裏話
9月に入っても真夏日は続いていた。
駅前で人気の甘味所は、夜に近付いても全席埋まっている。只今しずりは助けてくれた男子二名に、カキ氷とあんみつをご馳走している。学校帰りに待ち合わせし、「どこが良い?」と尋ねたら彼らはモソモソ相談して、ここを指定した。
「遊園地へ行くたびに掃除をしていたのは良かったと思う。掃除は『浄化』と同じだから」
4人がけのテーブル席で、龍之介は“先生”に代わって裏野ドリームランドの事を解説をしている。彼はしずりの隣の席で、フルーツクリームあんみつを平らげていた。
しずりはアッキー君が、『近距離で正面に座るのは無理だから人助けだと思って黙ってろ』と言い訳か説得かわからないことを力説し、コウタに『キモいぞ』と虐げられていたなど知らない。今日はコウタ君の前に座りたいのねと思っただけで、横にいる人の話しを聞いていた。
ちなみに8月最後の土曜日。龍之介は連絡のついた“先生”に教えられ、コウタに裏野ドリームランドで起きている概要を知らせた。そうしてコウタと合流して、水島御殿へ来てくれたのだ。
「掃除をしていたから、私は無事でいられたの?」
「いや、それとは別で……」
冷やし白玉ぜんざいをスプーンにのせたしずりの質問に、龍之介は氷水の入ったコップを見て答えた。前に座るコウタが、宇治金時と笑いを噛んでは飲み込んでいることに気付く余裕はない。
「水島さんが憑りつかれて暴走したときも……『無間』は最初、キミを見つけられずに素通りしただろ?」
龍之介の発言に、質問した側はこくんと頷いた。
「無間はキミが見えなかったんだよ。遊園地でもお互い相手の存在を感知出来ずに、すれ違い続けていた。無間だけじゃなく、その他大勢の雑霊も。基本的に、みんなキミを素通りしていた……」
話すアッキー君の横顔が、しずりの席とは反対へじりじり逸れていくのは何故かしらと思っていると。
ゴンッ! と鈍い音がした。
「? 何の音?」
「うん、何でもない。アッキーと足ぶつかっただけ」
きょときょとしているしずりに、笑顔のコウタが言った。
「えっと……私が基本的に向こうを『見えない』ように、向こうのヒト達も私が『見えない』っていうこと?」
「……そうデス。理由は……個性や体質的なものだと……思ってもらえれば」
テーブル下で蹴られた脛をさすり、龍之介が呻く。
その後。店を出るとコウタが「ちょっとゴメン」と言い、スマホで母親と話し始めた。さっきまで朝比奈家の人々はメールで連絡し合っていたのだが、豆腐が無いとかあるとか夕食の献立について喋り始めたコウタの電話は、しばらくかかりそうだった。
駅ビルの前で鞄を手に、しずりは横の龍之介を見上げる。この暑さの中でも彼は端正な佇まいも変わらず、涼しい顔でスマホの画面を見ていた。紫色へ変化していく斜陽に照らされた彼は、背が高いせいか遠く見えた。
「アッキー君。聞いて良い?」
龍之介のスマホが内ポケットに収まるのを待って声をかけると、「ハイ」という口の動きで反応があった。
「あのとき、私のお母さんが手伝ってくれたって言っていたでしょう?」
『見えない』しずりにはわからなかったが、似ていたという。無間を送り返そうとしていた龍之介を、手伝ってくれたヒト。
「お母さんだったとしたら……メリーゴーラウンドに引き寄せられて来ていたの? 地獄で彷徨っていたら、どうしよう」
『地獄の釜の蓋が開く』。
この時期にこの世へ現れたのなら、そういうことなのではないかと心配だった。しずりの心配に、龍之介が淡茶色の目を僅かに和らげる。
「違う。あれは……人によっては『観音様のご加護』とか、『天使』と呼んだりするような。国や地域で呼び方も異なるし一言じゃ説明は難しいけど。キミのお母さんが、行き場をなくしたり迷っているって事ではないから、大丈夫」
聞いているうちに、しずりは祖父がお盆について教えてくれた日を思い出した。蒸し暑くて。空は夕暮れで。
「お母さんが、天使に頼んでくれたのかしら?」
懐かしさに似た気持ちで、口元が綻んでいた。
「そう考えてもいいんじゃない?」
「それで……アッキー君は、私が苦手?」
続けた瞬間、息の根が止まったみたいに龍之介が固まってしまう。幾分温度の下がってきた夜のビル風に吹かれ、終わらないかと思うほど長い絶句の末。
「……そ、そんなこと、ないよ。何で?」
複雑過ぎて意味の読み取れない表情を染み出させて、彼から答えがあった。さっき少し打ち解けられたと思ったのは勘違いだったのね……と、しずりは気恥ずかしくなる。今にもこの場から逃げ去ってしまいそうな人へ、申し訳なく思い俯いた。
「ごめんね? あんまり話したくないように見えて……私の体質のせいで、アッキー君みたいな人は落ち着かなかったりするのかな? って思ったから」
それらに限らず。理由が何であれ、キライだったり苦手ならそれは仕方ない。確かめて変わるものでもないとはいえ、一応聞いてみたかった。
