機械を止める。シュウン……と情けない機械音を残し、回転木馬は止まった。カラフルな電燈の灯りが、煌々と周囲を照らしている。
「何でこんなもん作ったんだ」
龍之介は痛むのか頭を抱えていた。
「どうなっているの……? コウタ君は何か見える?」
「わかんない。てかアッキー、寒くなってきた。温度上げて」
「エアコンじゃねぇんだよ」
二の腕を擦るコウタの頼みに、エアコン扱いされた龍之介が睨んで返す。
「まず……キミは本来なら、完全に『見えない』タイプの人なんだと思う」
運転室を囲む形に足元へ新しい蝋燭を六本並べて、龍之介が話しだした。
『キミ』とはしずりのことだった。
「しずりん『見えてる』じゃん。ドリームキャッスルで生首とか」
「レッドエリアだからな……」
蝋燭を持つコウタと龍之介の話しを、しずりは真ん中で聞いている。
「奥さんの部屋にある『ポスター』は、試験紙みたいなものだろう。『見る』素質があるか調べるための。キミはポスターに何も見えなかった。だから採用された」
「奥様が私に『大丈夫』と言い続けていたのは、それが根拠?」
龍之介の言葉にしずりが首を傾げると、コウタも続いた。
「『見えない』人なら安全なのか?」
「違う、逆に危ない。危険性がわからないから」
「へ? じゃあ何で『見えない』タイプ選んで雇うんだよ?」
「『見える』奴は逃げるからじゃねぇの」
極自然に言われ、しずりもコウタも「あ……」と黙る。
「『見えない』人は危険を察知出来ない場合も多い。大体の人は“ここに居ると危険”と、感じ取ることくらいは出来る。でも本気で『見えない』人は何かが近くにいても見過ごしてしまったり、気のせいだと思って夢を忘れるみたいに忘れてしまう」
「……そうだった?」
コウタに顔を覗き込まれ、「ええ」としずりは頷く。たしかにしずりは体内に恐怖が残らない。たとえその瞬間は『怖い』と思ったとしても。
「たとえば生まれつき『痛覚』が機能しない人がいるだろ。出血や骨折をしていても、ダメージに気付けなくて死ぬことがある。それと似てる。今までもパートやバイトが何人も辞めてるんだよな? 雇われていた人たちは異常を認識していなかっただろうが、どこかでダメージは受けていたと思う。でも本人は何故自分が消耗していくのか、わからない。そうやってどんどん使い捨ててたんだ」
喋る傍ら、龍之介は並べた蝋燭へ順番に火を灯していく。全ての蝋燭を灯した後、龍之介の合図で再びメリーゴーラウンドは回転を始めた。こうして4回目まで作業は恙なく終了し、本日最後となる5回目の稼動確認中。
「あの……ちょっと話しが変わるんだけどね」
しずりは小さく手を上げる。
「この前話した『裏野郷土史』に載っていた昔の地図と、今の地図と重ねてみたの。そうしたら『お寺』のあった場所の真上辺りが、ちょうどドリームキャッスルの位置で。『髑髏塚』の真上辺りに、このメリーゴーラウンドがあるの」
説明したが、直接見た方がわかりやすいのだから本を持ってくれば良かったと思った。
「俺も本の作者名なんかを手がかりに調べたら、土地の伝承に関する資料があって……」
言いかけた龍之介が、闇に沈む真っ暗な茂みの方へ目を向けた。
「来た」
ここから出ないで、と運転室の中へ導かれる。
「キミ……見える?」
しずりへ尋ねた。
「ううん、何も?」
「あれも見えないのか……ヒナは?」
「あの……刀振り回してる、くっそ足の短い、真っ黒な血みどろのおっさん?」
「お前は見えるんだな? 適応能力高いな。やっぱ素質あるんじゃないのか」
「ぜってーヤだ!」
