神様、神殿が欲しいそうです
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──神様、神殿が欲しいそうです
ベールの神殿が襲撃されてアレシアが重症。シティ・ウォッチが壊滅。マコーリー・ファミリーによる治安の悪化。そして正義の神テミスに仕えるセドリックが再起不能の打撃。
「アーカムはどうなるんだ……」
「イブリスが復活したらしい。また暗黒時代がやって来るんじゃないか」
市民たちは不安の只中にあった。
通りを歩けばイブリスへの改宗と供物を恐喝するマコーリー・ファミリーの構成員たちと出くわし、金銭を奪われて、イブリスを崇める事を約束させられる。
マコーリー・ファミリーの犯罪行為を取り締まるシティ・ウォッチは再建途上にあり、最後の頼りの綱だったセドリックもイブリスの亜神に敗北した。
「おらあ! 供物を捧げろ!」
「イブリス様を崇めろ! イブリス様を崇めろ!」
治安機関が喪失したアーカムを支配するのは暴力を有するマコーリー・ファミリーだ。彼らはやりたい放題もやりたい放題に横暴に振る舞い、暴力と恐怖で信仰と供物を手に入れていた。
人々は恐怖によってイブリスを畏怖し、信仰を始めている。
最初はマコーリー・ファミリーの構成員しかいなかった信仰者たちは、彼らの布教活動で信仰者数を増やした。
加えて、正義の神テミスに仕える信仰の守護者セドリックがイブリスの亜神にボロクソにやられたという噂が広まっていた。
そのためか、戦うことを生業とするもの──特に手段を選ばない人種たちは、戦争に勝利する事を祈って、より力のあるイブリスの方に信仰が傾き始め、彼らもドンドンと信仰者になる。
かくして、帰還したイブリスの信仰者はアーカム中で5万人を越える規模へと発展すると言う偉業を成し遂げた。
「むう……」
……のだが、当のイブリスは頬を膨らませて不満そうにしていた。
「いやあ。イブリス様。なんとか信仰されるようになりましたね。これで正真正銘の神様ですよ」
「何を言っているのです、守護者君。イブリス様は生まれたときから神なのです」
もうダメかと思っていたイブリスへの信仰が奇跡的に蘇ったことに安堵する広瀬に対して、イブリスはミディアムレアのステーキを頬張りながら返した。よく食べる神である。
「それよりも問題があるのです、守護者君。解決なければなりません」
「問題ですか? 何も思いつかないんですけど……」
ゴクリとステークを飲み込んだイブリスが告げるのに、広瀬が嫌な予感がしながらも首を傾げた。
「ここは仮初の神殿。信仰者が増えたのに、本当の神殿がないのは問題なのです。そう、イブリス様に相応しい神殿が必要なのです」
イブリスが求めたのは神殿だった。
確かにこの豪邸は広瀬が仮のものだと説得したもので、マルグリットたちは神殿として扱っているがただの家だ。
「うーん。まあ、そうですね。そろそろ神殿が必要かもしれません。イブリス様の信仰者さんたちも結構増えましたし、それにお金も貯まりましたし、ね」
この豪邸には結構な資金が蓄積されている。
マルグリットたちが恐喝──もとい供物として集めた金が結構な額あり、最近集まってきた信仰者たちも少なくない供物をイブリスに対して捧げていた。
そういうことで資金と言う問題はない。
「さて、そうなると場所ですね。アーカムの中はもう建物でいっぱいですし、街の外に建てましょうか」
そう言いながら、広瀬はアーカムとその周辺の地図を引っ張り出してダイニングルームのテーブルに広げた。
世界都市アーカムの中には既にあらゆる建物とオベリスクを備えた広大な広場が密集している。西も東も北も南も、新しい建物を建てるにはどこかの建物が潰れない限りは難しい。
「ダメです。アーカムの中に建てるのです」
「いや、無理ですって。地図を見てくださいよ。物件を借りるなら兎も角、新しく神殿を建てるような場所はないですよ?」
駄々をこねるイブリスに、広瀬が地図を指し示した。
