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episode 07

 ポーチからイリスが取り出した携帯端末は、ごく小さな兎のぬいぐるみだった。ルタが「今どきの流行ってそんなかわいらしいものなんですねー」と物珍しそうに目を丸くする。

 使用者が触れると起動するタイプで、それは少女の手のひらから離れ、ふわりと浮いた。空中にキーボードが投影される。それを操作したイリスは、センターテーブルの真上に画像ファイルを展開させていく。

 ルタからも左右逆の状態で、空中に映し出された画像――これはアルバムだ――が確認できた。その画像を流すように指で操作し、一番古い画像をイリスは拡大させる。


「これが、私とコレットの一番古い記録」


 黒い髪の女の子と、明るい髪の女の子が写っている。ぬいぐるみを抱いた黒髪のイリスは三歳か二歳か、とても幼い。対して、その機嫌を取るように笑いかけている女の子は、もう少し身体が大きいようだった。薄茶色の髪とくるくる巻いた癖毛がチャーミングだ。


 そこから無言でイリスはいくつかの画像を選択しては拡大し、スライドさせていく。何気ない日常が切り取られ、それはごく普通の幸せな家庭そのもののように感じられた。

 しかし、そのページを繰るにつれ、変化は生じ始めた。


「……わかる? こっちは五歳のときのもの」

 ルタが身を乗り出して触れると、画像が拡大された。そこには、よく似た印象の二人の少女が映っている。色違いでお揃いのワンピースを身に纏い、同じような髪型をしていた。背丈も体型も似たり寄ったりだ。


「コレットは私とお揃いにするために、ボディを変えていたの」

 別の画像を拡大する。成長するはずのない〈ドール〉を、娘に合わせて成長させていたのだ。最初の画像と並べると、コレットの変化は誰の目にも明らかだ。


「故障があったわけじゃないわ。何か無茶をさせたとか、そんなこともない。パパもママも、私とコレットのことは大好きだもの」

 うんざりするぐらいにね、と小さくイリスは付け足す。その表情は、どこか冷めていた。

「うちは両親ってほとんど家にいないの。顔を合わせてもゆっくりしゃべる暇なんてないから……私が寂しくないようにコレットが用意されたのよ。こういう格好は、ママの趣味。あの子は何も言わないけど」


 七歳ぐらいになってくると、今度は二人揃って学校の制服を着ていた。学校の正門で記念写真を撮ったものだ。首都の一部では〈ドール〉を伴っての登校が許されていた。児童の保全のため、授業に参加することもある。コレットは子どもたちに紛れて、セルダン家の一人娘を見守ってきたのだ。

 いつだってイリスの手をつなぐ相手はコレットだった。自宅でも学校でも、どこへ行くにも二人は必ず一緒だった。それはどれだけ時間が経っても変わらないのだと、疑いもしなかった。


「ははぁ、なるほど。そういう注文もなくはないけど……よく祖父ちゃんが納得したなぁ」

 やっぱり、とイリスは苦々しく思う。

「普通、やらないものよね?」

「換装には多少なりともリスクを伴いますから。ましてフル換装ともなるとAIへの負担が大きすぎます。よっぽどの破損や大きな環境の変化でもない限り、普通は行いませんし、行えないんです。言ってしまえば、無茶苦茶な部類ですよ。本来〈ドール〉は身体的な成長をしませんし、ボディは用途に合わせて専用にカスタマイズされたものです。その必要がそもそもありません」


 例えばものをつまむ動作一つ、立ち上がる動作一つとっても、微細な計算とエネルギー調節が必要になってくる。力加減やそのバランス等、本来苦もなくできるそれらが、一つひとつ〈ドール〉の負荷となる。

 外部からの調整も頻繁に行われていただろう。以前と同じように身体を使いこなすには時間がかかるのだ。身体が馴染んだ頃に毎回総入れ替えをしていては、大きなストレスとなっただろう。故障の危険(リスク)も大きく、本来の使用目的にも穴を開けてしまう。使用者側の立場であってもマイナス点ばかりなのだ。大きな費用もかさみ、工房にも良い印象を与えない。


 イリスだって、見た目が頻繁に変わる〈ドール〉など見たことがなかった。

(そういえばあの子、身体を交換したばかりの時期はさほど動かなかったな)

 さりげなく室内で遊んだり、勉強や習いごとを促したり、用があるからと外出を断ることもあった。自分の身体を確認し、余計な懸念を家族へ与えないため、コレットは慎重に立ち回っていたのかもしれない。その(おもて)に、いつだって笑みを浮かべながら。


「でも、三年前にはやめていたんですね」

「あの子が嫌がったから」


 ごめんね、身体を変えるの辛くて……。違和感があるから、お父さんとお母さんにお願いしたの。

 記憶の中のコレットは、申し訳なさそうに「ごめんね」と繰り返した。謝ることじゃないでしょ、とイリスは眉をつり上げたものだ。言ってくれてよかったのよ、無理強いはしたくないから、と。


(そういえば、あの頃からコレットは変わっていったんだ)

 お揃いだった服装をやめた。女の子らしいデザインの服を避けるようになった。長かった髪もばっさり切った。肩より短くなったそれを見たとき、「どうして切ったの」とイリスは大騒ぎしたのだった。

 私にはこっちのほうが合っていると思って、と困ったように笑うコレット。あの子はあれが好みなのだと自分に言い聞かせた記憶は、鮮明だ。バカ、とコレットを罵った初めての記憶でもある。