怯えた顔で拒否するコウタには見えている様子。
「何アレ?」
「修羅……なんて言うと、平家の公達に悪いか。鬼畜とでも言っとく」
『鬼畜』を追ってコウタと龍之介の視線がメリーゴーラウンドの前を行きつ戻りつしているのを、しずりは眺めていた。
「昔この辺りに住んでいた『無間』ていう侍で、寺の名前の由来になったヒト。でも本名じゃなくて渾名だろうな」
龍之介が言った。そういった筋の情報を集める場所があるそうで、そこの資料から辿りついたという。
「あいつはこの辺を仕切っていた武士で、罪人を裁いたり処刑する役割も特別に任されていた。最初の頃は罪人を斬っていた。それが段々、無関係の人間まで殺し始めて、千人以上殺したってさ」
当時のこの地域の規模で千人という数は全滅に等しい。残虐ぶりを誇張されたのだろう。しかし問題は数の大小ではなく
「いくら昔のヒトでもそれはダメだろ……何でそんなことしてんの?」
不幸せな話が嫌いなコウタが顔をしかめた。
「知るかよ。力で抑え込む恐怖支配が行き過ぎたか、快楽目的の猟奇殺人だったか……。どっちにしても異常だよ。やり口も酷過ぎる。通りすがりをいきなり斬り殺したり、言い掛かりの罪状で磔とか。反対者は幽閉して拷問。人間を攫ってきて一旦逃がして、それを追いかけて殺したり……狩猟感覚っていうか。メチャクチャだったんだよ。伝承だと無間は殺した人々の怨念で、祟られて死んだことになっていた。でも状況から考えて、地元民に殺されたと考える方が自然だろうな。そして無間に殺された人々と、無間を供養するために建てられたのが『無間寺』と『髑髏塚』」
寺の縁起を物語る。
「その無間さんが、お寺を撤去されたせいで出てきてしまったのかしら」
今度はしずりが尋ねた。
「いや、時代が古過ぎる。撤去のやり方が良くなかったにしても。あいつは亡霊としてもとっくに退場していて、本来なら地獄で彷徨っていたはず」
「じゃあ、どうしてここに?」
手の数珠を繰りながら喋っている龍之介を、行きがかり上見上げる格好になった。どうしてか彼はしずりと目が合うと、まるで百年も会ってなかった人に会ったみたいな顔になる。停止している龍之介の背中を、コウタが無言でバシンと叩いた。
「お、お盆の時期になると……『地獄の釜の蓋が開く』っていうの、知ってる?」
止まっていた人の時間が動き出し、軽い咳と一緒に声を吐き出す。
「そういう言葉があるの?」
しずりは問いで答えた。そちら方面に不案内なので興味深かった。
「それ、ばあちゃんから聞いたことあるよ。そっか。お盆で地獄の釜の蓋が開いたから、あのおっさんが出てきたのか」
運転室のドアに凭れてコウタが言う。
「蓋が開いたからだけじゃない。この回り灯籠は、稼動させることで何かの呪を唱えている。周辺の霊を呼び集めて、更にここの地縁と地脈も利用して、地獄にいた『無間』を呼んできているんだよ」
龍之介の言葉にコウタとしずりは顔を見合わせ、眩しく輝いているメリーゴーラウンドを眺めた。古びた綺麗な回転木馬が、亡者を集める装置だとは俄かに信じられないが。
「……とは言っても、無間を除けば集まってる殆どのヒトは無害だよ。人間は結構簡単に『迷う』から。冷蔵庫の食べ残しが気になったりだとか、そんなことで『迷う』。しかもお盆で帰ってくる人が多いんで増えるんだよな、このシーズン」
説明に「帰省ラッシュかよ」とコウタが突っ込んだ。
「こういうヒト達は特に思想信条も持ってないし、姿形も失っている。だから呪でこの土地の強烈な『過去』を、無抵抗に投射されてしまっているんだよ。プロジェクション・マッピングのスクリーンにされてるようなものかな。霊障は結果として生じているだけ。彼らに悪意は無い」