「ここがいいのです」
と、イブリスが地図の一点を指差す。
「……よりにもよって……」
イブリスが指差したのはアーカムの中心ど真ん中だった。
アーカムの中心には都市を統治する市庁舎と都市評議会議事堂を始めとした行政施設が立ち並び、それらが世界都市の中心に相応しいアルハザード・パークという立派な公園に面している。
「無理ですって、イブリス様。ここって途轍もなく重要な場所ですよ」
「公園を潰して建てればいいのです。イブリス様の神殿は都市の中心でなければならないのです。さあ、ここにイブリス様の神殿を建てるのです」
宥める広瀬に、イブリスがフラットな胸を張って宣言した。
「じゃあ、ちょっと話してきますね。無理だと思いますけど」
譲りそうのないイブリスの態度に諦めて、広瀬は交渉のために出発した。
彼が向かったのは、アーカムの政治中枢である市庁舎。
市庁舎といっても世界都市の市庁舎ということもあり、日本の首相官邸レベルの大きさがある。神殿には劣るものの大理石で建造された立派な建物だ。
「ようこそ。どのようなご用件でしょうか?」
「ちょっとした都市開発に関してお話がありまして、担当者の方とお話したいのですが」
市庁舎で受付嬢が出迎えるのに、広瀬が準備してきたイブリスの神殿建設計画書を手に告げた。
計画書にはアルハザード・パークの一部を広瀬たちが買い取り、そこにイブリスの神殿を建てるというものだった。ささやかな地域を買い取るだけであり、建てる神殿は今の豪邸よりも僅かに大きいほどだ。
「無理です」
が、その計画はアーカムの都市計画の担当者に却下された。
「少しだけ公園を買い取るだけですよ?」
「いいですか。アルハザード・パークはアーカムの象徴なんですよ。かつては神々が集ったと言う歴史もある場所です。そんな場所に訳の分からない建物を建てるなんて許可できません」
食い下がる広瀬に、担当者はにべもなく返す。
そう、アルハザード・パークはただの公園ではなく、神々の神殿と同じようにシンボル的な場所なのだ。
「どうしてもですか? ちょっとでいいんですよ?」
「しつこいですね。まずこんなのは市民が納得しません。まあ、市民が望むのなら行政府としても答えますが、そんなことはありえないでしょう」
担当者はそう告げて話を終わらせ、広瀬を追い出した。
「予想できたと言えばできたことだけど、困ったな。またイブリス様が機嫌を損ねて何かやらかし──」
市庁舎から追い出された広瀬が愚痴ていたとき、彼の脳裏にある閃きが瞬いた。担当者が最後に告げた言葉から。
「市民が望むなら、か!」
ピコンと頭に電灯の輝いた広瀬は早速彼の計画のために動き出した。
彼が計画したのは──。
「市民の皆さん! アルハザード・パークにある神様の神殿を建てる計画にご賛同ください! ご賛同いただければ署名をお願いします!」
広瀬の計画したのは街頭署名活動だった。
都市計画の担当者は市民が納得するならば、可能性はあると示唆した。
ならば、市民が計画に賛同していることを示せばいい。街頭署名を集めて、市民が賛同していると明確に示すのだ。
「どうか署名をお願いします! あ、そこの方、お話を──」
「いや。俺は忙しいんで」
だが、中々上手くいかない。
市民は見慣れぬ街頭署名という活動に対してそっけないし、アルハザード・パークにどこの神かも分からない神の神殿を建てるというのには都市計画の担当者と同じように賛成してくれない。
「むう……。守護者君、力を示して署名しない市民たちに誰が神なのかを思い知らせるのです」
街頭署名に退屈しているイブリスは相変わらず物騒なことを言っている。
「ここは穏便にやりましょう、イブリス様。また暴れたら信仰がなくなり──」
「おらあ! てめえ、どういうつもりだ、ああ!?」
と、広瀬の呼びかけに応じなかった市民に掴みかかるものがいた。
マルグリットと彼女の部下だ。
「イブリス様の神殿を建てるのに反対するつもりか、ええ?」