(私は、コレットの綺麗な髪が大好きだったのに)

 イリスの髪は真っ黒ではないが、暗い色をしていた。淡い金髪のコレットが、どれほど羨ましかったか。何の相談もなく捨ててしまったあの子が、恨めしかったのだ。


 やがてコレットは家から出なくなり、学校に通うのもやめた。勉強もノータッチだ。どうして学校へ行かないの、と訊いたことがある。みんなコレットが来るのを待っているよ、と何度も誘った。しかしコレットは困ったように笑い、「送り迎えなら今までと変わらずできるし、〈ドール〉は学校へ行く必要なんてないんだよ」と言った――


「……なに?」


 人形師の観察する視線を感じ、不快げにイリスは顔を上げた。いや、不快な原因はそれだけじゃない。古い画像を見つめていると、静めたはずの感情が蘇るのだ。

「難しい顔をされているので。他にも何かあったのでは、と思いまして」

 直球を投げ込んできた人形師へ、少女は据わった目を向けた。


「そうよ。いろいろあったの。あなたが察している通り、換装はあの子へ無理を強いたと思う。……でもあの子のアレは違うわ」

 コレットは、きっとボディの換装を苦だと感じていなかった。不便だったろうが、それが〈ドール〉というものだ。主人や従うべき人間をまず優先する。『個人の事情』なんてものは存在しない。コレットが自身の都合を言い訳に使ったのは、それがベストだと判断したためだ。

 少女の鋭くとがった気迫に、思わず人形師が身を引いた。


「人形師さん。私があの子に会いたい理由はね、怒鳴りつけてやるためよ。あの子、何もわかってないのよ。私のことを……自分のことだってまるでわかってない!」

 バンッとテーブルを手のひらが叩きつけた。がしゃん、と食器が揺れる。カップとソーサーを人形師が慌てて待避させた。

 イリスは数年前の自分を射貫くように見つめ、歯がみする。


「ねぇ、この画像をどう思った? どう見えた?」

「可愛らしい女の子たちだな、とは」

「ちがう、そうじゃなくて。双子のようだとは思わなかった? あの子と私、すごく似てるでしょう」


 数年前の少女たちは、よくよく観察するとさほど似ていない。だが、髪型と服装や、表情と仕草を揃えることで、そう錯覚させられるのだ。そしてボディを変えるたびにどこかしら、イリスと似ていった。

 歪められていったのだ。


「バカな話なんだけど……私は、あの子が妹だと疑いもしなかったの。双子なのだと信じていたのよ。そういう風にデザインされたとも知らないで」


 一番初めに挙げた画像を再度並べて、イリスは睨みつけた。自分とまったく似ていないコレットは、他人のように感じる。それに気づいたのは、いつだっただろう。


 イリスの母は可愛らしいものが好きだ。娘の〈ドール〉を双子のように当てはめ、着せ替えていた。背丈が同じようになると、それはエスカレートしていったのだろう。顔立ちや瞳の色、髪の色、髪の質、体型――ボディを換えるたびに、娘へ近づけていった。イリスが物心つくころには、鏡で映し出したように二人はそっくりになった。


 両親と違って同じ目線で理解してくれるコレットは、内気で、外へ遊びに行くこともろくに出来なかったイリスをいつだって引っ張っていった。人の輪の中に飛び込む勇気をくれ、外で遊ぶ心地よさや、勉強することの楽しさを教えてくれた大切な――もう一人の自分だった。一歩先を行って道を示す半身。


 世界を広げてくれたのはいつだって。


「小さな頃はよかったわね。何も考えていなかったから、一緒にいられるだけで嬉しかったわ。でも……成長するにつれ、あの子との違いに気づいてしまう。似ているから余計に、嫌でもね」

 コレットは何でもこなすことができた。イリスがもたもたと一をこなすうちに十をやってのけた。勉強でもスポーツでも楽々こなし、誰とでもすぐ打ち解ける気立てのよさもあり、いつでも輪の中心にいて、イリスを導いてくれた。


「……私はずっと、コレットになりたかったのよ」


 鏡に映る自分のようなコレットだから、余計に悔しかった。高性能の〈ドール〉と人間を比べること自体がナンセンスである。しかし、幼いイリスはそこまで考えが及ばなかった。


 ――どうして、コレットは簡単にできて、私はできないんだろう。

 何度、そう自問しただろう。

 ――どうして、私はこんなにダメなんだろう。

 何度、自分に失望しただろう。劣る自分を嫌悪しただろう。


 コレットを照らし出す光が多ければ多いだけ、闇に押し潰されそうで不安になった。――私は、あの子の影でしかないのだろうか、と。

 そう気づいたとき、今まで自分を包んでいた世界が音を立てて崩壊した。コレットがいなければ何も出来ない自分を、イリスは酷く恐れた。人と話すことさえ、コレットがいてくれたから出来たのだ。学校での居場所、自宅での立ち位置、みんなから寄せられる信頼や友情、絆、将来の夢――すべてコレットがお膳立てしてくれたものではないかと。


 それは呼吸さえ出来なくなるほどの、衝撃だった。

 自分が何であるか。誰であるかを見失ってしまうほどの、恐怖だ。何もかもが虚像に見えた。鏡に映る自分の姿だって信じられなくなるほどの、混乱だった。涙が溢れた。


 私は、いったい、なに?


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