一日目
静かな夜の遊園地で、七色に輝きメリーゴーラウンドが回っている。
白馬も馬車も、全て職人の手彫りと聞いた。定員100名というアトラクション。最低限の管理はされていたそうだが、風雨に晒された雨垂れの黒い筋は隠せない。それでも再び電気の血さえ流れて動き出せば、きらきらと光りを散らして美しい。
光の塊を前に一人、しずりはぼんやりしていた。何となくメリーゴーラウンドの土台付近を見る。
「こっちもお掃除しようかしら……」
メリーゴーラウンドの上に積もっていた枯葉などは、故障の原因になりそうだったので先ほど掃除した。しずりは運転室の隅に置き忘れられていた竹箒を持ち、メリーゴーラウンドの周囲の掃除を始める。
今日の午後6時頃だった。
『奥様』にお食事を運んで、しずりも家政婦の土屋さんと一緒に夕食を頂いて、お皿を洗い終わった後だった。しずりは奥様から部屋へ呼ばれ、思いがけないことを頼まれた。
――――裏野ドリームランドの、メリーゴーラウンドを運転させてきてほしいのよ。
『裏野ドリームランド』は奥様の亡き夫、『水島勇作』氏が建設した遊園地だった。アルバイトの面接の際も、その遊園地の名は出た。「貴女、知っている?」と尋ねられ、行った事はないが名前は知っていたので包み隠さず答えた。奥様は「正直ね」と笑っていた。「おべっか使う人も多いのに」とも言っていた。
奥様の話ではそこは3年前に廃園となり、間もなく全て手放す予定とのこと。ただ残っているアトラクションの中で、メリーゴーラウンドは売却予定だという。売却先は決まっているものの手続きに時間がかかっているのよと、奥様こと『水島典子』は言った。
――――たまに動かしておかないと、資産価値がもっと下がっちゃうそうなの。
普段は維持管理も専門業者に依頼しているが夏のこの時期は繁忙期のため、「断わられちゃって」と嘆いていた。施設の電気代も馬鹿にならないから、『節約』に協力して欲しいと頼まれた。
「私が立ち入って、問題ないのですか?」
しずりは一応確認した。法律的にという意味だった。
――――そこは問題ないわ。暗黙の了解みたいなものがあってね。
奥様の答えは明快だった。
――――こんな時間に、高校生の女の子に無理言って、ごめんなさいね。
――――昼間に稼動させたこともあったのよ。
――――そうしたら、遊園地を再開したのかって問い合わせが何件もきて、大変だったの。
――――貴女なら大丈夫よ。
株主や債権者の代理人さんとの都合上、遊園地へ立ち入ったことなどはご家族に話さないでちょうだいねと付け足され、夜7時に裏野ドリームランドへ送り出され電車とバスを乗り継いで30分。しずりは一人、回転するメリーゴーラウンドを見守る傍で掃除をしている。
ちなみに奥様が言っていた『暗黙の了解』は、本当のようだった。
『裏野ドリームランド前』の停留所でバスを降りようとしたしずりに、バスの運転手さんがどこへ行くのかと声をかけてきた。街灯の灯りが所々で光っているだけの、人の気配も無い廃園の停留所はバスの終点一つ前。乗客は、しずり一人だった。
「水島家のお使いです」
何か尋ねられたら、そう言えば大丈夫と教えられてきたことを答えた。するとバスの運転手さんは全部わかったという顔で
「あー、水島さんのね。気をつけてね」
と気の毒そうに笑って言い、追求されることもなかった。
無人の遊園地は生ぬるい夜風が吹き、舞い上がった長い黒髪を手で押さえてしずりは園内を見回す。裏野ドリームランドの立地は僻地ではなく、長い坂を下れば新興住宅地やコンビニが見えてくる。でも木々に囲まれているため、ここは外界とは切り離されていた。夜空しか見えない。
運転室に戻り、水島家のお屋敷を出るとき渡された黒いショルダーバックを開ける。
中には園内案内図と懐中電灯が3個。鍵の束。管理委託の証明書。メリーゴーラウンドの操作マニュアルコピー。何故かマッチと蝋燭。緊急時用にと、防犯ブザーも兼ねた警備会社直通の携帯電話も入っていた。これは非常ボタンを押すと警備会社に連絡がいく。
バスの中でも確認したが、もう一度園内案内図を広げてみた。
裏野ドリームランドは『メリーゴーラウンド』の他にも施設があり、主なものは『ドリームキャッスル』、『アクアツアー』、『ミラーハウス』、『ジェットコースター』、『観覧車』といったところ。他にもキッズ広場や、お土産を扱っていたであろうショッピング施設が入口付近にあった。
規模は大きくないけれど、コンパクトにまとまった質の良い遊園地という印象。施設への落書きや損壊は無く、保存状態も悪くなかった。案内図を見る限り、トロッコ列車やティーカップもあったようだが跡だけを残して撤去されている。こちらは引き取り手がついて、とうに払い下げられたのだろう。
