神様、商売敵がいるらしいです
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──神様、商売敵がいるらしいです
「どういうことなんだ……」
ブロンドの髪を騎士風に伸ばし、後頭部で纏めた青年が呻く。
彼の名はセドリック。正義の神であるテミスに仕える信仰の守護者である。
正義の神テミスは、その名の通り正義を司る。
法の番人であるシティ・ウォッチや裁判官、不当に虐げれられた弱者などがテミスを信仰している。戦争と武力の神であるイブリスが追放されて空位になると、自分たちの正義を信じて騎士や傭兵、冒険者たちがテミスの信仰者になった。
そして、そんな神の信仰の守護者である彼が呻きながら見ているのは、ここ最近のアーカムでの状況が知らされた報告書の束だ。
まずはベールの神殿がイブリスの亜神を名乗る男に襲撃されてベールの信仰の守護者であるアレシアが重症を負った件。アレシアは今は回復しているが、また襲撃されるのではないかと神殿に閉じこもってビクビクして過ごしている。
そしてシティ・ウォッチの壊滅。
シティ・ウォッチもイブリスの亜神と交戦して壊滅した。2度も、である。歴戦の勇士であり、正義を守る決意を秘めた彼らも完全に恐怖に落ち入り、相次いで辞職してしまった。
最後は治安の悪化と奇妙な噂。
治安の悪化を招いたマコーリー・ファミリーというのは正義の神に仕えるセドリックも前からその動きを注視してい組織だ。彼らは恐喝に加えて、違法な賭博場の運営などにも関与していると考え、シティ・ウォッチと合同で捜査してた。
そのマコーリー・ファミリーがシティ・ウォッチが壊滅した同時に、その活動を大きく拡大し──そして、止まった。
止まったのだ。犯罪組織としてのマコーリー・ファミリーは。
だが、喜べるニュースではない。彼らは犯罪組織であることを止め、更に性質の悪いものへと変わった。
そう、破壊神イブリスの信仰者になったのだ。
彼らは堂々と信仰が禁止されたイブリス教徒を名乗り、アーカムの人々に金銭と同時にイブリスを崇めることを要求しだした。
「流血の神イブリス。まさか復活したのか……」
セドリックは頭を抱えた。
これまでの情報は明らかにイブリスが関与してるものだ。
「恐ろしい邪神が戻って来たとは。死と流血と破壊を振りまき、世界を混沌に突き落としたものが戻って来たとすれば、どうすればいいのだろうか」
そう言いながらセドリックは本棚からイブリスに関する書籍を取り出した。
破壊神イブリス。何人も抗えない力を振るい、自身の信仰者たちに血の生贄を捧げさせ、大陸に破壊の嵐を噴き荒した邪神。
神々は彼女を追放することを決意して対決。その壮絶な戦いの結果、イブリスは追放されたが神々もこの世での姿を維持できないほどに損害を負い、今はそれぞれの神の空間に隠れてしまった。
その恐るべき邪神の姿として本に記されているのは漆黒のドラゴンの翼を持ち、生贄の肉を貪るギザギザの牙が並び、9つの充血した目がヒョロギョロと蠢いているものだ。
……まあ、分かる通りにこの本の内容は誇張とでまかせである。
神々がイブリスを追い出したのは彼女が手加減を知らない我が侭神だったからだり、別に大陸を荒廃させてもいないし、生贄を要求したことはない。恐喝まがいの供物の要求は常態的にやっていたけれども。
「セドリック様! またマコーリー・ファミリーが暴れています! 今度はウェイトリー通りです!」
イブリスに関する文献を見ていたセドリックの執務室に、テミスを信仰する司祭が駆け込んできた。
「シティ・ウォッチは?」
「ダメです。彼らは出動できる状態ではありません」
本来ならばアーカムの治安を維持するシティ・ウォッチはイブリスの亜神によって全く動けない。
「ならば、僕がいくしかないな。そろそろ動く必要がある」
「おお! セドリック様!」