「……俺の自業自得だから」
紫色の空に浮かんだ一番星を見る龍之介の答えは、しずりが想定していたものと違った。
「自業自得?」
「そう。調子こいてただけなんで……気にしないでください」
何が自業自得なのか。しかし龍之介は嫌がったり怒っているわけではなさそう。一先ずしずりが胸を撫で下ろしていると、龍之介の表情が微かに硬くなった。
「でも……少し、キミは危なっかしいから。もし、何かあったら……また俺に言って」
つんのめるみたいに言ってくる。
「いいの?」
「先生ほどじゃないけど、俺も役に立つよ」
親切な割に、龍之介はしずりの方をやっぱり見ない。眦は赤らんで、淡茶色の目は昼の間に溜め込んだ熱を放射するアスファルトを見つめ、声は小さかった。
「ありがとう」
しずりは微笑んだが、龍之介は僅かに頷いただけで答えない。
声が出ないのだった。
――――下僕感がすごい……。
辛うじて残っているこの自覚に、今の彼は命綱のように縋っている。
『呪を弾き返されたんだろ』
龍之介は裏野ドリームランドの件が片付いた後、自分が置かれている状態についても先生に相談した。すると先生の返答はコレだった。
『相手の霊的な免疫と抗体の方が強かったんだよ。呪が“効かない相手”なんてのは居て当然なんだ。いつも言ってるだろ、この世はおっかねぇもんで溢れてるんだぞ? ったく……お前は器用だからな。世の中大体、自分の思い通りに動かせると思ってたんだろ? 謙虚さってもんが足りねぇんだよ。しかしその女の子も異界側から“見えない”体質の上に、危なくなりゃ“助け”は来るし。ここまで露骨な呪返しも起こるとなると、先祖にカミか魔物でもいたのかね?』
『ざまあみろ!』で蹴散らされた。仰る通りなので反論も出来ない。
これまで龍之介は常に、小さな呪を周囲に張り巡らせて日常を暮らしてきた。それは『誘惑』ほど強くはないが、周囲の悪意を退け『好意』のみを自分へ仕向ける呪。面倒を避けるのが目的で、生活する上で便利に使ってきた。先生には安易な呪は『呼ぶぞ』と注意されていたから、そのうちやめるかとは考えていた。
それが6月末の黄昏時。
街角のカフェの前に、暴力的存在が罪の無い女の子の顔をして現れた。
最初、何が起きたのか理解できなかった。急に呪が乱れ始め「意味がわからねぇんだが」と思っているうちに、小賢しい呪は何十倍にも増幅して術者へリターンしてきた。振り解こうと試みたが無駄で、結果は惨憺たる有様。
離れなければと頭で知っていても引き寄せられ、危ないのを承知で遊園地へ行き、彼女のために駆けずり回っている。女神に仕える巫のように、一方通行で尽くす立場に陥っていた。
このままでは、しずりが望む望まないさえ無関係に龍之介は何もかも捧げて無尽蔵に尽くし続けてしまう。こんな一見、無欲で美しそうにも見える非人間的な関係の先に、必ず破滅と不幸が待っているのは古今東西変わらない。
金銭なり、物質なり、彼女が愛情を向けてくれるなり。何らかの見返りで成り立つ、健全で生臭い人間同士の間柄へ軌道修正しなければ危険なのはわかっていた。が、しずりを前にすると頭が真っ白になり顔は真っ赤になり、声も出せなくなってしまう。世間一般でこれを『恋』と呼ぶとしても、当事者は笑えない。
『水島のばあさんも、その子を雇ったのか、それとも雇わされたか……』
どうだったろうねぇと先生は薄笑いし、首を捻っていた。念入りに計算されていた『9日目』を無視して、地獄と呼ばれる異界が溢れたのは何故だったのか? とも呟いていた。それ以上のことはハッキリとは口にしなかった。
とりあえず先生は、解除方法は調べてやると約束してくれた。だが同時に『せいぜい頑張れ』とコウタが言っていたのと同じことを言われた。そして解除の手掛かりが判明するまで、龍之介は自らの安全も利益も剥奪され、自由意思まで拘束されるという『下僕』の試練を耐え忍ぶ他ない。
「連絡先、教えてもらっていい?」
自動的に喋る自分の口に、龍之介は切ないまでの無力感を覚えている。操り人形になっている気分だった。
「あ、そうね。それじゃアカウント……」
しずりが無邪気にスマホを取り出した。そこへ
「あーッ!! ダメダメダメ! ダメだよしずりん! そいつに連絡先教えちゃダメ!」
コウタの大声と手が、二人の間に割って入ってくる。
「コウタ君、電話終わったの?」
「油断も隙もねーな、オイ!」
龍之介を見て舌打ちしたコウタは、しずりを両腕で抱えるようにして引き離す。
本人わかっていないだろうが、勘の良いコウタは今、無意識で友達を助けてくれたのだ。ここは感謝すべきなのだという理解とは裏腹に
「……お前今日から敵な」
自分と違う龍之介が、呪いの言葉を吐いていた。
メリーゴーラウンドの灯は消えて、夢の呪いはまだ回る。