しずりの現在地であるメリーゴーラウンドは、遊園地の一番奥だった。ランドを縦横するジェットコースターと、聳える観覧車。ドリームキャッスルのシルエットが見える。
「これが毎週……?」
アルバイト二日目にして、しずりは首を傾げたくなってきた。
これから『毎週日曜日の夜、メリーゴーラウンドの稼動確認をせよ』と奥様は言うのだ。
奥様はこの無茶ぶりさえ除けば、厳しめだが良い人だった。先輩家政婦の土屋さんも親切で「何かあったら電話しなさい!」と応援してくれた。制服として貸与された服もメイド服みたいで可愛くて、気に入っている。
しずりがこのアルバイトを始めた切欠は、新聞の小さな募集広告を見つけたことだった。
『短期アルバイト募集』
・職種 家政婦・補助・他諸業務
個人様邸宅内の掃除、食事の準備、片付け等、簡単なお仕事をお願いします。
年齢不問。特別な資格や技術はいりません。美味しい食事付き。丁寧に指導します。
土曜日曜の勤務可能な方。短期でしっかり稼ぎたい方、お気軽にお問い合わせ下さい。
・期間 7月1日~8月31日まで
・待遇 交通費全額支給・制服貸与
・時間 毎週土曜、日曜 12:00~21:00(詳細応相談)
・給与 日給10,000円+諸手当
来年は高校3年で進路の事もあるし、今のうちに一度アルバイトをしてみたいと探していた。
問い合わせてみたら、『お金持ちの奥様のお屋敷で、お手伝い』という仕事内容。通勤時間も20分以内。土曜と日曜の勤務なら、学生の身分としてはむしろ歓迎。父は、下手なコンビニやファミレスでアルバイトするより良いんじゃないかと許してくれた。祖母も、行儀作法を教わってきたらと言ってくれた。
お金持ちの家の家政婦(補助)なんて難しそうと思っていた。が、ダメで元々と応募してみたのだ。
――――しずりんなら絶対採用だって!
バイトの面接当日。駅前で、面接まで時間を潰すためカフェへ立ち寄った。そこでたまたま会った中学校時代の同級生『コウタ』は、元気に励ましてくれた。でもその時コウタに同行していた彼の友人で、成り行き上一緒にお茶をすることになった男の子には
――――条件、良過ぎない?
ぼそっと言われた。
「そうね……甘かったのかもしれないわ」
輝くメリーゴーラウンドを見つめ、しずりは呟く。
殆ど喋らなかった、あの男の子の名前は忘れてしまった。あの子はずっと黙ってオレンジジュースを飲んでいた。暇にあかせて記憶をなぞる。コウタの高校の友達だそうで、『アッキー』と呼ばれていた。そこまで辿りついたところで、任務完了の時間がきた。
メリーゴーラウンドの稼動は、1回につき所要時間約3分。稼動の状態確認を5回やるよう言われた。そして何も異常がなければ、それで良い。電話ボックスみたいな形の赤い運転室で、マニュアルのとおりに機械を操作する。操作自体は単純で簡単だった。
何で自分が面接に合格したのか、しずりは正直わからない。こういう無理難題を要求しても断わらなさそうに見えたのなら、それはそれで奥様は見る目があると思う。
電源を落とし片づけをしながら、出掛ける前の奥様との会話を回想した。
――――貴女、今日はこれ何に見える?
奥様は部屋の壁に貼られた、ポスターのような紙を指して尋ねてきた。
奥様の部屋はピンクのビロードカーテンに白いレース。金縁の施された花柄の壁と数々の美しい風景画。奥には大きなベッドにイタリア製の優雅なドレッサーという構成なため、しずりもその『紙』は気になっていた。紙には何も描かれていない。少なくとも、しずりには白い紙にしか見えなかった。
「真っ白に見えます」
しずりが答えると「あら、やっぱり貴女はそうなのねぇ」と、奥様は愉快そうに目を細めていた。面接のときにも同じ質問をされた。あの白紙ポスターは何なのだろう、今度土屋さんに聞いてみようかしらと考える。
水島典子氏は、絵に描いたようなお金持ちの奥様だった。
しずりの祖母より年上。きっちり化粧をし、茶色に染めた髪をまるく結いまとめ、くすんだベージュの花柄ドレスに身を包んでいる。車椅子に座っていても、弱ってきたお年寄りどころか玉座に君臨する女王のようだった。
16LDKにサンルームやダンスホールまで備えたクラシカルな豪邸に住み、家政婦に身の回りの世話をさせ、悠々自適の暮らしをしていた。庶民感覚一般と多少世界観が違うのはわかっていた。でも、こんな仕事を割り振られるとは思いもしなかった。
――――あなた、何だか少し変わったんじゃなくて?
――――初めてここへ来た時より、目つきが鋭くなった気がするわ。
お嬢様がお年を召されたといった風の奥様は、そんなことも言っていた。
しずりは窓ガラスに映る自分を見る。
「変わった、かしら……?」
7月1日から8月31日までの間。日曜日は9回ある。
1日目の今日は、無事に終わった。