椅子からセドリックが腰を上げるのに、司祭は感嘆の表情を浮かべた。
「直ちにウェイトリー通りに向かう。戦闘司祭たちと馬を頼む」
「畏まりました」
かくして、正義の神テミスに仕えるセドリックが、ついにこの混乱を収拾するために動き出したのだった。
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「やってられませんよ。どういうことですか」
不動産屋から“捧げられた”豪邸で愚痴ているのは広瀬だ。
「セドリックってどこのどいつなんです。俺たちが頑張ったのに、手柄を横取りするとかどういう神経してやがるんですか」
広瀬が不満なのは彼が治安を回復させるためにマコーリ・ファミリーを叩いたのに、その成果がセドリックなる人物のものとして世間で認識されてしまっていることだ。
「イブリス様も不満なのです」
プクッと頬を膨らませているのはイブリスだ。彼女も不満である。
「セドリックというのはテミスの信仰の守護者です。テミスは横取り野郎でしたが、ここまでやるとは卑劣にもほどがあるのです。このイブリス様の功績を奪うとは許しがたいのです」
「全くですよ」
珍しく広瀬とイブリスの意見は一致した。
「俺たちがやったんだって宣伝しても信じて貰えませんし、ここはセドリックさんに証明して貰わないと。彼が常識人なら自分がやってしない功績を自分の手柄にすることはないでしょう」
「テミスなんかに仕える奴が常識を持ってるはずがないのです」
広瀬はマコーリー・ファミリーを更生させたのはイブリス様のおかげだよ、と酒場や食堂で宣伝して回ったのだが、全く信じて貰えなかった。
それどころか、マコーリー・ファミリーが治安を乱したのはイブリスのせいだと考えられる始末である。まあ、シティ・ウォッチを壊滅させたのは広瀬なので正しいといえば正しい。
「そこは説得しましょう。自分は営業もやったことがあるんで──」
今後の計画を話し合っていたとき、玄関の鐘が鳴った。
「はいはい。今、行きますよ」
広瀬は一先ず席を立ち、玄関に向かう。
「こんにちわ! ヒロセ様! 今日もあたいたちはイブリス様に祈りを捧げていますぜ!」
現れたのは元マコーリー・ファミリーのボスであるマルグリットと彼女の部下たちだ。
前は犯罪組織のボスとしてスリットの開いた扇情的なチャイナドレス姿のマルグリットだが、今はイブリスの司祭となり、黒をベースとし赤いラインの入った祭服を纏っている。
のだが、その祭服も結構なものだ。
ベトナムの民族衣装であるアオザイに似たデザインをしているが、胸元は大きく開けてマルグリットの胸の谷間がハッキリと見えているし、スカートに開いたスリットからは白い太ももとガーターベルトが見え、体にピッタリと合わされているために、マルグリットの女性的な体のラインは明確だ。
「い、いやあ。相変わらずお美しいですね」
平坦、ペッタン、真っ平らな大平原のイブリスに馴れていた広瀬にはちょっとばかりマルグリットの姿は刺激が強い。
で、マルグリットだけでなく、構成員たちも祭服を着ている。
黒シャツに赤いネクタイ。そして、胸にはイブリス信仰を示す交差した剣とハルバードを象った金のネックレス。
以前はバラバラの格好をしていた構成員たちが全員この姿だ。
厳つい顔の男たちがこの揃いの黒シャツ姿でゾロゾロと歩くのは威圧感を覚える。と言うか、前よりもマフィアみたいになった気がする広瀬だった。
「今日も供物を捧げに来ました。それから神殿のお掃除を」
「助かります、ホント」
マルグリットが金貨がドッサリと収まった皮袋と手渡すのに、広瀬が頭を下げてありがたくそれを受け取った。
彼らは供物と言う金銭を捧げてくれるし、この広大で手に負えない屋敷の掃除もしてくれるし、元料理人の構成員は食事も作ってくれる。ついでに風呂も沸かしてくれるので広瀬たちは快適に過ごせる。
