神様、裸になられたら困ります
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──神様、裸になられたら困ります
不動産屋を訪れたイブリスと広瀬。
「ようこそ! どのようなご用件──」
笑顔でイブリスと広瀬を出迎えた不動産屋の経営者は広瀬の顔を見ると、あっという間に顔から血の気が引いた。
「ひいいっ! な、何が目的だ!?」
「イブリス様に相応しい住居を捧げるのです。神に相応しいものを捧げるならば神罰が下ることはないでしょう」
慌てて机の下に隠れる不動産屋の経営者に対して、イブリスは手を差し出して要求した。
「イブリス様。これっていいんですか?」
「当然いいのです。仮の住まいとはいえ、神の住む場所を提供するのは栄誉なことなのです」
金銭に続いて住居まで要求するイブリスを困惑した目で見る広瀬に、イブリスは何の問題もないというように返した。神とはどこまでも傲慢なのだろう。
「お、お好きなものをどうぞ!」
で、イブリスの要求に不動産屋の経営者は自分の管理している不動産のリストを放り投げて机の下に潜る。
「どれにしましょうか、イブリス様。この屋敷なんか凄い豪華ですよ」
「むう……。ここには神に相応しい住居がありません」
リストから大浴場付き、ベッドルーム、ダイニングルーム、リビングルーム、書斎とその他もろもろが備わった広い屋敷を広瀬が指差すが、イブリスは不満そうに頬を膨らませた。
「どんなのがいいんです?」
「ベールの神殿より大きなものです。神はもちろん、その信仰者も収容者できなければなりません」
イブリスの要求したベールの神殿は巨大である。東京ビッグサイトをやや小さくしたような規模だ。そんなものを普通の不動産屋が扱ってるわけがない。
「妥協しましょう、イブリス様。これは仰られたように仮の住まいですし、正式な神殿とかは信仰が復活してからと言うことで。それでいいですよね?」
「むううう……。仕方がないのです」
広瀬の説得にイブリスは渋々と同意し、広瀬が選んだ豪華な屋敷が住まいとなることになった。
「で、御代の方なのですが」
「いただけません! 好きなように持って行ってください! だから、私たちをソッとしておいてください! お願いします!」
不動産屋の経営者は物件の所有に関する全ての権利書を広瀬に投げ渡した。
──あまりにも周囲のリアクションが酷いので広瀬が顔が隠せるフード付きのローブを買ったのはこの晩のことであった。
犯罪者でもないのにコソコソと顔を隠さなければならないと言うのに広瀬はちょっと泣いた。
「……とりあえずは住む場所が得られましたね。一安心と言うところでしょう」
「なら、早速その屋敷に向かうのです。本当に神の住まう場所として相応しいのか確認するのです」
ともあれ、こうしてこの世界での家を手に入れた広瀬とイブリスは、手に入れた屋敷に向かって進んでいった。
「おお……! こりゃ凄いや!」
広瀬の選んだ屋敷は驚くべきほどの豪邸だった。豪華さと言うよりも落ち着いた雰囲気のある邸宅だが、敷地は広大で、屋敷の周囲には高い金属製の柵が張り巡らされていた。
テレビで紹介される富豪や芸能人の家より遥かに立派だ。王族貴族が住んでいても驚かないほどである。
「むう……。これぐらいではイブリス様には相応しくないのです」
だが、これでもイブリスは不満そうだ。我が侭な神様である。
「いいじゃないですか。仮の住まいですよ、仮の住まい。いずれイブリス様に相応しい立派な神殿が建ちますって」
多分、数世紀ぐらい先にと心の中で告げながら広瀬は邸宅に入った。
内装も結構なものである。広いし、家具の類もちゃんと置かれていて、生活に不便することはなさそうだ。これまでちゃんとあの可哀想な不動産屋に管理されていたらしく、埃やゴミもなく清潔だ。
「とりあえず、ご飯にしましょう、イブリス様」
「うむ。いいでしょう。神に供物を捧げるのです、守護者君」
広瀬が提案し、トスと広い食堂の椅子に座ったイブリスが返した。
異世界で初めての食事は食堂のテイクアウトだ。これは供物と言う名の恐喝ではなく、ちゃんと代金を支払って購入した。広瀬が顔を隠して。
遅くなった夕飯のメニューは、カリカリチキンフライに丸ごと野菜のシチューと色とりどりの根菜のサラダ。そしてふんわりしたパンだ。まだ買ったばかりなので温かい。
「パク、モグモグ……」
いただきますもなしに、イブリスは小さな口を大きく開いてチキンフライに齧り付いた。まあ、神なので誰かにいただきますと言う必要もない。