「署名しないなら、それなりの痛みを覚えてもらうぜ、んん?」
マルグリットたちも街頭署名活動に動員されていた。
が、彼女たちはやるのは呼びかけでなく恫喝である。手当たり次第に市民を取り囲み、言葉と武器で脅して強制的に署名させていた。
「しょ、署名します! お助けを!」
「おうおう。最初からそうすればいいんだよ」
まあ、効率で言えば、広瀬の穏便な呼びかけよりマルグリットの恫喝の方がよかった。実に悲しいことに。
こうして、街頭署名活動がアーカムの各地で行われ、各地で悲鳴が上がった。
で、悲鳴が上がるたびに署名に記されていく。
200人、400人、800人、1600人、3200人、6400人……。
「集まりましたね。手段にやや問題があるような気がしますけど」
街頭署名活動開始から半年。
主にマルグリットの活躍で街頭署名に記された市民の名前は現在のイブリス信仰者である5万人に加えて、更に約50万人が集まった。地球の街頭署名でもこれだけの数は集まらないだろう。
とは言っても、大多数は暴力で奪い取ったものだが。
「よくやったのです、信仰者たち。イブリス様はお前たちを祝福するのです」
「光栄です、イブリス様!」
だが、イブリスは満足そうであり、マルグリットも神に褒められて喜んでいた。
「……じゃあ、もう一度話し合いにいきましょう。これだけの署名があれば無視はされないでしょうし」
「あたいたちもお供します、ヒロセ様」
かくして、広瀬はイブリスとマルグリットたちと共に市庁舎を再訪問した。
そして、担当者の執務室に入ったのだが──。
「こんにち──」
「ひいいっ!」
担当者は広瀬とイブリスたちが入るや、椅子から転がり落ちた。
「え? この間の都市開発についてのお話をしたいんですけど……」
「う、嘘を吐くな! 何をしているかは知っているんですよ!」
広瀬が怪訝な表情で見るのに、担当者は机に身を隠して返した。
「何って、街頭署名を……」
「イブリスの亜神たちが生贄の名簿を作っているんでしょう! その名簿に載ったものは血の生贄に捧げられるんだ! わ、私は名前を書きませんからね!」
どうやら街頭署名活動は市民たちに全く異なる受け取られ方をしたようだ。
「違いますって! 別に生贄とかいりませんし! ただ神殿を建てたいだけなんです!」
「そうです。イブリス様のために神殿を建てるのです。そうでなければ神罰が下ることでしょう。人々はイブリス様の力によって地獄を見ることになります」
誤解を否定する広瀬と誤解を増長させるようなイブリス。
「し、神殿を? 破壊神イブリスの神殿をアルハザード・パークに?」
「おう。その通りだ。イブリス様のために神殿を建てな!」
机の下から顔を出す担当者にマルグリットがドスの利いた声で告げる。
「場所は……?」
「この地域を全てイブリス様の神殿にするのです」
オドオドと机の下から出てきた担当者に対して、イブリスは壁に広げられているアーカムの地図に大きな丸を描いた。
描かれた円はアルハザード・パーク全域だった。
「ちょ! イブリス様! それは無理ですって!」
「何を言っているのです、守護者君。イブリス様の神殿はどの神の神殿よりも広大でなければなりません」
慌てる広瀬に、イブリスは平然と返す。
「こ、これだけの開発を行うのは、私の権限だけでは不可能です。都市評議会の判断を仰がなければ。ですので、都市評議会にこの計画を提出しておきますので、それからもう一度来てください、はい」
最初のすげない態度も一変して、都市計画の担当者は平身低頭で告げた。
「そうらしいですよ、イブリス様。もう少し、待ちましょうね」
「むう……」
何とか計画が受け入れられ広瀬が促すのに、イブリスは不満そうながら市庁舎を後にした。
彼らに計画を議論した都市評議会が決議を出したという知らせが来たのは1週間後のことであった。
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