もっとも供物というのは恐喝と非合法賭博に高利貸しで手に入れた金銭であるのだが、快適な豪邸生活を満喫していて外に出ることが少なくなった広瀬が知る由もない。
「さあ! お前たち、イブリス様のために神殿を綺麗にするんだよ!」
「はい、姉御!」
マルグリットが構成員たちに命じ彼らが屋敷の掃除に走った。文句を言うものはいない。
さて、今のところ、彼らの忠誠心の順番はこのようだ。
イブリス>広瀬>マルグリット。
組織のボスであるマルグリットに従いながらも、彼らは神としてイブリスを崇め、彼女の信仰の守護者でありマコーリー・ファミリーの猛者をノックアウトした広瀬を恐れている。
「ウム。辛勝な働きなのです。イブリス様のために働くものは、必ずしや報われるでしょう」
「ありがたいお言葉です、イブリス様」
犯罪組織の面々が屋敷で掃除をしているのにイブリスが満足げに頷き、マルグリットが低く頭を下げた。
「で、先ほどの問題ですけど。どうしましょうか、イブリス様。そのセドリックさんは話せる方ですか?」
「セドリックだってえ!?」
マルグリットたちが来る前の話題に戻した広瀬に声を上げたのはイブリスではなく、マルグリットだった。
「え? 知り合いですか、マルグリットさん?」
「知っていますとも、ヒロセ様。あのクソ野郎のことはよく知っていますぜ」
意外な顔をする広瀬にマルグリットが憤然たる様子で告げる。
「あの野郎はクソッタレのテミスの使いっぱしりです。あたいたちの仕事を散々邪魔してくれやがった野郎で、今もあたいたちの邪魔をしてやがります。そう、今もです」
「むう……。イブリス様の信仰者の邪魔をしているとは聞き捨てならないのです。テミスの手下は何をしているのか話すのです」
マルグリットが継げた言葉に対して、イブリスが眉を歪めた。
「はい、イブリス様。あたいたちがイブリス様のために供物を集め、布教をしているのを邪魔しやがるんです。正義の神だかなんだか知らないが、あの野郎と戦闘司祭の手であたいの部下たちがやられてします」
状況はマルグリットの告げる通りだ。
マコーリー・ファミリーの構成員たちが供物を求めて市民を恐喝し、布教と称して脅しをかけるのに壊滅したシティ・ウォッチの代わりに正義の神であるテミスの信仰の守護者であるセドリックが動いていた。
邪魔と言えば邪魔だが、治安を守っているのはセドリックだ。
「許しがたいのです。イブリス様の功績を横取りするに飽き足らず、イブリス様の信仰を広めるのを妨害するとは神罰に値するのです。守護者君、セドリックを完膚なきまでに叩きのめすのです。二度と立ち上がれないようにしてやるのです」
「相変わらず血の気が多い御仁ですね……」
プクーッと頬を頬を膨らませて物騒な命令を出すイブリスに、広瀬が額を押さえる。
広瀬としてはなんとか穏便にイブリスを追放した他の神々の人たちと和解し、なるべく平穏にイブリスの信仰を広めたいところだった。
それがベールに仕えるアレシアに続いてテミスに仕えるセドリックに暴行を働いたとなれば完全に不可能になってしまう。
「あの野郎を殺るならあたいたちも全力で協力しますぜ! なあ、お前ら!」
「オッス! 守護者様がいるならあの野郎を八つ裂きにできますぜ!」
だが、マルグリットと彼女の部下たちは早速やる気に満ちていた。
「神の名において命じるのです。信仰の敵であるセドリックに神罰を」
「おおっ!」
ようやく手に入れた信仰者たちに平坦な胸を張って命じるイブリスに、マルグリットたちが雄叫びを上げる。
「はあ……」
彼らは満足そうだが、広瀬は憂鬱そうだ。
「では、行くのです、守護者君。出発です」
「はいはい。分かりましたよ、イブリス様」
もはや決断を覆すことは不可能だと考えて広瀬は渋々と先頭を進むイブリスに、マルグリットたちを引き連れて出発したのだった。
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