「……ひとつ訊いておきたいんですけど、イブリス様」
「にゃんですか、ひゅごひゃくん?」
広瀬が尋ねるのと、イブリスが口にチキンフライを頬張ったまま返す。
「流石に前からこんな風に供物を集めていたわけじゃないですよね? 今回だけが特別なんですよね?」
「ふむ。昔は違いました」
今回のように暴力で金品を強奪していたら大変だと広瀬が思うのだが、イブリスは次はパンに手を伸ばしながら告げた。
「イブリス様が正当に信仰されていたときは、信仰者たちが供物を捧げにイブリス様の神殿を訪れていました。戦うことを職業とする兵士や冒険者たちがイブリス様の祝福を求めて供物を捧げたのです」
「神様らしいですね」
イブリスは戦争と武力の神だ。
騎士、傭兵、冒険者。彼らはイブリスの司る力を求めてイブリスを信仰していた。供物を捧げ、戦争での勝利を祈った。
「そして、戦争を避けたいものたちもイブリス様に供物を捧げなければならないのです。力のない人間たちは保護を求めてイブリス様を崇めるべきであったのです。捧げないと戦争に巻き込まれるのです」
「全方位から金を取っていらっしゃる!?」
どうやら戦争に関わろうと関わるまいとイブリスは金を取るようだ。
「イブリス様の信仰の守護者は昔から強かったので、人間たちは喜んで供物を捧げたのです。守護者君を見ると、人々はイブリス様の威光を感じ、平伏して供物を捧げたのです」
「やっぱり前から同じことをしてたんですかい……」
今回だけかと思ったら前から同じことをしているらしい。
そりゃ他の神に追い出されるわ。広瀬は納得したのだった。
「ふう。食事はこれでいいですね」
そんな会話をしながらも広瀬とイブリスは食事を終えた。おいしい料理は残さず平らげ、空になった皿が残るのみだ。
「それじゃ、お皿は片付けておきますんで、イブリス様は先に休んでください」
「そうするのです」
広瀬が用の済んだ皿を台所に運ぼうとしたとき──。
「ちょっ! 何でここで服を脱いでいらっしゃるのですか、イブリス様!?」
イブリスがダイニングルームののど真ん中で服を脱ぎだしていた。
赤いスカーフをスルリと外し、ダボダボしたセーラーワンピースは手際よく脱ぎ捨て、既に薄手のベビードールとドロワーズだけの姿になっていた。そして、それすら脱ごうとしている。
「ストップ! ストップ! 何を考えているんですか!?」
「守護者君こそ何を言っているのです。寝るときは服は脱ぐのです」
慌てて最後の下着を脱ごうとするイブリスの手を止める広瀬に、イブリスは怪訝疎な表情で広瀬を見た。
「それなら自室で脱いでくださいよ! イブリス様は年頃の娘さんなんですから、そんな格好を外でしたらダメですよ!」
「イブリス様はそんなことは気にしないのです。イブリス様は神なのです」
必死に説得する広瀬だが、イブリスはまだ下着を脱ごうとする。
まあ、確かに裸を気にする神はいないだろう。中には裸の彫像がある神などもいるのである。
だが、イブリスはそんな神話の世界の住民とは違って目の前の現実だ。服を脱がれて全裸でうろつかれては広瀬も困るし、このまま外にでも出られたら困ると言う話ではなくなる。
「兎に角! 全裸になっていいのは部屋だけです! 自分の前でも、他に人の前でもこんな格好をしたらダメですよ?」
「むう……。しょうがないですね」
広瀬が促し、イブリスはやや不満そうに頬を膨らませたものの自室となる2階の部屋に向かっていった。
「はあ……。神様に合わせるのって、下手な取引先を相手にするより疲れるな……」
イブリスの去ったダイニングルームで広瀬は額を押さえた。
「この先どうなることやら……」
「守護者君」
改めて広瀬が皿を台所に運ぼうとしたとき、イブリスが戻ってきた。
全裸で。
「守護者君。寝る前にお風呂に入るのでイブリス様の体を洗うのです」
「さっき言ったこともう忘れていらっしゃる!」
平坦な胸を張って命じるイブリスに広瀬が全力で突っ込んだ。
で、結局風呂の湯は沸かしたが、体は自分で洗ってもらった。イブリスは実に不満そうだったが。
突然殺されて、ベールの神殿で武装した集団を相手に暴れ、店舗から恐喝同様の行為で金品を集め、夜には裸の神様少女を相手にする。
広瀬は草臥れ果てて、自分のベッドに突っ伏した。
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次話は本日9時頃に投稿します。