「てことは、元を正せばメリーゴーラウンドが全部悪いのか? ミラーハウスの『人格豹変』やドリームキャッスルの『悲鳴』も、子供がいなくなったのも?」
噂から想像してコウタが尋ねると、龍之介も頷く。
「子供は影響を強く受ける。これだけ雑霊が集まっていたら、憑依される子が発生して当たり前っていうか」
「それで迷子続発か」
「子供じゃなくても感度の高い人だと、影響を受けることはあったと思う。ミラーハウスの噂なんかは、そのパターンだろ。元々『鏡』は異界と繋がりやすいし。ジェットコースターの事故の話が色々あるのも、観覧車の声も、雑霊達の悪戯」
「アクアツアーは? 同じようなもの?」
続いたしずりの質問に、蝋燭の炎を見つめて龍之介が「うん」と答える。
「水は何でも溶け込んでしまう。水辺は『そういう』系が集まりやすいから……無間が川原で山ほど罪人の胴斬りをした思い出に、雑霊たちが反応して、ウロついていたんじゃないかと」
うっ……とコウタが身を竦ませる。
「そうなると……私が会った生首さんは、殺された被害者ご本人ではないのね?」
しずりが確かめると、龍之介がもう一度ゆっくり応じた。
「何百年も前に殺された人たちは長年供養されて、もういない。それに無間のおっさんにしても、無理して召喚されているというか……」
既にこの世とは別の場所へ収容されていた者が、浅ましい生前の姿を晒され彷徨っている。
「こんな場所で、どうして私は無事でいられたのかしら? 寒気も何も感じないし……鈍感?」
無事だったのは良いけれど、しずりは少々悩みたくなってきた。と、龍之介が宙を見つめて呟く。
「キミは異界に免疫がある」
「アッキー君、そんなことまでわかるの?」
彼が何でも出来る人だとはコウタに聞いていた。それにしても会うのは今日で僅か三度目。驚くしずりの眼差しを横顔に受けた途端、龍之介が全身ビクッと震えた。
「あ、いや、うん……そこら辺の体質的なものが、関係していそうな気がするけど、詳しくは、まだ不明です」
へどもど答えて、ぶんぶん頭を振っている。
「それより……俺にはこのメリーゴーラウンドの呪が何なのかわからないし、何より目的がわからない。さっきから試してるんだけど、呪が入り組み過ぎてて俺じゃ最深部まで読めないから……まぁ仕掛け自体はシンプルで、マニ車に近い。こんなもの作って、ここで呼び出せる最悪の鬼畜と雑霊を集めてどうする気か……問い質したところで水島さんは絶対に口を割りそうにないしな」
“何か”を唱え続けているメリーゴーラウンドについて、気を取り直した顔で改めて思案し始めた。
「奥様じゃ……ないかもしれない」
「え?」
「旦那様が亡くなった後、お屋敷に霊媒師かお坊さんか……そういう人が出入りしていた時期があったそうなの。お部屋の『ポスター』も、その人から手に入れたみたいって、家政婦の土屋さんが言ってたわ」
しずりは土屋さんから聞いた話しを伝える。又聞きの、更に又聞きになるわけだが龍之介は腑に落ちたようだった。
「そいつが一枚噛んでるのか……ここまで来て稼動を止めるのも、リスクがあるかな。でも、どうせロクな事は起きないだろ。ウチで世話になってる“先生”がいるから聞いてみるよ。ただ、遠出してるんだよな」
龍之介が小さい頃から護身の“術”を教わっている先生は、現在連絡が取れないという。コウタが怪訝そうに尋ねた。
「先生どこ行ってんの?」
「ギアナ高地」
「ギアナ高地!? 南米の!?」
8日目の今日も、無事に終わった。